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Flickers of the canyon fire



「初めての空の旅は如何だったかな?」
マグルの作るコーヒーは、勇気を出して飲んでみれば中々に美味しいものであった。色はどれも同じようなものだが、味はそれぞれに異なる事を知ったサラは、搭乗時刻までの時間潰しに出来る限りの飲み物を試していた。心を読むまでもなく、一人の店員には嘸かし迷惑そうな顔をされたが、もう一人の店員には嘸かし愉快な客と映ったのだろう。コーヒーの事のみならず、様々な蘊蓄を語ってくれた。マグル学で一通りの事は学んだが、やはり当事者に聞くのが一番である。学生時代は単位の事ばかりを考え、興味こそ微塵もなかったが、今こうして話を聞くと興味をそそられる部分が多々ある。その店員が客の注文を聞きにサラから離れて行った時、背後から声を掛けた一人の男がいた。彼女はその重低音の声を知っていた。僅かにドイツ訛りで話す男、友人に瓜二つの顔を持ち、周囲の目を引く美しい男。ああ、確か彼の名前は……。
「ハンスさん」
「君に再会出来るとは。不思議な場所だ、空港は」
「ええ。でも人が多くて疲れます」
「君は余り外の世界を知らないようだ」
ハンスという男はサラに探るような目付きを浴びせ掛けた。予想しなかった再会に喜んではいたが、彼女という人間を理解する機会に恵まれた事に喜んでいるように見えた。彼の持つ世界、それは非常に危険な色と香りを漂わせて来るものであり、到底彼女には理解出来ないものであるが、何故かその世界が全く特別のものであるかのように思われた。
「君は周りに溶け込む努力をしているが……先程店員に間違えて渡した硬貨、その手に持っている本、人ではなく建物の構造を観察する癖」
角のない、柔らかな声色で話してはいるが、ハンスの放つ言葉には彼の本心を隠し切れていないものがあった。サラは微笑しつつ、彼の淡褐色の双眸を見上げた。初めて彼の心を見た時に読み取ったもの、何一つ違わぬものが未だ其処にあった。しかし、そんな自分と同様に、彼もまたその鋭い洞察力で自分という人間を見ていたのである。魔術の一つも身に付ける事が出来ない筈のマグルは、眼前に立って此方を見詰めている男は、それを軽々とやってのけた。それもこの自分に対して。ハンスは魔法の存在を目の当たりにした事はないのであろうが、それを感じ取っている。自分という人間と出会ってその疑いは確信に変わりつつあるのだ。『マグルも異質を嫌う。十分に注意しろ』と言った友人の顔が思い出された。眼前の男は、自分と出会わなければ魔法の存在を認知する事はなかったかも知れない。この出会いが一体彼にどんな作用を及ぼすのかは分からないが、しかし以前見ていた世界ではなくなっている筈である。
「そういう鋭いところは友人そっくりです」
「そうかね」
「この世の中、様々な人間が共存しているという事ですよ」
一人のマグルが持つ生命の弦をサラが震わせたという訳である。どのように震わせたかは明瞭には分からないが、ハンスの振る舞いからしてそれは強く、しかし静かなる音を立て続けているに違いないのだ。その時、忘却呪文の存在がふと彼女の脳裏に浮かんだ。今回は杖を預けてはおらず、それはいつものように懐にあり、いつでもその手に収める事が出来る。杖を手にし、一振りすれば眼前の男のみならず、この空港にいる人間全員を意のままに出来る。その力を、我々魔法族は持っている。騒ぎの中に存在するマグルの営みを一瞬で破壊する事も、修正する事も出来る。
「独特の雰囲気が、何か抜きん出たところが君にはある」
「ハンスさん、それはあなたも同じです」
「我々は似た者同士かな」
「……失礼、もう行かなくては」
どうにでも出来る彼等の存在意義とは何であろう、そしてそれは本来あるべきものであろうか。いや、そんな事は考えるものではない。やはり友人の言った通り、我々はマグルとは関わらない方が良い。互いにとってそれが最善の事であるのだ。しかし、その場を辞そうとしたサラの手首をハンスが掴んだ。しっとりと汗が滲んだその手、彼女はそれに瞳を転じた後、彼の顔をゆっくりと見上げた。やはり、やむを得ないか──しかし、その淡褐色の双眸は先程までの、自分を探るような意を孕んではいなかった。
「無礼を許して欲しい。何も君の事を問い質すつもりではなかったのだ」
ハンスは右手で掴んだサラの手首を離した。それは今までペンしか握った事のないような軟弱なものであったが、一瞬垣間見せた、あの人間を寄せ付けない冷徹な一瞥。彼は思わず戦慄に身を震わせたが、それは戦慄などではなく、彼女が無意識の内に放つ、彼には到底理解出来ない何かであるという事が分かった。彼女が何者でもいい。過去に何をし、これから何をしようと、そしてどのような人間であるか。当然気にはなるが、そんな事よりも、あのような一瞥を放つ事が出来る彼女の技倆に胸が高鳴ったのである。やはり、この女は私が見て来た人間とは異なる。だが彼女の属する民族や組織でも、特別彼女は異なる存在であろう。我々の世界でもそれは同じ事である。
「私はただ、君に食事はどうかと誘いたかっただけなのだ」
「食事、ですか」
「どうかね?」
サラはハンスを見てはいたが、瓜二つの友人を思い浮かべてはいなかった。たった一人、彼女の心を占めている男をその目蓋の影に浮かべていたのである。その男はハンスとは似ても似付かぬ容姿ではあったが、ハンスが持つその目の翳りが彼女にある感情を思い出させた。ああ、私はいつまでも彼から離れる事が出来ないのだ。あの眼差しから、翳りあるあの茶色の双眸から。