×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

Tell me all the way to love you



大きな赤い雫のような太陽が地平線に揺蕩っていたが、軈て滴り落ちるように見えなくなった。それが消えた辺りの空が一面に明るくなり、血染めのぼろ布のような千切れ雲が太陽の沈んだ辺りに漂っていた。暮色が東の地平線から忍び寄るように空を覆い、暗闇が東の方から大地に這い寄って来た。夕べの星が宵闇の中にきらりと煌めいた。管理人の猫は開いている納屋に向かってこっそりと歩いて行き、影のように中へ消えた。サラは地下へと降りながら、無理矢理に視界に入って来る、城の細部にまで至る彫刻。それらを横目で眺めては、走馬灯のように自然と思い起こされる遠い記憶に一つ一つ感情を揺さぶられた。卒業したのは然程昔の事ではないが、その妙な懐かしさは彼女が最も苦手とするものであった。呪いのお陰で全てが朧げだが、制服をきちんと着てこの廊下を通り、教室へ向かった。馬鹿みたいに騒ぐ生徒や死んだような顔の生徒、一体自分の何を周りに認めさせたいのか躍起になっている生徒、三度の食事のみを非常に楽しみにしている生徒、そして、闇の魔術の虜になっている生徒──様々な境遇に立たされた大勢の人間が一つの屋根の下で過ごすのだ、これ程に苦痛なものはない。
『君の家は代々官吏なんだろ?』
『君の名字を聞いた事がある』
学校に馴染めた事はなかった。友人はいたが、気が付くと恐ろしい程に皆揃って貴族であり、決まって下ろし立ての制服、鞄、靴を持っており、家柄を象徴する指輪などを身に付けていた。香水を好み、ゆったりと食事をし、名を必死で守っている友人達。サラはそのような人間が無上に好きであった。何の苦労もしていない、遊び人のように周りには見えるが、実は彼等は全く異なる。彼等は彼等にしか出来ない苦労をしており、彼等にしか持つ事の出来ない悩みの種を幾つも持っている。それらを理解出来ない人間が大勢いる為に、彼女は彼等に魅力を感じたのであった。貴族は貴族とのみ理解し合うものである。しかし、そんな一種の連帯から一人外れた人間がいた。バーテミウス・クラウチ・ジュニアである。彼は貴族の風采をその身に持ち合わせていながらも、彼等と馴れ合う事を避けていた。クラウチとは魔法省に勤める人間であれば誰もが知っている名であり、シニアの無情さは有名であった。その為に、闇に関わっているスリザリン生は彼を除け者にし、彼の父親にアズカバン送りにされた生徒は彼に惨い仕打ちをした。終始、彼は此処ホグワーツで父親の憎悪を自分に当てられ続けたのである。
『馬鹿な奴等だ。あんな奴等の家なんか、放って置いても朽ち果てるさ』
彼は決まってそう言った。閉心術に長けていた彼であったが、その言葉だけは包み隠さずにその心の内に刻み付けるようにして言い放つのである。放って置いても朽ち果てる。正にバラデュール家がそうであった。当主は既に行方不明であり、ある日を境にバラデュール家は離散した。同じスリザリン生から仕打ちを受けている彼が、その虐めを見物している群衆の中からサラを見付け出した時、彼の表情は僅かに変化した。彼の茶色の双眸は助けを求めるでもなく、かといって自身を助けない事に対する憤怒や失望を表すでもなく、彼女に対してどんな感情を持つべきであるかを自分で明瞭にさせようと努めながらも、それが出来ないでいるような表情で彼女を見るのであった。
『君を知っている』
『……名字って事?』
『いや、一年の時、魔法薬学でペアを組んだ』
『今みたいに?』
『今みたいに』
それは三学年の時である。偶然にも調合の際に一緒になり会話をした。サラにはこれが全く初めての会話だと思っていたが、彼曰く違ったらしい。彼は大人並みに背が高くなっており、年中受けていた仕打ちは種類の異なるものとなっていた。暴力から誹謗中傷に変わったのである。痩せこけてはいたが、長身で均斉の取れた身体付きに、栗色の髪、端正な瓜実顔、間隔の空いて付いている目は暗い輝きを放ち、極めて瞑想的な、そして見るからに大層落ち着いた青年だった。そんな彼を愛するのに時間は掛からなかった。何を言われても死人宛らの一瞥を揮う堂々とした彼を、不覚にも心の内に住まわせていたのである。
『俺に全てを教えて欲しい』
『どうして?』
『君を愛したいから』
『……愛さなくて良いわ』
『解けよ、閉心術』
彼のあの佇まい、廊下をひっそりと歩くあの姿、そして、微かに微笑するあの悲しそうな表情。それは雪のような大気の白い雲の中で、若々しい暁の赤光が脈動して震えるような恋であった──サラは顔を上げた。教室から生徒がぞろぞろと出て来た。ぺちゃくちゃと喋りながら姿を見せる者、鬱憤晴らしに早速廊下を走る者、中庭や寮へと向かう者、そして、随分遅れて姿を見せたスリザリンの貴族。彼等は彼女の姿を捉えると軽く会釈をした。その凡ゆる重荷に潰された表情は、恐らく大人になっても変わる事のないものである。この自分のように。
