×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

Flashes across his mind



ウェスカーは射撃場に設置されているサイレンを鳴らし、その騒がしい音を聞きながら芝生へと足を踏み入れた。狙撃する場所から遠くなればなる程、そのサイレンの音は空中で歪み、何もない辺りに無闇に響き渡った。切り崩され崖になったその傍に立てられた、幾多もの銃弾を受け止めた跡のある鉄の厚い板。的が印刷された紙をその板にクリップで留めた。ウェスカーは振り返り、自分が歩いて来た距離を眺めた。遥か遠くに彼女の姿が見えた。
ヘッドホンをしたサラはパイプ椅子に座り、望遠を覗いていた。いつでもどうぞ、と言わんばかりの余裕のある態度にウェスカーは心を揺さぶられながらも、身体を地面に伏せた。そしてスナイパーライフルに一発、弾を込めた。彼女が愛用しているこの銃には、特に注意を払った。まるで彼女自身に触れるように──ウェスカーは一度も、彼女に触れた事はなかったが。自分を殺そうとしている敵が其処にいる時よりも、彼は少しばかりの緊張を感じた。風は少し吹いていたが、この場に流れる独特の静寂さがその身に染みた。途端、その静寂さを劈くような破裂音が起きた。ウェスカーが撃った一発目は、的の一番外にある9の範囲に当たった。
「右15センチ外れ」
サラの声は何処か嬉しそうであった。総隊長であるウェスカーの撃った弾が中心を外れた事に、彼女は優越感を一時的に覚えたのだった。そして何より、自分が使用しているライフルを彼が使ってくれている事が嬉しかった。照準器を覗き、銃身に手を添え、狙いを定めている姿。リーダーらしく毅然とし、気力横溢である。ウェスカーは薬莢を取り出し、二発目の弾を込めた。そして今度は深く呼吸する事なく撃った。その弾は中心Xの円線上に当たった。驚いたのであろうサラが望遠から顔を離し、自分を見ているその熱い視線をウェスカーは感じ取った。舐めて貰っては困る。伊達に此処まで昇り詰めた訳ではない。ウェスカーは的に向かって僅かに微笑した。サラはもうその望遠を覗かなかった。終始、彼の姿──無駄なく筋肉の付いた広い背中、肩、腕、引き締まった腰回りを見詰めていた。ライフルが出す音が、自分と彼とで全く異なっているように聞こえた。彼の出す音や軌道は、自分の心臓の動機を異常に昂ぶらせた。彼が好きだ。私は彼が好きだ──ウェスカーが撃った三発目は見事、中心Xの記号部分に食い込んだ。

「此処に日付と名前を書いて」
二人は建物内へ入った。受付近くにある小さなテーブルの上に、サラはその紙とペンとを置いた。
「恥晒しだな」
「みんな頑張ろうって思うじゃない」
「君の成績だけで十分だ」と言いながらも、ウェスカーはそのペンを手に取った。サラはそんな彼を、穴の開く程に見詰めた。些細な事であったが、サラには新鮮に思えた。ウェスカーが銃以外の物を持っているところなど彼女は見た事がなかったのだ。ウェスカーは紙の右下に”July”と書いた。──そうか、もう七月なのか。サラはその単語を見て不思議とそう思った。思い返してみれば、結構な時間を此処で過ごしている。腕を買われ、組織に引き抜かれた時から何年経っただろう。そして、一体自分はいつから彼を愛すようになったんだろう。数ヶ月、彼と会う機会がなかった事もあれば、頻繁に彼と会った事もあった。出会った初めの頃と何も変わる事なく時間が経ったのだ。不思議にも、自分はずっと彼だけを愛し続けている。彼の事を見た時から美しいなと思っている。だが、それで良いのだ。彼に自分の好意を知って欲しいとは思わない。ただ彼には一人のエージェント、つまり、請け負った仕事を必ず遂行する、努力をする人間として自分を見て欲しいだけであると、サラは変わらずにそう思うのであった。有能さは他の何よりも勝り、人の記憶に残ると信じている。彼はその日付の下に名前を書き始めた。すらすらと滑らかに、彼の名前が持つスペルを其処に書き残していく。少し傾けて、筆記体で書かれたそれは非常に綺麗に見えた。
「やっぱり、これ貰ってもいい?」
サラは今まで彼に対して好意を示した事はなかった。自分なりに気を付けていたのだが、今日ばかりは、何故だか大胆になってしまった。これではあなたが好きだと言ってしまっているものだと自分で思いながらも、彼の名前が入ったそれを自分だけの物にしたかった。彼との写真も何もない、残るものはこの頭の中にある思い出だけでは悲しいと、サラは遂に思ってしまったのである。彼の事は何も知らない。どんな過去があり、私生活や彼の持つ哲学も何一つ知らない。しかしサラは彼がどうしようもなく好きだった。彼女は今自分が、全く別の世界に捕われているのを感じた。
「別に構わない」とウェスカーは応えた。海の色をした彼女の瞳が、彼のサングラスに映る。次の夏には、私はいない。今見えている世界は一変し、私を愛した君も直にいなくなる。ウェスカーは早く此処から、彼女の元から立ち去りたかった。彼女と過ごしたこの夏を、彼女の明眸を、私は一切を忘れる。この身体、この魂を犠牲にしてでも、成し遂げたい事が私にはある。ウェスカーは如何にも寂しそうな、と同時に如何にも優しい微笑を浮かべながら、もう決して彼女の名を大切にするまいと己の腹の中で決心したのである。