×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

I being pent in thee, perforce am thine, and all that is in me



杖の先端からは銀色の霧が情けなく揺蕩っているだけであった。ああ、やはり、私が持つ幸福の記憶というものは彼そのものであったという訳だ。私が彼の虜になっている以上、私自身や私の中にある一切が彼のものであるという訳なのだ。守護霊が姿を現す気配はない。愛に満ちていた筈の胸の内は今や陥没し、代わりに荒寥とした闇夜が唸りを立てているだけである。サラが利き手を開くと、杖はその手の平から転げ落ち、音も立てずに虚しく転がった──死だ。死が遂にこの身に訪れる──吸魂鬼が眼前にやって来た時、彼女は腕に抱かれるように一切を死神に委ねた。幸福な記憶はある。だが未来にはない。私の未来には何一つ。記憶の中にのみ存在する男の声を聞いた時、地に立っていたサラの脚から力がすっかり抜け落ちた。現世でこの声を聞く事は二度とない。未来に彼は居ないのだ。閉じた目蓋を開ける事なしに彼女の体勢が崩れた際、吸収される記憶が途切れた。それと同時に男の声も聞こえなくなり、一種の幻想から醒めた身体が感じ取った悪寒に目蓋を僅かに開けた。月のない夜の筈であった。しかしたった一つの月と全宇宙に存在する星々が、炯炯と当たりを照らしているかのように思われた。脳梁を震わせる強烈な光。男の声は惜しくも遠ざかって行ってしまった。

この世で我々の吸う大気は愛──愛は風の中また波の上に、この大地と我々が天に感ずるものとを調和させつつ動いている。私の日々を惨めさで満たしたからといって何故彼女を咎めねばならない?私に愛を自覚させ、溺れさせ、全くの重荷を負わせたからといって何故彼女を咎めねばならない?高貴だからこそ火のように純化した心と、引き絞った弓のような美しさを、こんな時代には滅多に見られぬ類の美しさを与えられた彼女が、気高く孤独で、容赦のない彼女が、どうやって平穏に生きる事が出来る?全くああいう人間だ、どうしようと?たった一つしかない心臓、彼女の為に高鳴る心臓を炎上させようにも、それは一体何処にある?己の魔力によって猛威を揮う銀色の光、闇の生物を退けさせた光景は昔に見たものと同様であった。光の中を歩く一人の人間が、闇の中を歩く人間を躊躇う事なしに救った光景。愛の謙虚さは全くもって恐ろしい力である。全ての強い力の中でも、これに並ぶものは何一つない程、強い力であり、偉大な力である。スネイプは白熱と共に歩み、地に伏せているサラを抱きかかえた。兄弟たちよ、愛は教師である。そしてそれを獲得する術を知らなければならない。彼女の肩越しに一本の杖が転がっているのが見えた。守護霊を出す事が出来なかったばかりでなく、彼女は自らその杖を手放したのだろう。必要な事は、偶然のものだけを瞬間的に愛する事ではなく、永続的に愛する事なのである。偶発的に愛するのならば誰にでも出来る。悪人でも愛するだろう……悪人であってもだ。
「泣く事はない、」
スネイプは唇を噛んだ。君の胸に跡を残したあの男はもう居ない。居ないのだ。スネイプはサラを自身の方へ強く抱き寄せた。浅い呼吸が途切れては震える吐息を出し、涙が銀の筋を引いて彼の髪を伝った。死を渇望するからといって私は君を咎める事はしないつもりだ。君は愛を知っているから悲しいのだ、私が嘗てそうであったように。その残された跡が軈て消えると、また新たな跡が残る。私は跡を残す、宛らこの胸に君の思いが残るように──私は心を傷付ける事なしに、心に触れる事が出来ない。君を傷付ける事なしに。

Daniel Caesar - We Found Love