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SAY MY NAME, CRY ME A RIVER



一昨日の夜に少しヘマをし、一人の男に肩をナイフで刺された。しかも運の悪いことにその日着ていたスーツは軽さを重視したもので、鋭いもので一直線に来たら貫通する。銃弾でなかっただけまだマシか、と思い通りに動かない肩に苛立ちながらウェインはワイシャツを正した。
「その傷どうしたんだい」
「!!」
ウェインが鋭い目つきで勢いよく声がした方を見たせいでゴードンは少し驚いた。あまり見ない、表情だった。ウェインは昼間だったらいつでも暇だから気が向いたら来てよ、とゴードンに言っていた。ゴードンも最初は社交辞令だと思っていたが本当に暇らしく、たまに会っては外で食事をするというのが二人の間にはある。ゴードンは今日、来てくれた。ウェインは素早くジャケットを着て、いつも通りの、ゴードンが知っているウェインに戻った。
「大丈夫だよ」
ゴードンは違和感を感じた。何処か焦っているような、何かを隠しているような。しかもさっき見えた傷は大丈夫と言える程の軽いものでもない。何年も警官をしているゴードンはじっと、観察するような目でウェインを見た。その視線から逃れるようにウェインは笑って、ゴードンと自分に、そう言った。彼は深追いしてくるとわかっていたが、ウェインはいつものように上手く防げなかった。ゴードンが近づいて来る。
「でも、」
「たまに噛みついてくる女性がいて」
ピタリとゴードンの足が止まった。その彼の行動に、彼の表情に、ウェインは作り笑いしたまま我に返った。ウェインとゴードンの間の距離は椅子二つ分ぐらいだが、もっと遠く、巨大な溝を挟んでいるようにウェインは思えた。それは紛れもなく自分が軽い気持ちで放った言葉のせいだとすぐに気づいたが、あれは笑って流すジョークだ。プレイボーイの、億万長者の、ブルース・ウェインが言うジョークだ。だがそれはゴードンには通用しない。当然だ。何故彼にこの手のジョークが通用しないのか、ウェインは知っているのだ。彼は自分に惚れている。ウェインは冗談だよ、とゴードンに言おうと彼を見たが、ゴードンはウェインの足元を見ていた。彼は怒っているのではなかった。ただ、申し訳なくなった。彼を好きになったことが、申し訳なくなった。身の程知らずだと、今まで何度もウェインとの関係を絶とうとしたが、この様である。完全なる一方的な想いだ。これで証明された。いい加減もう諦められるだろう。
「今度は噛まれないように気をつけて」
「違うんだ、」
ゴードンは視界が歪んできたのに気づいた。泣いている。いい歳をした男が泣いている。ゴードンはウェインの言葉を拾わずにその部屋から出た。一秒でも彼の前から消えたいと大股で歩くせいで涙が溢れた。眼鏡には数滴、地面にも落ちたかも知れない。だがゴードンは歩くのを止めなかった。
「ジム、」
ウェインの足は鉛のように重かった。名前を呼んでも彼は振り向かない。当たり前だ、声が小さいのだ。ウェインは足を無理矢理動かし部屋を出た。彼とあまり離れていないのに、何故か彼に追いつかない。彼がどんどん離れて行く。
「ジム!!」
ゴードンがエレベーターのボタンを押したとき、自分の名前を呼ぶ声を聞いた。ゴードンは振り返らなかった。振り返ったら、また自分に負けてしまう。また彼に傷つけられる。
「待ってくれ、」
「いたっ」
勢いのあまり、ゴードンを壁に押さえつけたウェインは彼の頬が濡れているのに気づいた。ゴードンの腕を離し、ウェインは彼の眼鏡を取って、床に落とした。濡れた頬に両手を添える。ウェインは彼のブルーアイと正面から視線を合わせた。
「僕から逃げるなら、いっそ僕を殺してくれ」
ウェインはゴードンの唇にひとつキスをした。今も昔も想っているのは貴方一人なんだ、と告げるとゴードンはウェインの手を濡らした。