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After hours



明け方になってサラが落ち着いたのを見ると、ウェスカーはその朝遅くまで彼女の傍にいた。その青白い顔は穏やかで、目は閉じられ、なだらかに息をしているように見えた。ウェスカーは彼女を見ると必ず夏を思い出した。あの暑さや匂い──特に夏は緑の匂いが漂う──をその身に感じ、それらについて何の結論も出さないまま彼は目を閉じた。すると夏の自然の情景が、山奥にある古びた射撃場や彼女のクラシックカー、サングラスを掛けていても思わず目を細めたあの山々の輝きが記憶の中で混じり合った。ウェスカーはそっと目を開けた。人間が目を覚ました時にしばしば感じる誠実な心持ちが、サラの病気について一番気に掛かるものを明瞭に彼に示した。
夜中、ウェスカーはサラがいる部屋へと足を運んだ。その扉を開ける前に、彼は向こうの様子に耳を欹てた。そして彼女の呻き声を聞くと、安堵の溜息を吐きながら、やはり同じ事だと一人ごちた。一体どうしたら良いというのか?私は何を望んでいるのだ──ああ、そうだ、私は彼女が死ぬのを望んでいるのだ。彼は今まで感じる事がなかった嫌悪を自分自身に覚えながらこう叫んだ。彼女の未来に関わる事に触れるのを、彼は異常に避けていたのである。
それは温かな灰色の朝であった。ウェスカーは部屋の前で立ち止まり、絶えず我と我が心の汚らわしさに恐れ慄きながら、サラの部屋へ入っていく前に自分の想念を取り纏めようと努めた。しかし中から微かな声が聞こえると、彼は恐る恐る扉を開けるのだった。
「胸が、胸が苦しい」
サラは大きく、忙しく息をし始め、下唇は震え、美しい深緑色の眸は忽ち涙に潤んだ。彼女の意識がある内に顔を合わせたのはこれが初めてであった。ウェスカーは思わず此処から逃げ出したくなった。しかしそんな彼の心を知らない彼女は、苦しそうに、利き手を彼の方へと差し伸ばした。そして続けて何かを言ったが、呻き声で言葉にはなっていなかった。ウェスカーはその手を取る事をせずにその場に佇立した。
「アルバート」
サラは彼の名前を言った。熱に侵され、無意識の内に幾度となく叫んだ名前であったが、この時だけははっきりと言う事が出来た。日に日に弱っていき、恐らく、間もなく彼らと同じ運命になるに違いない自分の事を彼女は考えなかった。自分の状態が苦しくなるにつれて、これから先の事が恐ろしくなるにつれて、自分の状態とはますます無関係に、嬉しく、心を和ませるような考えや、思い出や、イメージが浮かんでくるのだった。
「大切な……」
ウェスカーは聞き取る事が出来なかった。しかしいずれにしても、今まで彼が一度も言われた事のない、優しい、愛に満ちた言葉を発したに相違ないという事はその眼差しによって察する事が出来た。──私は、私は君が死ぬ事を望んでいる。その事に何も変わりはない。ウェスカーはサラに特別何をするでもなく、ただその症状で死に至るのを待っていたのである。己が彼女を殺すまでもなく、ただ自然の中で死に至るのを……。途端、彼の身体の中を血が素早く駆け巡った。それは恐怖と戦慄と愛の為に力萎えた、今にも破れそうな彼の心臓が送り出した為であった。ウェスカーは彼女の名前を口に出せなかった。その名前と共に、己の懐奥深くにしまってあったものが溢れ出す事を知っていたからである。彼は彼女と共に過ごした自分の生活を思い起こして、彼女の一言一行にも自分に対する愛を胸の内で見出した。

太陽が雲の陰から浮かび出て、綺麗に澄んだ一帯の青空にかかると、風はこの雨上がりの美しい夏の朝景色に傷を付けるのを恐れるかのように、忽ち止んでしまった。雨垂れはまだ落ちていたが、もうその落ち方も真っ直ぐであり、辺りはしんと静まり返った。サラは身体を起こした。まるで水中にいるかのように、手や脚を思うままに動かす事は困難であった。見る事の出来る視界は一段と色褪せており、肺一杯まで深く空気を吸う事は出来なかった。サラは立ち上がり、テーブルの上に置かれてあったハンドガンとスナイパーライフルを手にした。ずっしりとした鉄の重みを全身で感じ取る。長年、窮地を共にした相棒達に付けた名をサラはふと思い出した。ハンドガンには父称、そしてスナイパーライフルには彼の名を付けたのだった。サラは自分が死ぬ事を知っていたばかりでなく、自分が死にかけている事、もう半ば死んでしまった事を感じていた。彼女はこの世の全てのものからの疎外を意識し、存在の奇妙な軽さを意識していた。彼女は急がず騒がずに、自分の前に迫っているものを待ち受けていた。自分が生きて来た間ずっとその存在を感じ続けていた、恐ろしい、永遠の、知られざる遠いものが、今では彼女には近いものになり、彼女が味わっている存在の奇妙な軽さによって、殆ど理解する事が出来、感じる事が出来るものになっていた。太陽はすっかり地平線の上に姿を現したが、やがてその上に被さっている細長い雲の中へ隠れてしまった。暫く経つと、太陽は一段と鮮やかに輝きながら、雲の一端を破ってその上側に顔を覗かせた。急に全てのものがぱっと明るく輝き始めた。

The Weeknd - After Hours