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We shall see truly



スネイプはひっそりとした夜が苦手であった。自身を象徴する色と同様のそれを以前は好んでいたが、ここ数日は苦痛でしかなかった。それは何も夜自体をいうのではなく、何もする事のない夜の時間が苦手なのであった。学習報告書の採点、問題の作成など気が紛れる事があるなら未だしも、特に何もない日、後は眠るだけという夜である。それはスネイプが不意に、物事が突発的に思い起こされるように、サラの事をその胸に浮かばせる為であった。それが昼であれば、彼の視界に入る情報が酷く多い為に、彼女を直ぐに忘れる事が出来るが、夜になると殆どの時間を彼女に費やしてしまうのである。一息ついた時、服を着替える時、誰もいない肌寒い廊下を歩いている時、そして今正にであるが、調合をしている時でさえ。その時間だけは他の何ものにも邪魔されぬ、彼たった一人の時間であったのが、今ではもはや彼女との会話宛らのものになってしまった。彼女は今どうしているだろう?もう眠ったのか、それとも未だ仕事をしているのか。何をその胸に秘め、何を愛しているのか。それを知ったところで、己はどう思うのか。己は彼女を本当に愛しているのか──夜は正に彼女であった。この静寂さは正にサラそのものであった。高学年が履修する薬学の一つに惚れ薬がある。毎年、この薬品の調合の際には薄暗く湿気に溢れた教室が俄かに騒がしくなる。明日の授業も昨年と同様、若い男女の恋愛模様を目の当たりにしなければならないと思うと、スネイプは心底うんざりしたが、その気持ちをそっと宥めたのが他でもない彼女の幻想であった。灰色の瞳、あの誠実だが疲れたような明眸。すうっと微笑するあの表情。彼女は何を愛し、誰を愛しているのか。『セブルス』と動く豊かな薔薇色の唇、ほっそりとした顎、その清らかな肌に触れる事の出来る宝石。スネイプは調合者へと漂って来る惚れ薬の匂いを肺に収めた。インクと羊皮紙、カビが生え掛かっている古い本……そして貴族の屋敷。いつも案内される広間、それは田舎調ではない、上品な家具を豊かに配した広い部屋。ソファーや大小のテーブルなどが沢山置かれており、壁には何枚もの絵が、テーブルには花瓶やランプがあり、花がふんだんに飾られ、窓際にはガラスの水槽まである。訪れるのはいつも夕暮れの為、室内はやや暗い。スネイプは、明らかに今し方までサラが座っていたと思われるソファーの上に置き捨てられたローブや、ソファーの前のテーブルに置かれた飲みかけのチョコレートのカップ二つ、ビスケット、青い乾葡萄を入れたカットグラスの皿、キャンディーを入れた別の皿などをしげしげと眺めながら、彼女を待つのであった。それら菓子の甘い香りと彼女の爽やかな香水の香り。自尊心が強く、何事にも無関心で、澄ました態度で他人を寄せ付けない友人。幾つもの屋敷と膨大な財産を持つ友人。たった一人で生きて来たが、決してその身を闇に紛れさせる事をしなかった友人。喜びよりも素晴らしいものは落ち着きであり、揺るがぬ落ち着きというものは頼りになるものである。慎ましやかな性格、そして、威厳と清潔で静かな美とを身に付けている女。私は今まで己が感じる呻吟の為に、幾度となく虚しく涙を流したが、血もこれほど辛くはない。君の為ならば心から血を流しもしよう。

青み掛かった灰色を持つ大きな羽。スネイプは思わずその場に立ち止まり、空を仰ぎ見た。一羽の蒼鷹が優雅に無限の空を我が物としている。その鷹揚な容姿、特に顔付きはサラという人間を見事に現しており、彼が持つ漆黒の虹彩はその空にすわった。彼女は正に高尚たる魔法を操る魔女であり、どんな高度なものであろうと習得する。スネイプは彼女の守護霊を見た事がなかったが、あの動物擬きと同様、蒼鷹なのであろう。私にはたった一言、あの眼を見ながら言いたい事があるのだ……。微笑で彼の胸の内を燃え立たせているあの光、凡ゆるものが働き動いているあの美、生誕の翳る呪いも消す事の出来ぬあの祝福は、人間と生物、大地と空気と海が勝手に織り成している生の網の中で、凡ゆるものが渇仰する天上の火をそれぞれが映す鏡の為に、時に明るく時に仄かに燃える。凡ゆるものを支える愛は、冷たいこの世の最後の雲を焼き尽くし、今己の上に輝く──スネイプはホグワーツの西塔、梟小屋へと足を運んだ。
「体調は」
「すっかり良くなったよ。ありがとう」
