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The burden



スネイプの脳裏に磔の呪いの存在が犇犇と浮かび上がったのは何も今日が初めてではない。それは丸幾月もの間、たった一瞬も独りではいられず、また煩いどころか大部分は我慢のならぬ子供と殆ど共にいなくてはならないという境遇にいた者でなくては到底分からない。その連中の声を聞くだけで、スネイプの静まり返った心に細波を起こすのには十分であった。勉強という勉強をしないこの間抜けっ面の甘えた子供は、大人しく喜ぶ事を知らずに、ありったけの声を張り上げて騒がないとその喜びが十分だと思えないのだ。しかしその中でも女子生徒の媚態はスネイプに目眩と吐気を齎した。此処へ来て未だ日が浅かった頃、年上の教師によく聞かされた話が真逆この己にも起ころうとは。今朝のスネイプの態度も相変わらず無愛想であった。気紛れで生徒の方から話し掛けて来ているそれに応じようとしなかったのである──私の値打ちは増したか知れぬが、どうせ此方の腹の底は見え透いているに違いない。人間を馬鹿にした高慢な女の事だ、きっとその内に復讐するだろう。何なりと勝手にするがいい。だがそれにしても、あの彼女と何という違い方であろう。自然のままのあの何という魅力、何という風雅さ。彼女の考える事は分からず、私より複雑に、だが哲学的な考えを持っている。私は愚か者であった。何故もっと早くに彼女を見なかったのか。何しろ野心の事で頭が一杯で、彼女の素晴らしい良さを味わう事が出来なかったのだ。全く、何という相違であろう。そして私が此処に見出したものは何だ。何の潤いもない、思い上がった虚栄心、様々な自尊心、ただそれ切りである──今日もまた一日が終わろうとしている。早くこの騒々しい場所から逃れ、彼女の声と静けさのみに囁かれる日々を送れる事を願う。この心地良い夜の微風が、更に優しく微かに、彼女の頬に囁くように。愛しい彼女の眼が微睡んだその枕辺に安らかな憩いが訪れ、そしてその思いを愛の夢でもって彼女を静めよ。

『私、あなたを笑ったりしない最初の人間よ』
サラが闇祓いになった事は嘸かし意外であった。だが再会した時にはすっかりその色に染まっており、学生時代の彼女がどんな風であったかを明瞭に思い出す事が出来ない程であった。彼女は最初、懐に収めている杖に手を伸ばしたくて仕方がないといった落ち着きのない態度をしており、それを隠そうと膝の上で両手を組んだり、握り締めたりしていた。昔は友人であったが、死喰い人に堕ちた男を眼前に、サラの氷の刃宛らの眼光はスネイプを見据えていた。だが彼女は席を立つと彼に歩み寄り、片手を差し伸べてそう言った。一切の罪を告白し懺悔をした彼に、杖ではなく利き手を開いて見せたのである。彼女はその言葉以外、慰めや非難など何も発する事をせず、また彼に何の問いも投げ掛けなかった。サラは、人間は誰の審判者にもなり得ぬ事を心に留めている人間であった。何故なら当の審判者自身が、眼前に立っている者と同じく罪人であり、眼前に立っている者の罪に対して誰よりも責任があるという事を自覚せぬ限り、この地上には罪人を裁く者は有り得ないからである。またもし自分が正しかったのであれば、眼前に立っている罪人も存在せずに済んだかも知れないからである。サラはこうも考えていた。もし他人の悪行がもはや制し切れぬ程の悲しみと憤りとで自分の心をかき乱し、悪行で報復したいと思うに至ったなら、何よりもその感情を恐れるべきであると。その時は他人のその悪行を自らの罪であるとして、直ちにおもむき、我が身に苦悩を求める事だ。苦悩を背負い、それに堪え抜けば、心は鎮まり、自分にも罪のある事が分かるだろう。何故なら、自分はただ一人の罪なき人間として悪人達に光を与える事も出来た筈なのに、それをしなかったからなのだ。だが一つだけ、考えてはいるが実際には出来ない事もサラにはあった。もし自分が罪を犯し、己の罪業や、ふと思い掛けず犯した罪の事で死ぬまで悲しむようであれば、他の人間の為に喜ぶという事である。正しい人間の為に喜び、例え自分が罪を犯したにせよ、その人間が代わりに行いを正しくし、罪を犯さずにいてくれた事を喜ぶ。サラにはこれが出来なかった。
『真逆この私が……二重スパイの任務を手伝う事になるとはね』
死のような沈黙が建物全体を支配している。バラデュール家の屋敷は正にそのような表現を持つ。中から眺める事の出来る園生は極めて広い、ごく近頃に設計されたものであったが、好みは申し分がなかった。その中心に聳え立つ樹木は恐らく百年以上経っており、其処には何か田園の情緒が感じられるのだった。一つスネイプを驚かせた事、というのは、彼がバラデュール家の屋敷でサラと二人切りで過ごした時、そのたった数日間が今になってみれば、非常に幸福な時間であったという事である。稀有な事に彼が不愉快な思いをしたり、嫌な事を考えたりする事が一度もなく、天気や時刻で色を変えるその園生をただ見届けた。あの静かな家にいた時には少しの邪魔者もなしに、読んだり書いたり、考えたりする事が出来た。未来の夢想をしていても、ホグワーツでは凡ゆる人間の心の動きを観察しなければならないという義務から妨げられる心配は不要であったし、それにまた虚偽の動作や言葉で相手を騙す必要もなかった。幸福であった。幸福が、こんなにも己の間近にあるものだろうかと思った程である。サラは殆ど別の部屋にいたが、彼女もまた死のような沈黙を持つ園生を眺めながら、読んだり書いたり、考えたりしていただろう。

