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My love is strengthened, though more weak in seeing



太陽は厚い雲の影から昇り始めたばかりであった。空気は清々しく露に満ちており、野原では雲雀が鳴きながら、丁度水面に浮かぶ泡のように一羽一羽舞い上がっていた。サラはその景色を、クラウチは左側にいる彼女に視線をやりながら、競技場へと続く道を歩いていた。彼女はゆったりと歩いており、足元には殆ど力が入っていない素振りであった。雪色のローブを纏った痩せ細った身体は、向かい風に抵抗しておらず、その風は彼女の身体の中を通ると背後へ発散していた。最低限の力でもって彼女の身体はひっそりと歩いていたのである。死がその身体の中にはあった。それは一つではなく、多くの死が其処には詰め込まれているようであり、それをクラウチはサラの姿を通して見た。いつか彼女の元へやって来るであろう死は、自分のものとは違うもののように思われた。
「二年の奴が一人、応募して来てな。そいつが中々上手いんだ」
「その生徒は何を?」
「恐らくシーカーだろうな」
シーカー、という単語を言った際、クラウチの声は僅かに震えた──お前とこうして目と目を合わせていると、何もかもが俺の頭へ、俺の胸へ迫って来て、永遠の神秘として俺の傍らに、目に見えるが如く、見えざるが如くに働くのだ。俺の胸を一杯になるまでその気持ちで満たすが良い。そして、俺がその感覚に浸って祝福を覚えた時に、それを幸福とか、真情とか、愛とか、神とか、何とでも気に入るように名付けたら良いのだ。感情こそは全てであって、名前などは天の焔を朧ろに包む響きが煙のようなものだ──クラウチは続けて言った。
「前にやってた奴は鎖骨を骨折して辞めたんだ」
「シーカーはちょっと厄介だからね」
「お前は怪我こそしなかったな」
クラウチの、低音だが楽しげな声に吊られて笑ったサラであったが、果たしてそうだったかと彼女は過去の遺物を想起しようとした。しかしそれらは殆ど消え掛かっており、古いガラクタ宛ら使い物にならなくなっていた。箒やスニッチの質感、全身を潰そうとして来る強烈な、だが澄んだ空気、そして変わらず其処に存在する清らかな晴れた空。感覚としては前世の出来事のようであったが、恐らく、先程想像したようなものであったのだろう。クィディッチが生活の中心であった日々は、今では全て彼女の頭の中で拵えたものに過ぎなかった。
「危険を察知するのだけは上手だったかも」
サラは過去を即座に創造した。彼女はクラウチが想像している過去そのままを演じようとしたのである。実際、クィディッチの事のみならず、彼女は殆どの事を覚えていないのであった。此処からの情景、向こうへと続く廊下も、初めて見る感覚であった。途端、サラは自分が何故此処にいるのか分からなくなり、一様に恐怖の念を感じた。彼女は思わず彼を見たが、彼は、お前の一眼でも、一言でも俺にとっては、この世の凡ゆる知恵にも増して嬉しいのだ、と言わんばかりの眼差しを自分に注いでいた。
「ずっと監督を?」
「三年前からだ。俺ら同世代が固めてる」
クラウチは顔に広がる幸福の微笑を、やっとの事で抑えながら答えた。
「今年こそはスリザリンを優勝に導きたいと思ってるんだ」
今年は、お前がいる。そうだ、これこそ、本当の生活というものだ。これこそ、本当の幸福というものだ。クラウチは心の中で考えた。今打ち明けてしまおうか?いや、今言うのは止めておこう。だって、今俺は幸福なのだから。例えそれが期待だけでも、幸福なのだから……。サラは、一人でに輝きを増したクラウチの双眸を見た途端、もう彼がこの自分を愛している事を悟った。いや、それはもう随分と前から、彼が言葉に出して言ったのと同じくらい明瞭であった。
「しかしシリウス・ブラック率いるグリフィンドールには油断ならないが」