サラは死の淵に立っていたのにも関わらず、見窄らしくなってはいなかった。以前同様、生地の良い一点物の立派な、垢抜けた服装をしていた。整えられた漆黒の髪、施された化粧とその身を輝かせる宝石は、眼前の男に女というものを浴びせ掛けた。彼女もスネイプもそっと呼吸をしていた。遥かに遠い、白い山の荒涼たる辺りから足元の優しい花に至るまで、不思議な魔力が満ちているかのように思えた。一つの精気、震える静かな一つの生命が、辺り一杯に溢れ、彼等人間本性の不安を一瞬の平安に導き、しかもこの不思議な魔力の中心が、生命のない大気を愛で満たしている一つの美しい姿である事を彼は感じていた。
「ダンブルドアは?」
「生憎だが不在だ」
その眼差しはさも親しそうにじっとスネイプの顔を見詰めたが、直ぐにまた何かを捜しているように、辺りに鎮座している様々な色を持つ梟に瞳を転じた。この一瞬の凝視の中に、彼は相手の顔に躍っている控え目な、生き生きした表情に気が付いた。それはサラの淑やかな眼差しとその赤い唇を心持ち歪めている、微かな微笑との間に漂っているのだった。
「アズカバンから数人の死喰い人が脱走したの。魔法省がこの事実を隠していたみたい」
「ホグワーツは十分に警戒している」
「これがリストよ」
サラの回復には当然の事ながら時間を要した。彼女は自らの脳に細工をした為に記憶が破損していたのである。しかし、それらを聖マンゴでは修復する事は出来ず、時間と共に思い出す事しか方法はなかった。退院後、彼女はまた別の別荘へと移り、仕事が出来るようになるまで其処で療養する事とした。単語を忘れたり、主語と述語が交互になったりと初めの頃は話す事が困難ではあったが、スネイプはそれらを一々訂正しながらも、言葉を思い出せずに苛立つ彼女に付き合った。しかし、言語だけではなく、昔の事さえも曖昧な様子であり、騎士団の事を話すと殆ど分かっていない表情になった。恐らく襲撃された際、騎士団員や闇祓いの情報を真っ先に消し守ったのである。当然、スネイプとの関係や共にしている仕事の事を一から話さなければならなかった。しかし、サラは嘘をつく事が苦手であった。他人、彼女をよく知らぬ人間であれば見抜く事は出来ないものではあるが、スネイプにはそれが直ぐに分かった。彼女には忘れていない一つ重要な事があった。それは誰に助けられたかである。『何か思い出したか』そうスネイプが尋ねても、彼女は頑なに『何も』と応えるのであった。それ以上聞いてくれるな、とその眼は語り、何ともいえない表情を浮かべるのであった。それはあの表情、薬品の入ったガラス瓶を見た時の逼迫したような、沈淪したものと同様であった。
「私達も血眼で捜索してるけど、何一つ掴めてないの。ポッターに危険が及ぶかも」
何かしら有り余るものがその姿全体に溢れて、それが一人でに瞳の輝きや微笑の中に表われているかのようであった。サラは故意に眼の輝きを消したが、それは却って彼女の意志に反して微かな微笑となって光った。スネイプはサラを眺めながら、その顔に表れた新しい精神的な美しさに打たれた。美とは、美というものは彼女に与えられるものなのである。
「誰に助けられた?」
「同僚」
「嘘を言うな」
「知ったところで何の意味も成さないでしょう」
その眼は笑みを含んではいたものの、今はもう他人を寄せ付けぬ厳しさが感じられ、スネイプもはっとする程であった。所詮、彼は友人であり、友人は彼女の領域へ入る事は許されないのだ。サラは先程礼を言ったが、心の籠っていない唯の言葉である事を彼は分かっていた。頼んでもいない事を勝手にされるのは彼同様に彼女も嫌いであったからである。互いの仕事を知った際、彼等は自己を危険に晒してでも助け合うなどの陳腐な約束はしなかった。その心の強靭さがなくてはこの時代を生きては行けないからである。しかしながら、スネイプはもはやその強靭さを失いつつあった。彼の思いはその肉体と同様、何一つ新しいものに衝突する事なしにぐるぐると円を描くのであった。
「君の薬だが、私室に置いてある」
「もう大丈夫だと思うけど」
「持っておけ。毎回あの屋敷しもべ妖精に来られては敵わん」
たった一言、この眼を見ながら言いたい事があるのだ。スネイプの顔は、見る間に、険しい表情に変わったが、それは己の内気さに打ち勝とうと向きになったからであった。たった一言、その言葉にどんな力があるのかは分からない。しかし、死に急ぐ君が少しでも思い止まる事が出来たら、そのたった一言でそれが出来たら、それは望外の喜びである……。