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Introspection



職務の話題がひと段落した折に流れた細やかな沈黙。ワーレンは上質とたらしめるカップに施された装飾を二つの目に映しながら、今し方メックリンガーとケスラーと話していた内容を思考の淵へと再び落とそうとした時、ワーレンが聞き取った二人の談笑。独身が集まると避ける事の出来ない、いや、避ける事をしない話題へと移ったようであった。彼は僅かに揺れている紅茶の表面に映っている自身の顔、自身が持つ虹彩の色が難なく溶け合っている目と視線を合わせた。恋愛──それは彼が避け続けて来たものであった。一人の女性と出会い結婚し、子どもを授かったが、それと同時に妻を失った。彼にとって恋愛というものは無上の苦衷へと辿り着く行程であり、幸福が与えられるとその分不幸も与えられるといった独特の考えを持ち、またそれがすっかり浸透してしまっていた。表情のない自身の顔から視線を外すと、鳶色の頭を上げ、ワーレンはその安逸な話題へと加わった。自分はこの二人とは少しばかり境遇が異なるという事を箍として嵌め、また、ある一人の女性の存在をも変わらずに懐奥深くへと仕舞い込んだまま、彼は持っていたカップを元あった場所へ戻した。
「生憎、そのような女性はおらんよ。職務中心の生活に何ら変わりはない」
ケスラーが自嘲を交えた、周囲に親しまれる表情をその顔に浮かべた。彼が兼任している地位の職務内容を考えてもその言葉に偽りはなさそうであったが、家庭というものの責任がない身軽さと、こざっぱりとした容姿と颯爽とした美声を持つ身に、恋愛に於いて何の困難があろうかとワーレンは疑問に思った。彼は微笑を一つ表してから、以前から取り憑かれているある種の考えに耽った。人生の真の偉大さは自分自身を治める事である。もし自分にこのような生き方が得られておれば、銀河帝国皇帝になるより、その方が遙かに望ましいと思うだろう。また、主君である皇帝の下で享受している最高の権威の齎す幸福よりも、更なる立派な幸福があるとは思えない。最高の人生の知恵というものは、生活状況に応ずるように自分の気持ちを鎮める事にある。外面ではどんな酷い罵詈嘲笑の重圧を受けようとも、内面では平静を保つ事にある。そして、人間の心というものが凡そ人生というものが何であるか、如何にこの現世が真実の幸福とは無縁のものであるかを一度でも反省するに至れば、自ら一つの幸福を、 現世的な援助を何ら受ける事がなくとも、充分に心を充たしてくれ、また自身の最高の目的や欲求にも相応しい一つの幸福を、作り出す力を完全に発揮するという事をワーレンは悟ったのである。彼は自身の名を呼ばれた為に我に返り、そして遂に恋愛話の矛先が自身に向いている事が分かった。何処から湧いて出たのか分からぬ噂、ある女性と仲良くしているという漠然とした噂をたった今告げられた彼は、自身に対する防衛反応が起こり、どのように誤魔化そうかと考えてしまった。いや、これは自分のみならず彼女の為でもあるのか──「単なる仕事仲間だ」といった言葉が頭に浮かび、それを自然に言いさえすれば良かったのだが、其処にワーレンが心惹かれて止まない女性の名が婉然と現れた。サラ・バラデュール。幾度となくその名を心の内で呼び、また自身のものよりも大切にしていたその名が彼の脳梁を震わせた。そうだ、単なる仕事仲間だ。しかし彼の口は思うように動く事をせず、彼と交流のある二人にはこの微妙なワーレンの不自然な表情が、肯定の意味を含んでいる事を看取した。
「──瞳の色は?」
その小さき質問は、ワーレンの心臓が打っていた一定の調子を少しばかり狂わせるという猛威を揮った。瞳の色。サラの瞳の色。それは恋を知る誰もが脳裏に焼き付かせ、焦がれるものであろう。ふと視線が合うと慎ましやかに此方を見詰め返す、あの豊かな色、その人間が持つ魂の色。ワーレンは発言の主であるメックリンガーの顔を窺う事をしたが、彼は目を伏せただカップに口を付けていた。ワーレンの傍には既にサラの面影、あの二つの宝石宛らの瞳と馥郁たる香りがあり、彼が彼女の美しい名を呼んだ途端、彼の厚い皮膚を撫でるようにその存在を明瞭に示した。彼女を一目見た時、彼女が持つ自信の強さが彼を驚かせた。それは決して表に出ているものではなかったが、不思議な事にそれは周囲にいる凡ゆる人間の存在を緩める程のものであり、彼は失礼を承知でいながらも彼女の姿形を凝視してしまった。ワーレンは、サラの燃えるような生命を帯びた大きな眼が実に美しく、それが青味掛かった顔色に取り分け良く似合う事を発見した。また、彼女の内面的な美しさも彼の前に現れて来たところで、彼は恋に落ちる身を止める事が遂に出来なかった。しかし、その眼には魅惑的な唇の輪郭と同様、勿論彼が酷く夢中に惚れ込みはしても、恐らく長くは愛し続けられそうもないような何かがあった。それはサラにあったのではなく、ワーレン自身にあった。
