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WE ARE TOGETHER IN ETERNALLY



ケスラーの所有する別荘は郊外に建っており、その外観は車道から見る事は出来ない。閉ざされた門の向こうには鬱蒼と森林が茂っており、その屋敷すら、いや、そもそも人間が住んでいるとは思えない程の不気味さを放っている。屋敷は古く小さなものであったが、庭は極めて広く、ごく近頃設計されたものでケスラーの好みは申し分がなかった。空を眺めるのに視界を遮る物が何一つ存在せず、其処には何か独特の田園の情緒が感じられるのだった。ケスラーとオーベルシュタインはこの別荘で話や食事をし、夜を過ごした。そして此処でのみ、二人は肩を並べて歩けるのであった。今、時計の短針は五を指している。世は土曜日に突入し、ケスラーが此処へ到着して早一時間が経った。オーベルシュタインはケスラーよりも先に屋敷に着いていた。
「君に守って欲しい事がある」
ケスラーがしたただ一つの運動は日が暮れてからであった。彼の孤独が最も紛れたのは、森の中にいるこの時であった。光と闇とが完全に釣り合いを保ち、昼間の気兼ねと夜の息詰まりとが互いに中和し、その後に絶対的な心の自由を生ずるあの夜明けの一瞬を、彼は一秒も逃さず捕らえる術を心得ていた。また、生きているという哀れな状態が、この上なく小さくなるのもこの時である。彼は暗闇を恐れる事をしなかった。彼の唯一の考えは、人間──というよりは寧ろ、全体としては非常に恐ろしいが、個々のものとしては微塵も恐ろしくなく、哀れなものでさえある、世間という名のあの冷たい合成物を避ける事であった。
「何かな」
「一つは、この先も変わらず関係を内密にする事。二つは、何方かが先に死んだ場合、遺産の相続人に互いを指定しない事」
庭に出ていた二人は疲労と半ば夢心地とで静かであった。半日何も食べていない空腹と、休憩なしに働いた身体が纏う汗とを感じていたが、重い腰を上げる事を躊躇っていた。光が地上を足早に覆い始め、屋敷が光を背に明瞭に浮き出て行く。灯火の光が薄れて黄色い光の輪を失い、星は少しずつ西の空で消えて行く。ケスラーは夢遊病者のように、ぼんやりとそれらを眺めていた。目は遠くへと見開かれ、細かなものは見ず、ただ辺りの暁を、一帯の土地を、この田舎の起伏の全てを一度に見守っていた。オーベルシュタインが切り出した言葉に、ケスラーは後から犇犇と恐れを感じ始めた。それは何も彼の内からのみ湧き出たものではなく、眼前にいるオーベルシュタインの内からも同様のものが見えた為である。ケスラーは目を伏せた。背に食い込んでいる鉄の背凭れ、革靴で踏んでいる柔らかな芝生の一面。そして、テーブルの上にある明かりに照らされたオーベルシュタインの顔立ち。
「一つ目は分かる。俺もそうするべきと思うから。だが何故、その二つ目を俺に約束させる」
「分からないか」
「分からないな。そこまで内密にする事だろうか」
ケスラーをはっとさせると同時にその心を強く捕らえた、生真面目で、時には沈みがちの瞳の表情。出会って既に十年以上が経ったが、士官学校でケスラーに見せたその表情は今も尚、このオーベルシュタインは持っていた。また、ケスラーはオーベルシュタインの気性や思想を理解していたが、それにも関わらず、オーベルシュタインの中には何かしら別の世界が、ケスラーなどには想像も付かない、複雑で詩的な興味に満ちた崇高な世界があるように思われた。ケスラーは天色の瞳をひたと見詰めた。何と悲しい事だろう。愛が深いとこんなにも悲しいものなのか。その崇高な世界がオーベルシュタインにどのような夢想を見せているのかは分からない。しかしそれが、自分と共に生きた人生が近い内に終焉を迎えるという恐れを、彼に示しているのだとケスラーには思われた。
「君は分からないか」
