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Win laurels



サラ・バラデュールの祖国は英国から随分と遠い所にある。約七年続いた戦争は数年前に終結し、今では英国と肩を並べる事が出来る程の大国にまで成長した。その国は北極に近い為に、人間が住む事の出来る場所が限られている。人間が密集している街から一歩外へ出ると、其処には茫漠と続く白い大地が待っている。其処を歩けば最期、冷たい空気により肺が凍り、吐血で窒息死をするのである。戦時中、弱った人間は皆その方法で死に至った。魔法によって死んだならば血は出ないが、窒息死をした人間の周りは血で真っ赤に染まるのである。クィディッチでスニッチを捕まえると英雄になったが、祖国では、敵国の人間を一人でも多く始末すると英雄になった。凍結した湖の上で、脱色した山々を背に戦った。何の為とも分からず、ただ国の命令に従い、自分と何ら変わらぬ人間──忍耐力がある人間、勇気がある人間、誠実な人間、信仰心を持つ人間に杖を向けた。

人間は死に掛けている動物を見ると恐怖に囚われる。自分自身に他ならないもの、自分の本質であるものが、自分の目の前でまざまざと消滅して行く──存在を辞めて行くのだ。しかし、死んで行くのが人間であれば、しかも愛する、生々しく感じられる人間であれば、生の消滅を前にした恐怖の他に引き裂かれた事と精神的な傷とが感じられる。そして、その傷は肉体の傷と同じように、時には死に至り、時には全快するが、 必ず痛みを伴い、また、痛みを掻き立てるような外からの接触を恐れるのである。次第に高まって行く人間の雷霆の如き声の響き。そして、後から後からと浴びせ掛けられる、猛烈な罵詈の声は耳を聾する轟きとなってサラの身に強く迫った。彼女の精神力は殆ど無意識に、全ての兵士と同じく、自分の恐ろしい境遇を見まいとする努力にのみ向けられていた。十五歳の少女であったサラは大人と共に前線へと出撃した。横に一列に並んだ兵士が凍結した湖の上を歩み、敵陣へと迫っていたところに、途端、唸りと爆発が彼女の五歩ばかり前、水分を含んだ地面に陥没した穴を出現させた。思わず寒気がさっと彼女の背筋を走った。初めの不発弾に皆の視線が集まったと同時に、次々と幾多もの砲弾が頭上へと降って来た。足並みを揃えていた兵士が散り散りになり、頭上に張っていた巨大な防衛術が崩壊し始めた。大人達は杖を構え、一斉に走り出した。サラも彼等に続こうとしたが、十五歳の張る防衛術は何の役にも立たなかった。炸裂の響きと、壊れた枠の欠片のような物がひゅうと唸る音を立て、魔法薬の匂いがむっと鼻を打つと、サラは脇の方へ飛ばされ、片手を上げたまま胸を下に倒れた。意識さえ失わなかったが、右の脇腹からは大きな血の染みが氷の上に流れ広がった。──これが一体死なんだろうか?サラは全く新しい羨望の眼でもって、冷たい白色の地面や、苦蓬や、旋回する砲弾から舞い上がる煙の流れを見ながら考えた。私は死ぬ事が出来ない、死にたくない、私はこの生活を愛している、この雪と土と空気をこの上なく愛しているのだ……。
『天の凡ゆる祝福が君の上にあらん事を』
闇と恐怖の中に彼を思い浮かべながらサラは思った──さざめきと音楽とが縺れ、喜びに溢れたあの日々の事を。世を重んずるように出来ていない私は、もっと早くに世を捨てるべきであった。捨てなかったのが愚かだった。私の過ちが、かくも大きな犠牲を生み、それが思った以上のものだったとしても、私は知っている。私の失ったものが何であろうと、私から彼を奪う事だけは出来なかった。それだけは、神にも出来なかったのだ──金色のスニッチが真っ赤に染まった地面の上にポツンとあった。微動だにしないそれは、血の細波を立てる事はなかった。サラはこれまでの道のりで見続けた、肺が凍り、吐血によって窒息死した同胞達を思い浮かべた。次は私だ、次は私だ……。サラの灰色に沈んだ眼には、雪に覆われた山々が映った。彼の面影は常に彼女の身近にあった。彼女を巡り、彼の面影が明るい雲の中に漂うのが見えた。それは彼女の心の中に潜んでいたのである。抑え難い力で心が心を引き寄せるのを、そして、愛が虚しく愛から逃れるのを、彼女は此処にいて感じた。サラはクラウチと共に過ごした自分の生活を思い起こして、彼の一言一行にも自分に対する愛を見出したのであった。

気が付くと三時間が経過していた。青白い肌からは発汗しており、額には髪が付き、衣服はしっとりと湿っていた。サラは眼頭を強く押さえた。眠れない。身体には疲労が溜まっているにも関わらず、死に対する漠然とした緊張により、頭はすっかり冴えていた。彼女は手を伸ばす事なしに、付近にある棚の中から瓶を一つ取り出した。しかし見てみると、その瓶には何も入ってはいなかった。苛立った素振りで即座に魔法を解くと、それは音を立てて地面で割れた。それに構わずに、また新しい瓶をその手に取ると、中に入っている錠剤を幾つも口に入れた。発作が来る前にどうか効いて欲しい。サラは頭の中でそう自分に言い続けながら、身体を胎児宛らに丸くさせて再び横になった。しかしその内に恐れていた事、両手が小刻みに震え始めたが、彼女は呪文のように先程の言葉を繰り返した。時が癒すと言うが、実際は違う。痛みには慣れるが、有りもしない答えを人間は必死になって探す。しかし其処には二つの事実があるのみである。一つは、決して元には戻れないという事である。その死を埋められるものなどない。そしてもう一つは、事実を受け入れ苦しめば、また心の中で会えるという事である。家族、友人、同じ言語を操った同胞達に。彼等がくれた愛も喜びも覚えていられる。痛みから逃げては駄目なのだ。逃げると失う。彼等との思い出全てを、一つ残らず。初めの言葉から最後の笑顔まで消えてしまう。だから苦しむのだ、とことん悲しみ抜いて、彼等と共に生きるのだ。
『サラ』
ただ一度、思いが迫って、顔を上げ彼を見詰めた。その日からは、大空の下に彼の他のものを眺める事はなかった。救いのない夢だ。限りない障りが彼と我が運命とを距てている。我が情熱は目覚め騒ぎ止まぬが、彼の心には、常に安らぎがあるように……。澄み渡っていたサラの眼は忽ち曇り、其処には続いて異常な輝きが示された。大粒の涙が一滴溢れたと思うと、眼尻から一本、銀の筋を引いて流れ落ちた。寝室の窓の外、晴れ渡っている夜空には欄干たる星々が現れていた。──迷走する全ての船を導く天の星だ。人間に出来るのはその天空の位置を測る事だけだ、その真価は分からずに。

The Isley Brothers - Voyage to Atlantis