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Fortune’s disfavor



時々は、サラが自分のもののような気がした。彼女を僕に与えたまえ。彼女を僕に……。クラウチは決して自分を欺いているのではなかった。彼女の灰色の眼の中には、彼と彼女の運命への偽りならぬ共感が読み取れた。その事を確かに彼は感じた。この点では自分の心を信じて良いのだが、サラは──この至福をこの言葉で言って良いのだろうか?言う事が出来るのだろうか?──サラは僕を愛している。僕を愛している。彼女が僕を愛してから、自分が自分にとってどれほど価値あるものとなった事だろう。僕は自分をどれほど尊敬する事だろう。サラの汚れのなさ、打ち解けた心。話をしながらその手をこの手に重ね、興に熱しては身を近付けて、その口の清い息吹が僕の唇に触れさえもした。僕は雷光に当たって気を失うのではないだろうか。サラは僕にとって神聖だ。その前にあっては、一切の欲念は沈黙する。その傍にいる時、心は最早此処にはなく、凡ゆる神経の中に魂が顛倒する──サラにはあるメロディーがある。それを鍵盤の上に天使の力でもって奏でている。素朴に、魂を込めて。サラが愛するあの曲、ただその始めの一つの符が鳴り出でる時、それは僕を凡ゆる苦悩、錯乱、懊悩から解き放つ。
『君が好きだよ』
幾度となくそう思ったが、口にする事はなかった。

正に運命の力、それも不気味な運命の力がクラウチの身に降り掛かった。足音を立てずに静かに訪れたそれは、最早彼の力ではどうする事も出来ない恐ろしい勢いで彼を呑み込んだ。サラが此処ホグワーツで教鞭を執るという知らせが彼に届いたのである。
『すみません、今、何と?』
二時間か或いはもっと長く、クラウチの心はこの事で酷く夢中になり、終いには血が沸き返り、ただ熱心に考えただけであるのに、まるで熱病に冒されているみたいに動悸までが速くなるという始末だった。思わず洗面所へ駆け込み、真正面から鏡を見た。今にも死にそうな、顔色の悪い、それでいて老けた、冴えない男が其処にいた。クラウチは頭を抱えた。
『サラ・バラデュールですよ。あなたと同じ学年でしたでしょう?』
『ええ、マクゴナガル先生、それは分かっています。彼女は……、』
『アルバスの提案に快諾してくれたそうですよ』
太陽は城の反対側へ回って、開け放しにした窓越しに、夕暮らしい斜めな光線を部屋の中へ投じながら、クラウチが見詰めている自分の顔の一部分を照らした。茶色に輝く目、その目に嘗て映っていた女性が、俺の命が、此処に戻って来る──彼の思想の歩みははたと止まった。彼は無意識に、晴れ渡ってはいるが風の強い夕景の涼味を、我ともなしに吸い込みながら窓の向こう側を眺めた。

クラウチは会釈をしてから大広間へ入ろうとしたが、何とかもう一度この女性を振り返って見たいという切実な思いに駆られた。それは相手が非常な美人だったからでも、その姿全体に漂っている繊細な感じや、慎ましい優雅さの為でもなく、相手が傍を通り過ぎた時、その愛らしい表情の中に一種独特な慈しむような、優しいところがあったからであった。彼が振り返った時、彼女もまた顔を此方へ向けた。濃い睫毛の為に黒ずんで見える、そのきらきらした灰色の眼差しは、まるで相手が誰であるか気付いたように、さも親しそうにじっと彼の顔を見詰めたが、直ぐまた、誰かを捜しているように通り過ぎて行く群衆の方へ瞳を転じた。この一瞬の凝視の中に、クラウチは相手の顔に躍っている控えめな、生き生きした表情に気が付いたが、それは彼女のきらきらした眼差しと、その赤い唇を心持ち歪めている微笑との間に漂っているのだった。何かしら有り余るものがその姿全体に溢れ、それが一人でに瞳の輝きや、微かな微笑の中に表われているかのようであった。彼女はわざと眼の輝きを消したが、それは却って彼女の意志に反して、微かな微笑となって光っていた。クラウチはサラを眺めながら、その顔に表れた新しい精神的な美しさに打たれた。彼の思いはその肉体と同様、何一つ新しいものに衝突する事なしにぐるぐると円を描くのであった。
「此処で新しい先生を紹介したい──サラ・バラデュール」
クラウチの胸の中で心臓がゆっくりと、緊張した鼓動を始めた事が感じ取れた。彼は念を押した。これは恋ではない。自分は当然に、恋とは何かを知っている。しかしこれは違う。これは自分自身の感情ではなく、何かしらの外的な力が自分を捕まえてしまったのだ。自分が此処を逃げ出してしまいたいと思っているのは、そんな事はとても有り得ない事だと自分で決めており、そんな事はとてもこの世には存在しない幸福であるからなのだ。しかし彼は散々自分自身と戦った末、それがなくては生きて行く意味がないのだと分かった。であるから、何とか決めなくては……と一人、その覚悟を放擲しようとしていたのであった。