オーベルシュタインは再び口を開いた。眼前の心優しき男は案の定、自身の感情の波に晒されて言葉の意味を理解していないようであった。気が付けば互いの地位は上がり、出会った頃の我々などは遥か遠くの底辺で戯れていたように、今のオーベルシュタインには思われた。以前のようにケスラーが宇宙を駆ける事はなくなったが、別離を示す死は依然として我々の直ぐ背後について来ている。オーベルシュタインはふと思った。もしケスラーが死に絶えた時、この屋敷を含む遺産が自分に転がり込んで来る。二人切りで過ごした、この世間から隔離された美しいものを自分が手に入れた時、果たして自分は正気を保つ事が出来るであろうか。この男の生ける二つの目に嘗て映った風景、この男が愛用したグラスやタオル、好んで身に纏った葉の香りのする真っ白なシャツ。彼自身が死んだとしてもこれらはいつまでも残る。役目を果たす事なく、死んだ男の面影を投影するのみである。何と、何と恐ろしい事か──しかし遂にケスラーは、オーベルシュタインの真意を見破る事が出来なかった。ケスラーは現在のみを見ており、未来の事など見ていない、見たくはないといった様子であった。それは一種の恐れから来るものであろうが、その未来に必ず存在する恐れはいつ互いの胸に訪れるか知る事は出来ないのだ。
「分かった。俺の遺産は帝国に寄付させて頂くとするよ。大した物も金もないが」
オーベルシュタインは言葉が足りる人間ではない。その事は自分の事のように理解しているケスラーであったが、この時ばかりは、その言葉の裏に潜ませている意味を何故言わないのかと思ってしまった。その事はオーベルシュタイン自身の口から言う事を躊躇い、自分に全てを察して欲しいと思っているように見えた。幾ら付き合いが長いとはいえ、ケスラー程の人間であってもそれは難しい事である。相手に察して欲しいとは何という甘えた、思い上がった考えか──ケスラーはその目の中に、自分には開かれていないあの特別な世界を認めた。ケスラーが懐奥深くに仕舞っておいた恐れ、いずれやって来るであろうオーベルシュタインとの別離という事実を前にすると、彼はいつも背中を向け逃げ出したい情動に駆られた。ケスラー自身、そんな事は分かっているつもりであったが、こんなに俺は苦しんでいるのに未だ世間は俺を苦しめるのか?俺が一体何をしたというのだ、俺はただ幸福の可能性が自分にもあると信じたいだけだというのに。彼はオーベルシュタインを愛するようになってから、凡ゆるものから必死で逃げていたのである。
「守って欲しい事とはその二つだけか?」
「そうだ」
「俺はもっと違う事を想像していたが、やはり君の考える事だな」
「君にはないのか」
「守って欲しい事ね……」
パウル・フォン・オーベルシュタイン、君のその名を大切にして欲しいのだ。君は慈悲の人であり、君は愛の泉だ。苦しまずに、自らを慈愛で包むという事をして欲しい。君の幸福を誰よりも願う。清らかなその胸に真の平和あれ。真の智を持つ者、その胸が悲しみに暮れる事なかれ──自分の人生の中に存在する、彼と自分を引き裂く時間や定めという不幸なもの。ずっと一緒にいよう、それでこそ良夜となる。彼の眼差しは夜を払う事が出来るが、一人の夜がどれ程に長く苦痛である事か。夕暮れが閉じ、朝の光まで心を寄り添う者にとってこそ夜は良いものである。その事を、他でもない君が教えてくれたのだ。
「特にないな」
「そうか」
ケスラーの頭の中には様々な事、オーベルシュタインに言うべき言葉が山を成していた。しかし今の彼にはそれらを言う事も、またそれらに対してオーベルシュタインがどのような反応を見せるかという事も考える事が出来なかった。それ以前に、オーベルシュタインが自分に察して欲しかったらしい言葉の意味も未だ分からないままなのである。それ程までにケスラーの頭は働く事を拒み、恐れを真面に見ずにいた。
「中へ入ろう。眠りたい」
ケスラー、君が私に齎すこの苦痛、これは当然君の胸にも感じられるものであろう。しかしどうして私はこの苦痛を無きものと出来ようか。これ程までに心臓を締め付けられた事は君が纏う魂の他になく、これからも私はその苦痛を和らげる事を敢えてしないつもりである。たった一つ、それこそが我々が共にいたという事実であり、君が私のものであったという事実である。ケスラーが手を伸ばして明かりを消した。先程までは二人を囲むようにして存在していた深い闇が、カチッという音と共に二人の間に入り込んだ。オーベルシュタインは未だ眠気を感じていなかったが、彼もケスラーと共に庭を辞した。既に世は彼等の背後に潜んでおり、今にもその顔を出そうと待っていた。