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Two hearts



預け荷物の中に杖を入れた事をぼんやりと思い出した時には、ペラペラの長細い用紙を笑顔と共に渡されていた。何度も繰り返し、それこそ家を出る間際まで、『杖は絶対に預けるな。一度預けたら目的地の空港まで戻って来ないと思え』と友人から散々言われていたのにも関わらず、この通り、命宛らの物をあっさりと預けてしまった。初めて訪れる空港で気持ちが逼迫していたのだろう、サラは渡されたペラペラの長細い用紙を片手に、うろうろと空港の中を彷徨っていた。しかし、それも最初だけで、このようにうろうろしていても何にもならないと気が付くと、偶々視界に入って来たコーヒーショップへ足を運んだ。ただ単に疲れたのである。道具ではなく人間が忙しなく動いているのが何とも不思議で、機械音と人間の話し声で其処は中々に騒がしかった。マグルが一体何をそんなに真剣に話す事があるんだろう?列を成している、その最後に並ぶと、サラは顔を上げた。掲げられている、どれも同じようなメニューを見て思わずぞっとした。一体これらの違いとは何だ?どれも同じ色をしているではないか……そういえば、マグルのお金って持って来たっけ?ああ、セブルスが換金してくれたのを忘れていた。あれ、これもまた預け荷物の中に入れたのでは……そう思いながら革の鞄の中に手を入れた時、再び脳裏の中で自分に向かって嫌味を言い出す友人の意地の悪い顔が浮かんだ。しかし、その浮かんだ顔がそのままそっくりサラの前に現れたのである。何故か背広を着た友人は店員に簡潔に注文をすると、物が出来上がるのを待っていた──いや、スネイプの訳がなかった。しかし、その男の横顔は彼と全く同様のものであったのである。
「私の顔に何か付いているかな?」
白髪混じりの茶色の短髪、丁寧に整えられた髭、そして淡褐色の虹彩。ここまではスネイプとは異なるものであるが、眉間にある皺、鉤鼻や唇、そして表情の動かし方などは見覚えのある、いや、友人がする仕草そのままであった。サラは普段髪で覆われているスネイプの耳を見た事はなかったが、男の露出した耳の形を見て、彼もこんな耳をしているのだろうかとさえも思った。男は自分を凝視している女を見て、不快さを表に微塵も出さず、これまたスネイプ同様、重低音の声でものを言ったが、それは優しい、棘のないものであった。
「いえ、すみません。私の友人によく似ていたものですから」
すると、男とサラが頼んだコーヒーが同時に出て来た。男はサラの言葉に柔らかく微笑して、「どうも」とそれを受け取った。あんな表情、セブルスは絶対しない、いや、出来ないな──そう思いながら、遂に見付けたマグルのお金を払い、サラもそれを受け取った。じんわりと温かい容器が異様で、一体これは破裂しないのだろうか?と疑問に思い、思わず懐に手を伸ばしたが、杖なんていう便利な物は其処にはなかった。
「もしかすると生き別れた兄弟かも知れん」
騒がしいコーヒーショップの外へ出ると、立ち止まった男はサラに言った。サラの方へ向いている体躯はスネイプ同様長身であるが、彼とはまた違う自信と威の風采をその身に纏っていた。
「彼にそんなユーモアは思い付きません」
「ユーモアは時として人生には必要だと、その友人に伝えてくれ」
男は世に通用する美を持っていた。それは隠されたり濁されたりする事なく、上質な衣服と清潔さで絶えず周囲に放たれており、それはぼうっと歩いている人間や思いに耽りながら座っている人間も、男が目の前を通るとはっと我に返り、その姿が遠くへ行くまで目で追う程のものであった。現に今も、店の前に立っているだけであるのに、彼に気が付いた人間はちらちらと様子を窺っている。顔を見たり、服を見たり──頭から爪先まで一通り見る人間もいた。
「君はアメリカへ?」
「そうです」
「アメリカは初めてかね」
鞄に入れずに手で持っている券を見たのであろう男はサラに尋ねた。周りの視線には気が付いている彼であるが、そんな視線を受け止めるどころか、それらを毅然とした態度で終始跳ね返していた。男が持つ冷たい心。その中にあるものは何だろう、とサラは男の意識の中へと潜り込もうとした。
「ええ。飛行機も初めてで」
「緊張するだろう」
「出来れば乗りたくありません」
「約八時間だ」
「脅さないで下さいよ」
白い歯を見せて笑うと、眼前の女も釣られて微笑した。男はコーヒーを飲みながら、その淡褐色の目で女、血がその下で脈打っている端正な顔を一瞥した。教養は身に付ける事が出来るが、品というものは出来ない。その人間の生き方、思考、哲学などが無意識の内に表へ現れるものであり、その女は世の煩いや騒がしさなどを微塵も持ち合わせていないような人間であった。何でも器用に済ませる事が出来そうでありながら、何事にも無関心なように見えた。人々が欲し、必要とするものに対する無関心が、常に女の内部に残っているようであった。女は奇妙な沈黙の世界に住み、其処から静かな眼を通して外界を眺めているのだ。女はどの世界でも異邦人であり、孤独で、その誠実な眼、その眼が唯一世界と繋がりを持っているものであるように男には見えた。
「ハンスだ」
右手を差し伸ばした男は、真面にサラの双眸を捉えた。闇色ではないその瞳は益々スネイプを彷彿とさせたが、その美しい男の瞳の中、心の中には自惚れと野望が聳え立っていた。自惚れとは自らの美に対するものではなく、知識と力を得る自信であり、それらを発揮する勇気であった。そしてその野望──サラはそれを垣間見た時、不覚にもこの世界の苦悩を感じ取った。
「ソフィアです」
「ソフィア、君が飛行機とは無縁の人間なのは納得するよ」
「どういう事でしょうか?」
サラの手を掴んでは離した無骨な右手は、再びコートのポケットの中へ入れられた。その男の手はスネイプの手、スネイプが持つ綿のような繊細さは皆無であり、その手はガラス瓶を持たず、薬品を混ぜる事をせず、他ならぬ武器を操る革命家の手であった。
「いや、聞き流してくれ。では何れまた」

Phil Collins - Two Hearts