「真逆、知らぬ訳ではあるまい」
「ワーレンの心臓を止める事が出来るのはメックリンガー、卿だけだな」
「いや、残念ながら私ではないさ。他ならぬ愛の対象が持つ美がそうさせたのだ。恐らくこれから幾度も彼の心臓を止めに掛かるだろう」
「恋とは全く恐ろしいものだ……で、何色なのだ?」
ケスラーはワーレンの意中の人間が自分の知っている人間か、或いは後々出会い、それと知る事が出来るようにと気になっている様子であったが、メックリンガーはその人物自体には大して興味はないようで、ただ微笑を浮かべていた。ワーレンは目を伏せた。いや、もしかすると、俺は彼女を永遠に愛し続けるかも知れないが、事によると、彼女と共にいて常に幸せという訳にはいかないかも知れない。彼はサラを目に映した際、この考えを思い立った事に対して自分自身に腹を立てた。というのも、それを想像した途端、この意見が我ながら恐ろしく愚劣なものに思えたからだった。それに加えて、一人の女性に関してこんな高飛車な事を思ったのが恥ずかしくなっても来た。それだけに今、メックリンガーとケスラーの四つの目を通し自身の姿を見てみると、もしかするとあの時自分は大変な誤解をしたのかも知れないと感じた。サラの顔にはいつだって偽りのない純真な善良さと、一途な熱烈な誠意とに輝いている。あの時あれ程にワーレンを驚かせた気位の高さや自信の内、今目に映るのは、大胆な高潔な生命力と、何か明確な力強い自信のみであった。今この時だけは、一人の子どもを持つ男、恋愛を悲しいものと見做し遠ざけていた男がひっそりと姿を潜めたように思われた。このような男を彼女は愛するだろうか。そして俺はこの愛を失った後、どうなるのだろうか。
「緑、深みのある緑だ」
何を疑問に思う事があろう、そのような事は端から分かっている筈ではないか。彼女は俺を愛しはしないし、俺はこの愛を失った後、再び死の淵をなけなしの力で持って歩く事となるのだ。妻を失い、一つの幸福から身を引いた。人間の心というものが凡そ人生というものが何であるか、如何にこの現世が真実の幸福とは無縁のものであるかを一度でも反省するに至れば、充分に心を充たしてくれ、また自身の最高の目的や欲求にも相応しい一つの幸福を、作り出す力を完全に発揮する。彼女を失いたくなければ、その幸福から身を引く事だ、消えてしまう事だ──。ワーレンの声色、また現れて来た表情から、ケスラーとメックリンガーはその恋が決して彼の身に幸福のみを齎すものでない事が分かった。しかし彼の狼狽振りに、ケスラーはその優し気な目を細めた。腕が一本使い物にならなくなった時でさえ、動揺する素振りを微塵も見せなかった男が、言い回し一つで相手の顔から真意を窺う事をし、またその相手によって想起させられた人間の事を想うと忽ち愛と倉皇さを二つの目に帯びさせた。どのような状況でも冗談を飛ばし周囲の緊張を和らげる肝の座った男であるが、どうやら恋愛の事ととなると、気の利いた冗談も思い付かないようである。
「心の告げる事を信ぜよ、天よりの保証は既になし」
メックリンガーの声は、ワーレンの遣る瀬無い魂の中に更なる細波を立てた。それは詩の一節のようであったが、勿論彼は聞いた事がなかった。彼はその一節を心中で一度繰り返しては、大きな窓の奥にふと瞳を転じた。陽は麗かに空は澄み、波はきらきらと踊っている。青い山並みが、真昼の透明な力を帯び、未だ開かぬ蕾の周りを湿った大地の伊吹が軽く漂い、一つの喜びから発する多くの声の如く、風も小鳥も大洋の汐も、この街の声さえ孤独の声のように優しかった。

Drake - Girls Love Beyoncé (Say My Name) ft. James Fauntleroy