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With silent melancholy



サラが此処にいる!此処ホグワーツに、そして、この俺の近くに──彼女を見よう。クラウチは朝早くに目を覚ますと、寝室のカーテンを開けた。未だ太陽はその姿を現してはいなかったが、美しい太陽が其処に燦然と存在しているかのように仰いだ。彼女を見よう。そうだ、彼女を見よう。彼は心から快活に、そして、この事以外にはもう終日他の願いはないとまで思った。全ては、彼の全ては、この期待の中に飲み込まれてしまっていた。クラウチは滅多に大広間へ食事を摂りに行く事をしなかったが、彼女を見る為ならば足を運んでも良いような気持ちになった。彼を常に悵然とさせ、苛立たせ、無上に孤独に、そして不幸にしていた因が一夜で消失したのである。まるで瘴気が治り、何かしら永遠に若々しい力と悦びを呼吸しているように彼には思われた。相変わらず彼は大理石の顔を持ってはいたものの、朝日の光が彼の目に差したのを鏡で見た時、それらが深い聡明らしいものに輝いたのであった。クラウチは自室を辞し、狭く長い廊下を歩きながら、太陽が悠然と昇り始めているのを眺めた──何て美しいんだろう。俺は今までこれ程のものを見た事がない。その露出した廊下から彼はふと下を見た。一つの人間の影が、彼の広い視界の端に見られたのである。それはサラであった。噴水がある広い中庭を横断するように歩いている彼女の姿を、彼の意識は捉えた。その途端、最早記憶の中に存在しなくなったもの、彼女の表情、声、心の働きが鮮明に蘇ったのであった。それらは何も彼の虚偽の創造ではなく、彼女の姿を見て彼の魂が想起したのである──ああ、そうだ、俺は彼女を知っていた。いや、知っていただけではない。彼女の心持ちをすっかり理解していたんだ──しかしサラの顔には、此処ホグワーツにいた間、その眼元にも微笑にも溢れていたあの生き生きした表情が跡形もなく消えていた。いや、今ではもうその生命の火が消えてしまったのか、それとも何処か遠いところに隠れてしまったみたいであった。

サラは一年生にしてスリザリンのシーカーの地位を獲得した為に、既に有名であった。闊達な性格もあって人気者ではなかったが、スリザリンの切り札として赫赫と彼女という人間は存在した。深緑色の慎ましいユニフォームに身を包んだ小柄な体躯は、一度箒に跨るとどんな選手にも劣らず、力強く敏速に、その飛翔力を大いに揮い高く舞い上がった。彼女は試合の状況など顧みる事なく、スニッチただ一つを求める存在である。それを妨げようと相手側は必死になり、作戦を仕掛けたり、徹底的にマークするのだが、彼女には無縁で、全くもって無駄な事であった。下で互いに睨みを効かせている選手達から離れ、一人高みに上がり、ただ静かにスニッチを探すその横顔。灰色に沈んだ、その宝石宛らの瞳を日光に燦めかせているその明眸。クラウチの胸にサラの名前がすとんと落ちた。サラ・バラデュール、サラ・バラデュール、何と美しい響きを持った名前だろう。何と高尚な、毅然とした子だろう。次第に彼はあれ程に夢中であった、スピード感のある試合には見向きもしないで、恍惚と、ただ彼女の姿を追い求めるのであった。彼女がいる。僕らには彼女がいるんだ。彼はたった一人、沈黙したまま空を仰ぐのであった。その空には必ず彼女がおり、彼の両耳を貫く声援は正に、彼女の鼓動の音だったという訳である。バーテミウス・クラウチ・ジュニアという少年は高邁な名家に生まれた。父親の名前をそっくりそのまま付けられるという支配的、教育的な環境下で育ち、それこそホグワーツに入学するその日まで地獄宛らの日々を送っていた。会話のない家庭であったが、その中でも両親からの愛はあった。しかし彼自身はそれを拒絶しており、ないものと看做していた。あれをするな、これをするなと言われ続けた彼は最早何をやったらいいのか分からなくなっており、父親への反抗心もあって勉学だけは他人よりも何倍も努力した。そして彼は次第に周りを見下すようになった。馬鹿丸出しの、幸福な人間とは距離を取っていたのが、もうそれ以外の人間とも話をせず、親しくなろうともせずにいたのである。何故お前は笑っていられるんだ?何故僕が、お前ではなく僕が、あの家庭に生まれて来ないといけなかったんだ?お前よりも賢い僕が?しかし幸福とは、不幸と同様、何の前兆もなくやって来る。それがある人間との出会い、明るく意義のある精神世界へと拉してくれる存在──サラという存在であった。クラウチはその翌年、二年生でスリザリンのチェイサーになった。彼の売りはやはり、その優れた悟性であった。彼は人の思考を読み取る事が容易に出来た為に、敵チームのちょっとした動きから作戦の意図を読み取り、それを次々と阻止するという参謀的思考を買われたのである。そしてクラウチはやっと、サラとの対面が叶ったのであった。
『宜しく』
サラは右手を差し出した。自分と同学年の生徒がチームに入って来て嘸かし嬉しいといった、しかし控えめな微笑でクラウチに挨拶をした。
『チェイサーの事は分からないけど、勝とうね』
サラは顔色が悪く、ひょろっとした男子生徒を真っ直ぐに見た。経験のある先輩でも試合前は緊張するものだが、目の前の彼だけは異なり、ただ静謐で、粛然としていた。四年間、彼と共に優勝杯を勝ち取る事を微塵も予想してはいなかったが、彼女の胸には恐らく、きっと、自分は彼の事を心底気に入るだろうという根拠のない確信が芽生えていた。いや、気に入るだけではない、それ以上かも知れない。
『こちらこそ宜しく』
クラウチは驚きの余りただ佇立をしており、やや遅れてその手を取った。彼にとって初めてとなる試合が今始まろうとしていたが、その手は微塵も震えてはいなかった。勝利する自信があった為である。何よりも目の前の彼女、サラがいるのだ──その試合は最後、彼女がスニッチを捕まえてスリザリンの勝利に終わった。その瞬間をクラウチは見上げていた。彼女は黄金に輝くスニッチをその手に収める時、ふっと微笑むのである。未だ幼いスリザリンのチェイサーは彼女に捕まえられたスニッチ宛ら、彼女に心を奪われる事を許したのであった。