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How will you keep from dying?



灰色に沈んだ、サラの瞳の色と同様の杖。それには先端から持ち手にまで刻まれた一本の深い傷があり、黒ずんで、其処からまた小さな傷が数箇所現れていた。クラウチは指でそれを回しながら、日の光が差している窓際へと歩み寄った。燦然と輝く光の下に杖を当てると、今にも朽ち果てそうなそれは、柔らかな宝石のように静謐の中に輝いた。サラの持つ灰色の虹彩も、日の光の下で煌めくと同様の色に変化するのだ。この色を俺は知っている。いや、知っているばかりではない……。クラウチは杖を掲げ、頭上に持って行き、その小さな傷一つ一つをまじまじと見詰めた。その眼は深い聡明らしい表情に輝き、玲瓏たる彼女の魔法は天籟の如く、彼女の中に流れていた──あの男は彼女を愛している。あの夜に見た、男の表情に示された何か異常な、神秘的なもの。感じざるを得なかった、一種の特別な力や偶然の暗合。あの男はサラを一人の人間として愛している。それだけの力と自由をあの男は持っている。俺が望む全てのものを、嘗て俺にもあった筈のものを、あの裏切り者は持っているという訳だ。そして、それらをいつでも発揮出来るのだ。彼女の魂の前に立つ事が許され、魂の前に跪く事が出来るのだ──小さな紙を持った梟が窓から飛び立つのを確認すると、クラウチは振り返り、依然として寝台に横たわっているサラを見た。そして、手に持っていた灰色の杖を懐に入れると、自分の物である本来の杖を取り出した。俺には何の力、何の自由もない。何一つ、この俺にはないのだ。クラウチはそっとサラの方へと近付き、その杖を彼女の枕元に置いた。暫くの間、彼は黙ったまま、死人宛らの顔付きで彼女を眺めていた。しかし、不意に、微笑が額の髪の毛や皮膚を震わせて、その顔に浮んで来た。彼は相変らず静かな足取りで部屋を出て行った。すると、彼の心の中に甦り掛けていた亡霊は再び死んでしまって、ただ苦しい程に彼の胸を締め付けるのであった。

真珠貝の雲の下。スネイプの人生とは縁のない、優雅で、複雑な思考をその胸に秘めた女性は、何か考え込むような風情で、彼の頭越しに朝焼けを眺めていた。その幻影が消え掛けた瞬間、誠実さの籠った二つの眼が彼をちらりと見た。彼女は相手が誰であるかに気付いた。すると、思い掛けない喜びが彼女の顔をぱっと明るくした。彼が見誤る訳はなかった。あの眼こそ、この世にただ一つしか有り得ないものであった。彼の為に、生活の光明と意義の全てを集中する力を持った人間は、この世にただ一人しかいないのであった。それは彼女であった。それはサラであった。彼女は屋敷から騎士団の本部へ行くところなのだ、と彼は察した。すると、このまんじりともしなかった一夜に、スネイプの心を興奮させた一切のものが、彼の一切の思考が、何もかも瞬く間に消えてしまった。ただ彼処の中に、あのみるみる内に遠ざかって、道路の反対側へ移って行くあの後ろ姿にこそ、このところずっと彼を悩まし苦しめている生活上の謎を解く可能性が見出されるのであった──スネイプは一度読み終えたが、相変わらず怪訝そうな面持ちで何度も繰り返し目で追った。そうしている内に、彼は酷く倉皇し始め、文字盤の針を見ても一体何時なのか分からず、その唇には病的な痙攣が起こって来た程であった。そろそろ始まる新学期の準備に早朝まで起きていたスネイプが梟から受け取ったのはたった一通の、封筒にも入っていない、小さく丸められた手紙であった。忌々しい広告の用紙とは異なり、上質な羊皮紙であったそれは、嘸かし彼を警戒させた。しかし、それには何の魔法も掛けられていなかった為に、彼は灯りの傍へ行って、それを読んだ。死喰い人の襲撃を受け、屋敷に三人の遺体を残し、忽然と消えた友人の居場所が其処には書かれてあった。やや右肩上がりの、とても綺麗とは言えない字体は男のものだと分かった。スネイプは直ちに支度をし、その手紙を散らかった机の上に置いた。何の根拠もない手紙を頼りにするのは大胆な事ではあったが、例えこれが罠であったとしても行かない訳にはいかなかった。サラは、彼の友人は、この数日間、全くの消息不明であったからである。スネイプが記された目的地へと移動している間にも、脳裏に浮かんだ先程の幻想が、彼女の後ろ姿が絶えず彼の胸に迫った。重い瞼を閉じると、それらは再び鮮明に、だが手の届かないところで再生されるのであった──此処に取り残されたものは、ただがらんとした駅のホームと、行く手の街と、一切のものに縁のない、孤独なスネイプ自身だけであった。彼は空を仰いだ。先程見たあの真珠貝の雲を捜そうと思ったのである。それは彼にとって、思索と感情の動き全てを象徴するものであった。しかし、空には真珠貝に似たものはもう何一つなかった。その測り知れぬ高みでは、早くも神秘的な変化が行われていた。其処には真珠貝の跡形さえなく、空の半ばを覆う、平らな雲の絨毯が一枚広がっており、その小羊のような模様は先へ行く程次第に小さくなっていた。空は青み掛かって輝き始めた。そして、彼のもの問いたげな眼差しに対しては、同じような優しさを示しながらも、しかし、相変わらず近付き難い厳しさを持って答えるのであった。あの単純だが苦しい、罪の意識の中で呼吸をする生活へはもう戻る事は出来ない。もう、戻る事は出来ない。私は彼女を愛しているのだから。スネイプの精神力は殆ど無意識に、この恐ろしい境遇を見まいとする努力にのみ向けられていた。恐ろしい境遇、つまりサラの喪失は、己の喪失の象徴のように思えた。彼女の眼差しは己の胸に差し、彼女の言葉は己の胸の闇を払った。そして、彼女はこの身にただ一つの休息を齎した。その為に、世の厳しい掟に従い、定めのない運命に己は耐える事が出来た。この破れた心を結ぶ鎖はその時、朽ちていたが──心は砕けなかったのだ。スネイプの頭上に存在する太陽は暖かみと輝きとを増して来た。柔らかく、囁くような風が南西から吹いて来て、渓谷の両側に聳える山々は薄白い霧に霞んでいた。

Bobby Caldwell - Heart of Mine