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Never let you go



ある種の考えを前にして、特に他人の罪を見た場合などに人間は躊躇いを覚え、『力に頼るべきか、それとも謙虚な愛に頼るべきか?』と心に尋ねる事がある。そんな時は常に『謙虚な愛で捕えよう』と決めるが良い。 一旦永久にこう決心すれば、全世界を征服する事が出来よう。愛の謙虚さは恐ろしい力である。全ての強い力の中でも、これに並ぶものは何一つない程、強い力なのだ。毎日、毎時、毎分、己を省みて、己の姿が美しくあるよう注意するが良い。兄弟たちよ、愛は教師である。だが、それを獲得する術を知らなければならない。何故なら愛を獲得するのは難しく、長年の努力を重ね、長い期間を経たのち、高い値を払って手に入れるものだからだ。必要な事は、偶然のものだけを瞬間的に愛する事ではなく、永続的に愛する事なのである。偶発的に愛するのならば誰にでも出来る。悪人でも愛するだろう──スネイプが無意識の内に懐の奥深くに仕舞って置いた言葉は、愛すべき対象を見るとより一層、偉大な意味を帯びて来たように思われた。しかしサラは火が消えたように弱ってしまっていた。クラウチ・ジュニアの死刑執行日を伝えてからというもの、何一つ纏まったものを考える事が出来ないといった風であり、全くの静謐の中で美しいその瞳から発している、ガラスに混じる本物のダイヤモンドのような光輝が今ではすっかり失われていた。そのような生気のない表情はスネイプには覚えのあるものであり、嘗て彼自身も人生に於ける絶望と対峙した際に陥ったものであった。それも彼自身と全く同様のもの、最愛の人間を亡くしたという事実であり、別の男に対するサラの直向きな愛を理解しないスネイプにとってそれは唯の苛立ちとなった。あの男は死んで当然の人間だ、何故そんな男を心から愛したのか。残された人間は死者の後を追う事をせず、生きて行くしかないのだ。こんな簡単な事、君のような人間には分かり切った事ではないのか。惨たらしい程にはっきりとスネイプの頭に浮かんだ念は、あの偉大なる愛の言葉を差し置いて彼に迫った。しかし彼が他人の心に触れようとした時、決まって彼の持つ不器用さは顕になり、鋭利な武器となるのであった。
「一体いつになったら集中する?」
サラはふと考えた。何処かの空の下で自分の運命に出会うのは分かっていた。私は戦う相手を憎んではいない。そして守る者達を愛してはいない。私の国はこの英国であり、同胞は魔法族と非魔法族である。私はいずれ死ぬ事になるが、この者達は困りはしない。そしてとりわけ幸せになる事もない。法律も、義務も、この世の誰一人、私に戦えと命じはしなかった。孤独な歓喜の衝動がこの運命の騒乱に私を駆り立てたのだ。全てを比較し、全てを考察したが、今のこの生、彼の死に比べれば、来るべき年月は空しい生だ。過ぎ去った歳月もまた空しい生である。サラは漠然と、死ななければならないような気がした──唇を噛め、噛むのだ。眼前にいる彼女に向かって言葉を放つ為に口を開けたスネイプは自らそう思い、行動する事に努めたが既に遅かった。
「らしく振る舞え。他人からの指摘なしに出来んのか」
サラは何故か眼を細め、長い間スネイプを見詰めた。するとその眼に突然何かが光った……だがそれは彼に対する怒りではなかった。最愛の人間を失った事による傷害は、一目見ると分かる程に露呈していた。人物が持つ魔力というものは悟性のみならず精神力からも成り立つものであり、今の彼女にはそれが欠如している。高度な魔法、闇祓いにとって命ともいえるそれらの魔法を恐らく彼女は意のままに扱う事が出来ない。だが彼女は弱った精神をそのままに仕事に駆り出しており、足元を掬われるのも時間の問題である……あの男を愛したが為に。何も言う事をせず後ろ姿を見せたサラに、スネイプは此処へ来た本来の目的を思い出した。護りの魔法が術者にどの程度の影響を及ぼすかは分からないが、事実、リリー・エバンズの愛は息子を死から遠ざけた。そうなのだ、その為ならば人間は何だってするべきなのだ。しかしサラは他人から護りの魔法を掛けられる事を了承しない。その事はもはや数学のように明晰に意識していたが、一方で彼は彼女を説き伏せる事が出来るかも知れないという予想をもしていた。この身を捧げて君を守る事を、どうか許して欲しい。君を失いたくはないのだ──だがその予想は、眼から光を失っている彼女を見ると消え果てた。サラの心には今も尚あの男がいる。あの男が死そのものを表し、絶望となって彼女の名を呼んでいるのだ。部屋を辞し廊下を進む彼女に、スネイプは杖を構え失神呪文を放った。闇色の杖の先端から現れた光線は、薄暗い廊下を僅かに照らしながら、その先にいるサラに真面に当たった。ガタン、と彼女が床に倒れる音以外には全くの静謐さであり、スネイプの思考と胸の痛みが耳を聾する程の轟きに感じられた。これが愛か?これが彼女に捧げる愛というものか?彼は恐る恐る近寄ったが、乱れてその美しい顔を隠している髪を退けようとはしなかった。夢で見た死人の顔、彼女の顔を彼が未だに覚えていた為であった。いや、何を恐れる事がある。彼女を死から遠ざける為に私は今こうしているのだ。スネイプはサラの身体の傍に膝を突き杖を向け、何もない手を彼女の肩にそっと置いた。彼女が髪の影から此方を見ているような気がして、彼は目蓋を固く閉じた。己の望み──それはあの灰色の眼。それらを輝かせて優しく微笑みながら、じっと己を見詰めるあの眼──スネイプの言う言葉に彼女が怒る事はないが、あの時、眼には涙が浮かんでいた。彼は心を傷付ける事なしに、心に触れる事が出来ないのだった。