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Dear for my possessing



小雪はガイに何の知らせもせず、一人、任務へと向かった。その事を知ったのは何日もの間、彼女の姿を彼自身が見ていなかったからであった。家の電気は一向に点かず、里でも姿を見掛けない。何故彼女は恋人である自分に何も言わないんだろう、とガイは思った。しかし忙しい彼女にしてみれば、いつ何処で任務があると一々言うのも面倒な事である。ガイはそう考え、一人納得するのであった。──だが一体あいつはどんな任務を受けているんだろう?否、どんな任務にしろ、あいつに何があっても俺は助けに行く事が出来ない。例え行けたとしても、あいつは「なんで此処にいるの?」とさぞ不機嫌な顔をして俺に言う。絶対に言う……。ガイは小雪に触れた事が殆どなかった。手を繋いだ事は何度かあったが、それらは彼女が応えてくれる時だけであった。繋ごうとした自分の手をやんわり拒んだり、時には自分の手を、今から何を仕出かすのかという風にじっと見詰められた事もあった。彼女と別れた心が痛む時は、微笑も嘆きも共に虚しいと知りながらも、ガイの意識は山と海の上を越えて彼女を訪ねては一人悲しむのであった。待ち焦がれている小雪の、木の葉へ帰って来る時が近付くに従ってガイの不安は次第に大きくなった。彼は自分の息がある内に、この幸福に会う事は出来ないようにさえ感じられた。

朝の光は魔法のように美しかった。菩提樹の枝に立って見ると、木の葉隠れの里は広々と眼前に開けて、その中に河もあれば、沢山の庭もあるし、寺院もあった。そして太陽の光の下に、星屑宛らの瓦屋根を震わせながら、町全体が自分自身の生を営んでいるように思われた。里に辿り着いた時には小雪は疲労困憊であった。もう半日以上飲まず食わずであったが、何より死の恐怖から解放された為であった。彼女は無事に任務を完了した事の報告をして家へ帰った。空腹も喉の渇きも何も感じず、その代わり彼女は普段から癖になっている混乱と絶望の発作に襲われた。もう今は万事終わりを告げた、何もかも滅茶苦茶になってしまった、そして正も不正もなければ未来もない、この境遇を脱すべき道もない、こういう風な考えが急に彼女の頭に浮かんだ。彼女は俯き、額を手で摩りながら、如何にも頼りなさそうな姿で椅子に腰を掛けてみたり、また立ち上がってみたり、窓の傍へ寄って空を仰いだり、机の上に置いてあった書物を取り上げたりした。すると、間もなくして玄関の扉を誰かが叩いた。
「──小雪、俺だ」
ガイであった。その瞬間まで小雪は彼の事を忘れていたが、まるで目が覚めたように、彼が自分の恋人であるという事を思い出した。彼女はゆっくりと扉を開け、彼の姿をその眼に映した。
「おはよう」
ガイはにっこり笑った。彼女に会いたくて仕方がなかったという表情であった。そんな彼に「……おはよう」と小雪は応えた。今まで直面していた、血生臭くて色褪せた世界とは全く別の現実が彼女を捉えた。人の運命は様々だ。退屈な、人目につかない一生をやっとの思いで引き摺っている、みんな似たり寄ったりの不幸せな人々がいるかと思うと、一方では彼のように面白い、明るい、意義に満ちた生活を送る巡り合わせの人もある。硬直した整った顔はやはり大理石で掘り上げられたようだったが、彼女の青白い顔に浮かんだ微笑には子どもらしくない、限りもない悲しみと深い哀願とが溢れていた。
「散歩をしないか?少しだけ」
その提案に小雪は微かに眉を寄せた。任務終わりは益々人と関わらず一人でいたいと思っている彼女にとって、誰かと過ごすという事は地獄宛らに思えた。彼女はふと背後を振り返った。自分の家の中を見たのである。其処には良い思い出や、笑えるような楽しい思い出が何一つなかった。其処にあったのは先程襲われた発作と、蝕むような孤独と、一枚のガラスを隔てて見る景色だけであった。美しい精神活動へと自分を拉してくれるようなものは何一つなかった。
小雪は黙ったままであった。話す事が何も思い付かなかったのである。しかしガイは心底嬉しそうに、何でもない話を彼女にした。新たに習得した技の事、三人の弟子の事、そして里の事。その一言一言に彼女は耳を傾け、何一つ聞き逃さなかった。小雪はふと思った。自分は一人きりではない。彼、ガイが自分の元へ来た時、自分は彼を追い返さなかった。自分は人間が必要となった時、彼の中に人間を求めたのだ。彼は……もしかすると、運命の導くまま、何処へでも自分の後に付いて来るかも知れない。小雪はガイの横顔を見上げた。筋の通った高い鼻、太い眉、痩けた頬。怜悧な漆黒の目が、あの朝の美しい光宛らに輝いていた。最後の時まで、君の顔が静かである事こそ喜ばしいのだ。過ぎ去った藻掻きを忘れて、苦痛のただ中にさえ、君に微笑がある事こそ。常にガイは小雪に、そして何よりも自分自身に向かって、自分自身の知らなかった秘密を知らせていたのであった。彼は嬉しそうに、また悩ましく苦しそうに赤くなった。彼は自分の動揺を隠そうとした。しかしそれを隠そうとすればする程、益々明瞭に、疑う余地のない言葉以上に明瞭に、彼は自分に向かって、また彼女にも向かって、自分が彼女を愛している事を終始目で語っていたのだった。