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Stealthy miqueliana



サラは端末を耳に当てた。呼び出し音が彼女には酷く長く感じられた。その間にも、自分の心臓の鼓動が直ぐ傍で聞こえ、頭の中には靄が掛かり始めていた。サラは不意に込み上げてきた緊張で吐息を震わせた。色々思う事があったが、それらを押し退け端末に集中した。
「救急車をお願いします。……いえ、違います、」
電話に出た相手にサラは早口で言い始めた。繋がってしまえば少しは安心出来たが、緊張は更に高まっていた。彼女は部屋の隅にある鏡台に映る自分の姿に瞳を転じた。今夜は……彼との約束があった。光沢のあるドレスも、胸元で輝くダイヤモンドも、今の自分の顔色の悪さで台無しになっていた。彼の為にとした事が全て無意味になってしまった。
「私が、もう直ぐ意識を失うと思いますので……」
住所を言い終わった途端、端末が床へと落ちた。地面に打ち付けられる様子を見て、それを拾い上げようとしたが、その時には既に自分自身も床へと崩れていた。電話の向こうから聞こえる声や、自分の心臓の鼓動も、今では聞こえなくなっていた。背後へ倒れた為にサラは地面に仰向けになり、ぼんやりと天井を眺めた。発作が起きたのである。端末を拾い上げようとせず、直ぐに地面に横になれば後頭部を強打しなくて済んだのに、と彼女は後悔をした。そして彼女は次第に死を意識し始めた。死の存在をその肌に感ずる度に何か重苦しい、神秘的な恐怖が胸に迫った。その際、サラは突然眼に涙が浮かんで来るのを感じた。私は彼を愛しているのだろうか?という奇妙な疑問が、死と共に彼女の脳裏に浮かんで来た。しかもそれはこの時が初めてではなかった。サラは思い出した。何処かへ出掛けた際、それは職場へ行く道々にもであったが、窓から外の景色を意味もなく眺めた事を。自分の境遇は喜ばしいものとはいえないにも関わらず、その流れ行く景色の美しさ──特に空や山の豊かな色──を見て、その馥郁たる香りをこの胸に感じる事が出来た。私が彼を愛していたとしても、それがどうしたというのだろう?とサラは考えた。もしかしたら永久に自分を愛してくれないかも知れない男に、自分から先に恋を感じたと自認するのは随分恥ずかしい事ではあったけれども、誰も決してこの事を知る者はいない。そして恐らく最後になる恋を捧げた男を、誰にも漏らさず一生恋していても、自分には何の咎もないだろう。そう考えてサラは自ら慰めるのであった。だがその一生も、直ぐに終わるかも知れないが……。彼女は彼の笑った顔や、何か悪い事を企んでいる顔などを思い浮かべて涙を溢した。

ハウスはあるレストランのバルコニーにいた。仰いだ夜空は晴れて来て、月よりも星々が輝き始めた。彼はサラに対する愛、今この瞬間まで知らなかったように思われる熱烈な愛の他には、何一つ理解する事も、考える事も、感じる事も出来なかった。ハウスは庭へと駆け出した、ある若い恋人同士の姿をバルコニーから見下ろした。植えられた菩提樹の並木伝いに、彼らは互いに微笑み合い、手を取り合って池の方へと下りて行った。ハウスの頭上には変わらず月と星々があったが、ただ先程よりも余計に明るく感じられた。シルクロード宛らの、星々が放つ光で本が読める程に。ただハウスはそれらを仰いで見る気にはならなかったが、彼の青い目に映る地上は全てが楽しげに見えた。自分がいた世界とは異なる、全く別の世界に来ているようであった。ハウスは腕時計を見て、端末を内ポケットから取り出した。約束の時刻は既に過ぎていた。彼は夜通し患者の病因を探っている部下の一人に電話を掛けた。良夜が、忽ち色褪せていくのが見えた。
「サラ・バラデュール。この患者の住所を調べて救急車を向かわせろ。大至急だ、もし死んだらお前のせいだからな」