「アラスター?」
体格がよく、嘸かし重さのある身体を半ば無理に動かし、中庭を横断している魔法使いにサラは思わず声を掛けた。彼の周りには誰一人として近寄る者がおらず、平和なホグワーツに一点の俗世間に塗れた人間がいる風景が何とも異様であった。しかし、世間の厳しさを体現した彼は、彼女にとっては無上に頼もしく感じられた。彼はもう退職してしまったが彼女同様闇払いであり、元上司であった。
「アラスター、久方振りですね。お元気でしたか?」
ムーディは少しの間、何も返事をしなかった。彼の魔法の目さえも静かにただサラの姿を捉えており、遠くにある筈の生徒達の話し声が大きく感じられた程であった。すると彼はやっと「バラデュール」と唸るような声を放った。彼は此処で、生徒の前で声を掛けられたくなかったのだ、だから私の事を見て見ぬ振りをしようとしたのだと、彼女はそう思った。
「間違っても生徒の頭の中だけは覗くな」
「失礼ですね、そんな事しませんよ。授業はどうです?」
「実践経験のない、間抜け面の輩ばかりだ」
「初々しいじゃないですか」
駆け出しの頃、ムーディにいつも言われていた事があった。それは『油断大敵』ではなく、『真剣になるな』である。それは何も仕事に対してではなく、人間関係に対してである。人間は大切な人を失うと思わぬ事を仕出かす生き物であり、それが下手に作用すると自身を闇に染めたり、自らを殺めたりする。『人を真剣に愛するでない。愛す時はほんの遊び、ほんの隙間を入れておけ』ムーディは誰よりも根っからの闇払いであったのだ。『この世界を救いたいと思うのなら全てを捨てろ。心を無にするのだ。其処には絶望も希望もない、ただ働くのみ』サラは死喰い人など怖くはなかった。ムーディの方が彼等の何倍も、いや足元にも及ばない程に末恐ろしく、彼は彼女の戦慄そのものであった。彼は死喰い人よりも死喰い人らしく、友人であるダンブルドアが持つ一種の狂気を彼も同様に持っており、味方ではあるが瘴気宛らの殺意に溢れた人間であった。
「復帰して早々働き詰めか」
「ええ、これからはもっと忙しくなります。不穏な動きもありますし」
「バラデュール、ポリジュース薬だ」
「……何ですか?」
微風は既に止んでいた。枯草は一本ずつ直立して針金のようであった。一本の針金が震えるような音を立てると、空気の中を震え伝わりながら微かになって行き、微かになって消えてしまうと、辺りは全て死のように静まる──サラは僅かに眉間に皺を寄せた。
「再び戦争が始まろうとも、私は逃げませんよ」
「他の選択肢もあるという事だ」
「心配されているので?」
「優秀な闇払いが皆殺しにされては、次世代に示しがつかん」
次世代?彼は今次世代と言ったか?次世代など我々に一体何の関係があるというのだろう。闇の帝王、そのたった一人を滅ぼす事さえ出来たら良いのだ。他の事、次世代の事など我々は考えている時間もなければ、考えたとしてもどうする事も出来ない。全ては闇の帝王が滅んだ後、その時に残った人間であれこれ考えたら良いのだ。我々はその為に全てを犠牲にしているのだから。
「ヴォルデモートは戻って来るのでしょうね」
「さあな。しかし忘れるな」
一本の針金が震えるような音を立てると、空気の中を震え伝わりながら微かになって行き、微かになって消えてしまうと、辺りは全て死のように静まる。辺り、それは他でもない我々である。全てが静まり返るその中に闇の帝王がいる事を願う。彼がこの世の摂理を狂わせたのだ。その為に我々は走ったり、喚いたり、争ったりしている。クラウチもまた我々同様、偉大なる魔法使いの駒となり、死に絶える定めにある。
「負け戦はするものではない」
魔法の目を忙しなく動かし始めたムーディは、サラが恐れ慄いた闇払いではなくなっていた。前線から退き、その頭や腕に錆を生やした、ただの魔法使いと化していたのである。百戦錬磨の杖が地面を叩く鈍い音と共に男はその場から立ち去った。彼女は追い駆ける事はしなかった。一人の闇払いを懸念するなど、今までの彼にはなかった事である。一体あの彼に何の変化が?いや、こういう事も有り得るかも知れない。考えが一転すると、いつでもその身に変化を齎すという事だ。ムーディのような立派な魔法使いであっても。そして、彼であっても。バーテミウス・クラウチ・ジュニア──すると不意に、彼の死を思う心につれて、極めて遠い、懐かしい追憶の一群が再びサラの胸に沸き起こった。
『解けよ、閉心術。俺も解くから』
サラはクラウチとの告別を思い出した。また、彼女は彼と恋に落ちた初めの頃をも思い出した。ふと彼の笑顔を思い浮かべると、何となく彼も自分も、無上に可哀想な人間と思われた。

Troye Sivan - Lucky Strike