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I yet have visions for the night, and for the day faint visions there is store



孔明が小雪の内に見た関羽への愛情──表面は慎み深いが、その下に激しく燃えている、酷く感じ易い愛情──が、自分を苦しめ、破滅へと導く事のないように、出来る限り真面目に扱わなければならないと懸念をした。しかし彼はその術を持ち合わせてはおらず、また、彼女の愛情を自分に向けさせる術も彼は知らなかった。今までと同様、毎日のように彼女に会う事は、芽生えたものを伸ばす事になるであろう。このように身近に生活していると、顔を合わせる頻度が高ければ親しくなる事は必定である。木石でない限り、それに抗う事は出来ない。こういった勢いの赴くところについては結局、何の結論をも得られないまま、当分の間は小雪から離れていようと孔明は決心をした。今のところ彼女に加えた害、また自分が被った害は小さいのだ。この情熱を希薄にし、彼女を崇めるのではなく敬い、他の男に捧げる彼女の愛情を育む助力をせねばなるまい。それが自分の務めであり、またこれは互いにとって利のある事なのだ。しかし彼女に近付くまいとする決心を実行に移すのは容易な事ではなかった。彼は鼓動の打つ毎に、彼女の方へと引き摺られて行った。
「おはようございます、孔明様。随分と早いのですね」
「昼寝がとても待ち遠しい」
「いつもこの時刻に散策を?」
「やはり何かを考えるには、世が静まっていなければ」
この軍営で二人は真っ先に起床をした為、彼等は自分達が世界で一番早く起き出ている人間のような気がした。広々とした草地に満ち渡っている、朦朧と淀んだ水のような光は二人に、まるで創世の人間であるかのような、世間から隔絶した感覚を抱かせた。一日の始めであるこの朧げな時刻には、気質も肉体も二つながら荘重な大きさを、神にも等しい力を小雪が示しているように孔明には思われた。恐らくそれは、この異常な時刻に彼女程の容姿の立派な女性が、彼の目の届く限りの屋外を歩いている事はまずあるまい、国中でも殆どあるまいという事を、彼が知っていたからである。美人というものは大抵、夜明け方には眠っているものだ。しかし彼女は直ぐ傍にいる。そして他の者は、何処にもいないのだ。
「どうでしょうか、是非、散策を私と共に」
やはり、容易ではない。孔明の切れ長の目の奥に潜む虹彩に、唯一無二の姿が映った。この姿は私を苦しめ、そして破滅へと導くであろう……。だがこの姿に抗う事は出来ない。どうして小雪を、自分より大切でないものと考える事が出来よう?他の男を愛しているからといって、どうして彼女を愛さない事が出来よう?彼女に害を加える事はしてはならないが、私自身は、私の心は幾らでも害を被ろう。孔明の思いは酒の酔いの如く、少しずつ彼の身体を回り始めた。

牛の寝そべっている方へ歩いて行くと、二人を包んでいる混沌とした、異様な仄明るい薄暗がりが、神による創世の時刻を孔明に思い起こさせた。彼は神が自分の傍にいるかも知れないなどとは、殆ど考えてもみなかった。辺りの風景がすっかり中間色であるのにも関わらず、彼の目の焦点となっている小雪の顔は、霧の層から浮き上がり、一種の燐光を帯びているようであった。まるで肉体を離れた魂のみであるかの如く、神聖さを顕にしていた。実は彼女の顔の表面は、東北から来る冷たい日の微光を浴びていたのであり、そして孔明の顔もまた、自分では気が付かなかったが、彼女と同様の相貌を呈していた。
「何故、あなたはそのように微笑んでいらっしゃるの?」
孔明は日差しの中を透かし見た。小雪の肉の付いていない顔は柔弱さを持ってはいたが、引き締まっており親切げであった。榛色の瞳は全ての悲しい出来事を経験して来たように見え、苦痛と苦悩の階段を一歩ずつ登り詰め、遂に高い静かな超人的な理解の世界に辿り着いたように見えた。孔明は自身の目を通し、自身の生命を見た。喜びよりも素晴らしいものは落ち着きである。揺るがぬ落ち着きというものは頼りになるものであり、小雪が置かれている大きく慎ましやかな立場から、彼女は威厳と清潔で静かな美とを身に付けていた──愛が、この胸にはある。その愛は高尚な道を歩み、そして続く先へとそのまま歩み続けなければならない──孔明の頭と心の中では凡ゆるものが揺蕩っていた。彼は米神に血の脈打つのが感じられた。こうした彼の錯乱に対し、ただ一つの考えのみが踏み堪えてくれていた。
「事実は事実です」
この胸には虚偽も欺瞞もありはしない。あるのは全きの事実、そして事実はただ事実のみである。孔明の表情──その目に存在する輝きを隠す事なく、優しく微笑みながらじっと自分を見詰める表情に、小雪は思わず息を呑んだ。それは騒がしく俗物な凡ゆるものから常に遠く離れた所にいる人間、彼のような人間が浮かべる表情ではなかった。しかし彼女はそれに、彼の秘めた情熱の現れを見た。その情熱は彼女にとっても非常に身に覚えのあるものであり、それは安らぎを与え、また苦しみをも与えるものであった。特に彼女のような人間には特別なものであり、その情熱によって自分の心に住んでいる絶望さえも優しくなるのを小雪は感じた。例え私が疲れた子供の如くこの地に伏そうとも尚、この先もずっと耐えなければならない。だから憂きこの世を泣いて忘れたら良いのだ。軈て死は眠りのように忍び寄り、温かな大気の中で頬が冷えると、空は死に行く頭の上で、この単調な最後の調べを囁くのみであるから。
「何故、私がこうしてあなたのお傍にいるか、ご存知でしょうか」
孔明は敏感さの塊のような人間であった為、小雪と視線が合致すると忽ち脈搏は早くなった。血が指先まで伝わり、冷えた腕はゆったりと熱を孕み始めた。すると、内に秘めていた愛の告白をまるで心臓が勝手に言いでもしたかのように、彼の目は輝きに満ち、只管に彼女の明眸に見入った。薄い唇は自然と上がり、彼は自分でも微笑しているのが分かった。私には尚、夜のため幻に見る像があり、昼のため幻に見る幽かな像の蓄えがあるものを──しかしその像はたった今、二人を照らしていた朧げな中間色とは駆け離れた色に染まった。広い視界の内の一点がその色に変化しただけで孔明の頭は忽ち目覚め、自身の情動を聞いていた耳は聾してしまった。赤色。その鮮やかな赤色に、すっかり意識を奪われた小雪の唇からは表情が失せ、その眼からは光が失せていた。
「孔明様、」
小雪の鼻から赤色の筋が一つ引いたと思うと、凹凸のある唇にまで色が広がった。軈てその筋は細い顎を通り、先端から一粒ずつ草地へと落ちて行った。神による創世、神により造られた人間が持つ定めが、二人の抱いていた幻想を払った。深い憂鬱が重い霧の如く二人の心を包んだ。それは深く恐ろしい憂鬱であった。

Frank Ocean - Thinkin bout You