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On the barren heath



辺り一帯死のような沈黙と、まるで誂えたような完全な静寂が立ち込め、少しの風もなかった。『囁くものは、静寂ばかり』何故かこんな詩の一節がスネイプの頭に閃いた。季節は進み、成熟した。目で捉える事の出来る葉や鶯、そしてこの身にすっかり染みてしまった噤みや嘘。その他このような命の短い生物が、ほんの数年前、 他のものが占めていた場所を彼等に代わって占めた。暁の光が新芽を引き出し、長い茎に引き伸ばし、樹液を音もなく吸い上げ花弁を開き、香気を吸い出し、目に見えぬ噴霧や息吹きの如く辺りに漂わせている間に。バーテミウス・クラウチ・ジュニア──貴様が憎い。この世に闇を齎す事に飽き足らず、清らかなサラの魂までもその腕に抱こうとする貴様が。彼女から無量の愛を捧げられたにも関わらず、愛を知らぬ人間に魂を捧げた貴様が。貴様は愛を知る人間であった筈だ。不意に、スネイプが嫉妬の炎にその身を委ねようとした時、たった一つの厳かな声と過去の記憶が彼の胸に迫った。そうなのだ、正に私が此処にいる理由、そして未だ私に生がある理由は、あの冷酷無情の世界に思いを馳せる事にあるのではない。出会ったサラ・バラデュールという人間。彼女は周りとは異なり、抜きん出た性質を持っていた。彼女にはガラスに混じる本物のダイヤモンドのような光輝があり、この光輝は全きの静謐の中で美しいあの瞳から発していた。疲れたような、と同時に情熱的なあの眼差しは、非の打ちどころのない誠実さで私の心を打った。彼女の魂の前に立った時、私にはそれが神秘的な魂の交流であるように思われ、刻一刻と私を近く結び合わせ、私が今にも入って行こうとする未知の世界に対する喜ばしい恐怖の思いを、この私の胸に呼び起こした。全世界に於いて私の為に存在しているものは、私にとって大きな意義と重大性を帯びた彼女のみであった。彼女は目も眩むばかりの高みに立っており、何処か遥か下の方に、私以外の人間、そしてその他諸々の世界が存在していた。私は自分の苦悩が癒されたのを覚えたばかりでなく、以前には一度も味わった事のない心の安らぎを感じた。私は思い掛けなく、自分の苦悩の原因そのものが精神的な喜びの源に変わったのを感じた。私が非難したり、憎んだりしていた時には、到底解決する事が出来ないように思われたものが、彼女を愛し始めると忽ち単純明白なものになった──我が愛しき人よ、君も御身を包み込み、私の胸が内に滑り込み、私の中に溶け入らん事を──大気は清々しくひんやりとしており、空は澄み渡っていた。サラの美しい面影がスネイプの頭の中にちらと浮かび掛けた。だが静かに、苦く、その愛すべき幻影にそっと息を吹き掛けると、それは瞬く間に消え飛んでしまった。

スネイプとマクゴナガルが対峙する大広間へと一斉に足を踏み入れた不死鳥の騎士団。凡ゆる欺瞞に踊らされたその間抜けな顔触れを見た時、そしてその中に存在するたった一つの事実であるサラを捉えた時、離れてはいたが二人の視線が真面に合致した──ああ、彼女の顔に気高い魂の輝きが現れるのを私はこの目で見、そしてそれを心から愛したのだ。だが何という絶望だろう、辺りに揺蕩う死の気配に、遂に君さえも呑み込まれるか──スネイプがマクゴナガルへ瞳を転じようと瞬きをした際、サラが片方の目蓋を閉じて見せた。ゆったりと、灰色の虹彩を覆う睫毛が揺れたと思うと、一時的にだが息の根を止められた人間の目付きをした。彼女以外の他の人間は揃って彼に杖を向け佇立していたが、彼女だけは杖すらも持たず、ただ其処にいた……。背後から浴びせ掛けられた猛烈な罵詈の声は、スネイプの情動を微塵も揺るがす事はなかった。何故なら彼は専ら恐怖を、雷霆の響きの如く聞き付けていたからである。寝ても覚めても苦衷の続くこの数年、二度と目覚める事のなきようにと、またこの鼓動の音を再び耳にする前に、生命の綱も切れてしまえと願ったものだが、私は未だに息をしている。
「サラ、何故此処に、」
大広間を抜け、不毛の荒野に足を着いたスネイプを待っていたのはサラであった。彼女が闇に紛れる色を全身に纏っていた為に、その姿を空から捉える事が出来なかったのだ。瞬時にその理由を看取した彼であったが、全きの視界が赫赫としたものに変わり果てた。彼女が失神の呪文を放ったのである。彼が意識を失う寸前に見たこの末恐ろしい光景に、彼は自身の盾である閉心術を解く覚悟をした。私が望むたった一つの望み。この世にただ一つしか存在しえぬ命。我、真に君を愛す。真に君を愛す。
「ごめんね」
サラの声は何故か震えていた。すると同様に、彼女の姿を捉えているスネイプの瞳も震えた。か弱い声を放った強く気高き心が、惨めに破れていたのを見た彼はその時、彼女の言葉を心に留めた。悲しみ──おお悲しみよ、この世はお前には余りにも広い。サラの様子と死期の切迫は、スネイプの心に、彼が彼女の屋敷へ訪れたあの最後の晩、不意に襲って来た恐怖の念を再び呼び覚ました。それは死という不可解なものを前にした時の、と同時に、死の切迫と不可避とに対する恐怖の念であった。今やこの感情は以前よりも更に強さを増した。彼は自分が以前よりも一層死の意義を解く力のない事を痛感し、しかもそれが不可避である事を更に一層恐ろしく感じた。スネイプは空を仰いだ。重々しい雨雲が低く垂れ込めて来て、大粒の雨がポトポトと落ちて来た。彼はふと思った。塵塗れの行為を崇めるのは止せ。真理を求め、あくせく足掻くのも止せ。何故ならこれもまた事実なのだ。私がどれ程に苦労しても、ただ次々に新しい夢を生み出すだけに終わりはしないか。事実は私の心の中の他にありはしない。この世の如く、亡霊の知る人間の真理は悉く死んだ。事実は、私の心の中の他にありはしない。私の生は、未だ終わりを告げてはいないのだ。そしてサラも同様にして未だ生きているという希望の為に、先程までの感情はスネイプを絶望に陥れる事をしなかった。彼は死というものが存在していても、生き且つ愛さなければならないと感じた。彼は愛こそが自分を絶望から救い、絶望の脅威に晒される事により、この愛が更に強烈に更に純粋になって行く事を感じた。彼の目の前で死という一つの神秘が、不可解のまま完成される内に、それと同様に不可解な、愛と生とに導くもう一つの神秘が生まれたのであった。