シリウス、という部分を強調して発音したクラウチは故意に顔を顰めて見せた。如何にも「気に食わん」とその顔には表しており、その理由は、シリウス・ブラックだけが彼と対等に渡り合う事が出来る人間であったからである。頭脳明晰、そしてそれだけではなく、運動能力にも長けている。二人が同じ寮であれば、互いにその長所を尊敬し合う親友になっただろう。しかし、クラウチとブラックは一見同じものを持ってはいるが、クラウチはブラックに「この世の中、そんなヘラヘラする事があるか?」と思っているに対し、ブラックはクラウチに「陰気な奴だ、だからそんな顔になる」と思っている。二人は互いに競争相手である訳だが、到底自分には発想する事の出来ない能力を相手に認めていた。従って、互いに違った種類の閃きというものを作戦の中に読み取った時、「ほう、中々やるではないか」と心底感心するのであった。
「強そうだね」
「骨折させられないように、あの二年を鍛えてやらなくちゃならん」
クラウチがふっと微笑した。大きな目を細めると、目尻には小さな皺が幾つも出来た。それはサラが驚きの気持ちでもって見ている間に消えてしまったが、彼女はその彼の表情を、何故か自分の胸に迫った表情を、頭の中で再び思い起こした。彼女はこの束の間の会話が自分達二人を恐ろしく近付けた事を直感によって悟った。サラは思わずはっとしたが、またそれを幸福にも感じた。彼女はその思考を表に出さないように、クラウチに感知されないように努めたが、彼は自分自身の感情を処理する事に浸っていた。始めから彼女を苦しめていたあの緊張した心の状態が、再び蘇って来たばかりでなく、更に一層激しくなり、遂には何か胸の中で張り詰めていたものが、今にも堰を切って流れ出すのではないかと空恐ろしくなる程であった。
「私は、何をしたら良いのかな」
しかしサラは、そうした緊張感や、その思いを満たしている様々な幻想の中には、不快なものや暗いものは少しもないという事実を知っていた。いや、それどころか、何かしら心の浮き立つような、焼き付くような、胸を軽快とさせるものがあった。クラウチをちらっと見た瞬間、その灰色の眼の中には何かがきらりと閃いた。最も、その火は瞬く間に消えてしまったが、彼はその一瞬に幸福を感じた。
「何もしなくて良い。ただ、見てるだけで良い」
クラウチはサラがこの事に乗り気ではない事を感じ取っていた。話を持ち掛けた際、彼女は「クィディッチ?」という表情を浮かべており、今の彼女はもう昔程の情熱を持ち合わせてはいない事を確信していた。そして終始眼を伏せている彼女の横顔、彼女は必死に昔を思い出そうとしていた。しかしそれが出来ずに、時々彼女は惨めな表情をした。──確かに俺は彼女に嘗てを思い出させようとした。俺は何て馬鹿なんだろう?彼女にはそれがなくたって、彼女は今此処に、俺と共に存在しているのに──クラウチは競技場に聳え立つ幾つもの観戦塔、微風に揺らめく四つの寮の旗を見上げた。サラはクィディッチが心底好きだった。だから自分も好きだった。金色のスニッチを片手に笑うサラを見た時、自分も吊られて笑った。彼女にはずっと笑っていて欲しい、幸福でいて欲しいと思った。自分がそんな昔の思い出を、自分の名よりも大切にしていた事は、彼女には分かる筈もない……。クラウチは癖になっている磊落な、しかも威のある声でそう言った。しかしサラに対してだけは、特に優しく注意深く応対した。彼は十五年もの間、孤独の中で一人呼吸をし続けた。その時に考え得なかったたった一つの事を、彼は考えるようになった。それは彼女が、自分の妻になるかならないかという事であった。彼女を愛していた心は、彼女との再会により更に深く裂け、その恋心は彼に一瞬の安らぎも与えないばかりか、その問題を解決しない限り、自分は此処にいる意味がないのだと彼には思われた。しかし、自分のその絶望は単に想像から生れたものであり、自分が必ず拒絶されるという何の根拠もない事をも、彼は同時に確信したのであった。

Destiny’s Child - Say My Name