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Headless horseman



サラは照準器を覗いた。そして十字にウェスカーの頭を添えるようにして照準を合わせる。寒気が背筋を走り、身体中で何かが素早く、一定のリズムで震えていた。スナイパーライフルに触れている頬や手が高熱を帯びて震えていた為に、そんな些細な動作にも時間が掛かった。サラは今更に自分の四肢が何の役にも立たないように思われた。だが彼女は呼吸を止め、素早く二発撃った。少しでも呼吸を止めると肺が焼けるようであり、サラは苦しさの余り口で息をした。一発目はウェスカーの米神に当たったが、二発目は既のところで避けられた。サラは再び照準器を覗いたが、もう彼の姿を捉える事が出来なかった。その直後、彼女のスナイパーライフルが彼によって弾き飛ばされ、遠くの地面へと転がった。サラがその深緑色の眼でだんだんと明瞭にウェスカーの形を見分け、その目鼻立ちを掴もうとしている間にも吐き気が喉元近くに迫って来た。そして遂に彼女はウェスカーの顔を真面に見て、その視線に出会った。
「止めておけ」
素早くハンドガンを引き抜き、放った二発の弾丸も再び避けられた。そしてウェスカーは互いの体温を感じる事が出来る程に距離を一瞬にして縮めた。その際、サラは彼の米神に瞳を転じた。其処には弾の擦り跡すらなかった。やっとの思いで銃口を彼に向けた彼女は、ハンドガンで、しかもこの距離で外すなど万に一つもなかった。それにも関わらず、サラは撃つ事が出来なかった。ハンドガンを持つ手に力を込める一方で、引き金を引く事はなかった。ウェスカーの美しい顔立ちが、今も尚、彼女の眼に焼き付いたのである。彼女は彼に対して、この世界に対して、憎悪も忿懣も何も感じていなかった。彼がどんな人間になろうと、どんな事をしようと全く構わなかった。彼のせいで自分が死のうとも、全く構わなかった。

ウェスカーは掴んだサラの腕に力を込めようとしたが、何故か上手くいかなかった。手袋越しに伝わって来る彼女の体温が、彼の意識を全く別の場所へと拉したように力が抜け、ウェスカーは暫くの間、微塵も動く事が出来なかった。途端、太陽の鋭く光輝な日が連なっていた厚い雲の隙間から地上へと差した。それにより漆黒のサングラスに覆われているウェスカーの双眸が透け、外から見る事が出来た。赤色の燃えるような、しかし鬱然とした目が其処にはあった。だがそれと同時に、彼の顔は俄かに真面目な、気がかりげな表情になった。つと悲しみの影が差したようにも見え、それがサラを驚かせた。彼女はウェスカーのそんな顔を見た事はなかったし、想像した事もなかった。
「なんで、そんな顔をするの」
挑むようにウェスカーの目を見詰めながらサラは尋ねた。「それは君を愛しているからだ」と彼は言いたかったが、そうは言わなかった。ウェスカーは掴んでいた彼女の腕を解放した。その反動でサラは僅かに体勢を崩し、漆黒の髪を揺らした。途端、その髪の影、サラの鼻から一筋の赤い線が唇の上を走ったのを彼は見逃さなかった。すると今度は口からの吐血を始めた。この地に踏ん張る事も出来ずに、そのままサラは地面に両膝を突いた。口を押さえる手の指の隙間から黒々とした血が流れ出ていた。そして先程まで自分が掴んでいた彼女の腕は内出血をし、紫色に染まっていた。彼女はにっこり笑おうとしたが、笑えなかった。それどころか、却ってその微笑は苦痛を表していた。ウェスカーは沈黙したまま、その場に佇立した。想像通りの事であった。汚染された空気の中で長時間呼吸をすると現れる症状である。アンブレラ社の研究員の大数はこれにより死んでいったのだ。ウェスカーはサラに近付いた。無上に自分の脚が重く感じられた。鉛宛らの身体を、彼は半ば無理矢理に動かした。こうなる事は必定であった。ウェスカーは目の前で身体を震わせている小さな人間を見下ろした。──直に血で窒息する。直に、彼女は死に至る。記憶にあったサラの双眸は、今ではもはや明眸ではなく、深緑色の虹彩は色が薄れていた。これが、己が望んだ死だ。己が唯一、彼女に求めたものだ……。
『緑は豊かさの象徴だ』
唐突に、瘴気のようなものが彼を襲った。彼女の呻吟した表情がウェスカーにそれを起こさせた。彼は息を吸う事もしないで、サラの心臓部に利き手を貫いた。

不意に、この死を思う心につれて、極めて遠い、懐かしい追憶の一群がサラの胸に沸き起こった。彼女はウェスカーと過ごした短かな日々を思い出した。また彼女は彼に恋をした初めの頃をも思い出した。今となってはそれらは幻想と同等のものであるが、ただ唯一の事実は、今も昔も、我々の頭上にはこの無限に広がる空があったという事だけである。悠然と流れる雲。燦々と輝いて我々を照らす太陽は何一つ変わらず其処にある。これがいったい死なんだろうか?サラは全く新しい羨望の眼をもって、草や、苦蓬や、太陽の周囲に暈が現れたのを見ながらこう考えた。私はやっと死ぬ事が出来る。私は自分の生活を愛していた。この草と土と空気を愛していた……。彼らには時間は関係ないのだ。其処には善悪も、知識や思惑も何もない。
「サラ」
ふとサラはウェスカーの表情を見た。サングラスで隠されたその双眸に今、何が浮かんでいるのかは分からない。だが何となく彼も自分も、可哀想になった……。