鷹は曲がった指で岩頭を掴み、寥々たる地にて太陽に近く、碧天を背景にして行き立つ。細波立つ海面は眼下に広がり、山の絶壁から俯瞰するも、忽ち雷の如く急降下する──蒼鷹、私の美しい蒼鷹。スネイプが目を覚ました時は未だ暗かった。小さな、カチカチと何かが打ち合うような音が、眠りから彼を呼び覚ましたのだ。耳を澄ますと、それはただ微風にガラス窓が軋んでいる音であった。スネイプは朝の冷気に震えつつ校内を歩いた。ホグワーツは未だ眠っていた。東の山々は青黒く、見ている内に曙光が仄かに山の陰から昇り、山の輪郭を鮮やかな紅色に染め、そして上の方へ行く程に一層寒々と暗く黒くなり、それが西の地平線に近い夜の闇に溶け込んでいた。
『夜に坂の下からこの屋敷を見上げるとね、船が浮かんでいるように見える』
サラとは学生時代にも友人であったが、今のように話はしなかった。手紙を送り合った事もなければ、休暇中に何処かへ行った事もない。将来の事も、胸に秘めている事も互いに知らなかった。この不思議な縁が切れる時は、恐らく何方かが死ぬ時であろう……。スネイプの未だ消え去っていない望み、悲しみにも幸せにも遠くしてまた近きもの。その存在をしみじみ悟る時、懐かしさは込み上げるばかりである。目に見える友、目蓋に浮かぶ友、優しい人間の手と唇と眼を持つ友、とこしえに己のものであれ。過去、現在、そして未来へと続く不思議なる友よ、懐かしさは更に深まり、仄かに見える友、己は幸せな未来を夢見て、君の姿をこの世の全てのものと交わらせるのだ。
『私、一生此処に住むような気がするわ』
私は愚か者であった。何故もっと早くに彼女を見なかったのか。何しろ野心の事で頭が一杯で、彼女の素晴らしい良さを味わう事が出来なかったのだ。此処で私は彼女と出会い、生きたのにも関わらず──全く、何という相違であろう。今頃私は自分にはないと思われていた幸福にすっかり満たされ、この闇の時代を彼女の伴侶として共に歩んでいたであろうに。スネイプにはサラの声が、吹き渡る風に乗って伝わり、せせらぎの音にも聞こえて来るようであった。彼女は昇る日の光の中にも姿を現し、落日の光の中にもその美しい姿を見るのであった。彼女が一体何者なのか彼には分からない。花の象に行き渡る力を感じるような心地がし、募る彼女という人間の姿。友愛は更に大きな激しい思慕へと移り行き、募る己の胸。サラは遠くにあり、しかし常に近き存在。とこしえに己のものであれ、君の声に囲まれてこそ、己の生活は順調なのだ。例え我が身が滅ぶとも、君はとこしえに己のものであれ。
『セブルス、あなたが好きよ』
サラ・バラデュール。私に微笑み掛けてこうは言わないだろうか……。全てが終わった時、彼女はこの私と生きる事を望むだろうか。いや、望むに違いない。何故なら、私はこんなにも彼女の事を愛しているのだから。すると遠くの方から微かな音色が聴こえて来た。スネイプが廊下から見上げると、一人の生徒が階段に腰掛け、レコードで音楽を流していたのである。生徒はゆったりとした速度のそれを聴きながら、羊皮紙に何かを記していた。スネイプのような哀れな男には全く珍しい事だが、彼は幸福に酔い自信に満ちて、大広間へと続く石畳を再び歩き始めた。音楽というものがこれ程までに彼を動かした事は嘗てない。彼は天にも昇る気持ちであった。

Gotye - Somebody That I Used to Know ft. Kimbra 1988