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My name no one shall know



青みがかった紫色の断雲は、日の出に赤く映えながら、風に追われて早く早く飛んでいた。辺りは次第に明るくなって来た。道路に生えている小草は、まだ昨日の雨に濡れたままであった。白樺の垂れ下がった枝も、やはり濡れたまま風に揺れながら、横様に明るい雫を落としていた。セバスチャンは決して傍を離れる事のないジョセフと共に、道路の片側に二筋並んだ白樺の間を進んだ。通された事件現場は正に惨憺たる殺戮の場であった。今までと同様、四肢がそこら中に散らかっており、頭の数と合わない。セバスチャンは目頭を指で押さえた。此方を向いている死体の顔が、彼の脳裏に焼き付いた。
セバスチャンには不眠になる時期があった。大抵は強烈な事件現場を見た後であったが、今回は事件の捜査が一向に進んでいないという焦りからであった。闇雲に人間が殺害され、失踪しているのに殆ど手掛かりがない。繰り返し現場に行き、ファイルに目を通しているが、何の事実にも辿り着く事が出来ない。まるで誰かが、ある重大な一点を消しているかのようである。セバスチャンは家にまで事件のファイルを持ち帰り、テレビや夕飯に構い付けずに考え続けた。それはベッドに横になった時でもそうであった。結局一睡もせずに目覚ましが鳴り、酷い顔をして出勤するのであった。

サラはセバスチャンのデスクへと視線を移した。今日は夜勤ではないのに、彼は未だデスクにいた。いた、と言うより、デスクに顔を伏せて眠っていた。サラは辺りを見渡し人がいないのを確認すると、静かに近寄った。彼は僅かに口を開け、気持ち良さげにすやすやと眠っていた。和やかな表情の傍には書きかけの報告書があった。日付を見ると提出期限は今日である。サラはもう一度、セバスチャンを見た。垂れた漆黒の前髪が目元にかかっている。サラはその報告書を手に取り、ジョセフのデスクに座った。何故か二枚貼り付けてある証明書を一枚外し、間違っている字を訂正し、空欄を埋めていった。出来るだけ彼の筆跡を真似し、日付が変わる前にその報告書を完成させた。彼女はその間、自分が以前とはまるでかけ離れた、不思議なもの狂おしい世界、善悪賢愚の見境もつかない世界へ来てしまったのではないかと思った。そして、もはや後戻りする事が出来なくなったのを感じたばかりであった。此処へ異動になる前は麻薬課にいた。通りでの摘発、ガサ入れなど休みなしで仕事をし、その3ヶ月後には売人から物を奪い、ホテルで酩酊し我を忘れた。人間のやる事とは思えない程、最低で不気味な日々であった。自分のこれまでの人生は辛かったが、それでも未だ息をしている。一体いつこの辛い人生が終わるのかと考え続けていたら、彼が現れた。彼は今を生きる事に必死であった。忙しい日々の中に過去や未来の事を考えている時間などない、といった風に。サラはそういう生き方が好きだった。穏やかにゆっくり生きる人生は、自分にとって余りに辛過ぎた。サラは彼の傍にあるコート掛けから上着を取った。どっしりと重いその上着をセバスチャンの肩に被せた。
外は依然として、凍りついたように動かぬ寒気と前に変わらぬ月光であったが、ただ前にも増して明るかった。雪明かりが恐ろしい程に強く、雪の上に煌めく星の数が余りに多い為、サラは思わず佇立してその夜空を仰いだ。地上には余計なものや汚れたものが多くある。しかし天上には必要なものしかない。余計なものである我々は精々、その天上を見て美しいと思う事しか出来ないのである。

Chris Brown - Girl of My Dreams