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Suns of the world may stain, when heaven’s sun staineth



ラクーンシティ警察が所有する射撃場に足を踏み入れた瞬間から、男の耳には銃声が届いた。茫茫としたこの古い射撃場には、引退した警官が受付に一人いるだけで閑散としている。何しろ警察署からは随分と離れた山奥にあり、車を走らせないとならない為、殆ど利用されない。男は受付を通り、外へ出た。銃声を響かせているのはたった一人。今にも崩れ落ちそうな薄い屋根の下で、スナイパーライフルに手を添え、うつ伏せのまま薬莢を取り出し、弾を込め、的に狙撃する事を繰り返している人間。男はサラに向かって足を進めた。夏の強い日差しは、男の掛けているサングラスによって反射された。広い肩を聳やかせ、自然に胸を前へ突き出した肉付きの良い体躯は、威厳のある堂々たる風采を有していた。彼は青銅の心と、大理石の顔とを持った男であった。
「また功績を立てたらしいな」
サラはスナイパーライフルの照準器から顔を離した。ウェスカーは格別響きの高い、歌うような、チームの統率者らしい重低音でものを言う。彼は癖になっている磊落な、しかも威のある声でサラに話しかけた。
「私の場合、運かな」
サラはそう言って、再度照準器を覗いた。的には全発命中していた。人間の上に立つ者は、天才とか何とかという特別な資質を要しないばかりでなく、最も高尚な人間の資質──愛や詩、優しい心や探究心に富んだ哲学的疑惑──そういう資質に欠けている事を必要とする。人間を率いる統率者は限られた心を持っていなければならない。自分の仕事は非常に重大なものであるという、固い信念を持っていなければならない。そうでなければ、とても辛抱出来るものではないからである。こうして初めて勇敢な統率者が出来上がるのだ。そういった者が人間並みに誰かを愛したり、哀れんだり、正不正を考えたりしたら大変な事である。自分の傍にいる男、アルバート・ウェスカーは正にそのような人物であった。
「確かに運は大切だ」
ウェスカーの言葉にサラは笑って、身体を起こした。そしてさり気なく、皺になった服を伸ばした。何故、新調した服を着て来なかったのかとサラは後悔した。
「だけど、アルファチームの足元には到底及ばない」
久し振りに見るウェスカーは痩せていた。サングラスで目元は見えないが、頬や輪郭の線が明瞭に浮き出ていた。頭後方に撫で付けられた金色の髪は、夏の日光を吸収したように益々色素が薄く、輝いて見えた。その髪の生え際に僅かな汗が滲んでいるのも見えた。サラの言葉に「買い被り過ぎだ」とウェスカーは応えた。彼が特殊部門の総隊長に就任する以前から、サラはこの警察署に在籍していた。特殊な経歴を持つ彼と初めて顔を合わせたのは此処であった事を彼女は覚えていた。
「君はいつも此処にいるな」
ウェスカーはサラから視線を外し、遠い所にある的を見据えた。十程設置された的に、クリップで留められた一つの薄い紙。的を与えると、彼女は別人になったように狙撃を開始する。如何に優れた銃であっても、凡庸な弾薬で高い精度を出す事は不可能である。優れた弾薬と優れた銃、そして射撃状況や狙撃手の能力、これらが合わさって初めて高い精度というものが得られるのである。しかし実際は、それらが全て揃う事など殆どない。だがこのサラだけは、そのような完璧な状況を作り出す事に長けていた。彼女は隠れた完璧主義であり、そして何より、自分の身を守る事に神経質な人間であった。
「空気は良いし、射撃も出来る」
サラは静かに深く息を吸った。狙撃をしている時はどうしても無呼吸になる。遂にそれが癖となり、私生活でも何分も呼吸していない時が多々ある。その為に、サラは気が付けば深呼吸する事を心がけていた。その際、ウェスカーの匂いを感じ取った。香水なのか体臭なのかは分からないが、心地良い香りがサラの肺に充満した。何故か冬より夏の方が鼻が効くように思う。彼は他人と親しくなろうという気がない。その質が組織に買われたのだろう。だが彼は他人と話さない代わりに、良く観察しているように思う。虚言や軽率さなどを普段から見ている。信用出来る人間、出来ない人間を分け、注意深く言葉を使っている。サラは彼のような人間を初めて見た。警察署内でも、彼のような人材は存在しない。過去に何かあったのか、何かを隠しているのかは分からないが。サラは故意に辺りを見渡し「人は……いないけど」と笑いながら付け加えた。それに吊られてかウェスカーも僅かに微笑した。彼と彼女とは、誰にとっても興味のない、不必要な人間のように、まるで林の中にでもいるようにその地の上に淋しく立っていた。サラには今この瞬間が、永遠の事のように思われた。彼女は夏が途轍もなく好きだった。此処は標高が高い為、山から流れる冷たく澄んだ風が吹き込む。ウェスカーの汗は既に引いていた。

ウェスカーは死を意識し、死の存在を肌に感ずる度、ほんの幼い頃から何か重苦しい、神秘的な恐怖を覚えたものだった。最早すっかり夜になった。空には星が現れて、新月は時々煙にかげろいながら輝いた。その煙とは、幾多の人間が地面を踏み締める事によって立つ埃や砂、そして、時速千キロを優に超す弾丸が雨宛らに発砲される事によって立つ煙硝である。壁を盾とし、向こうの様子を窺うウェスカーの手や米神には、また違った汗が滲んだ。だが様子も何も、相手側はあるだけの弾丸を此方に浴びせているだけで、策も何も感じられない。それが厄介であった。片手で数える程の部下に発砲命令を出したとしても、大勢いる内の数人が倒れるだけである。ウェスカーは鳴り止まぬ騒音の中、ハンドガンを持ったまま、ある筈もない機会を窺っていた。すると『チーム到着』とある男の声がウェスカーの無線に入った。
「アルファチーム、一先ず撤退だ」
ウェスカーの雷霆の如き声が響いた途端、判断力を狂わせる程に鳴っていた騒音より遥かに凌ぐ轟音宛らの一発の銃声で、辺りは恐ろしく静寂になった。ウェスカーは一瞬、自分の耳が聞こえなくなったのかと思った。しかしその音はスナイパーライフルが出す音であり、その音は彼の頭の中で細波を立てた。ウェスカーは深く息を吸った。感じたのは硝煙と埃の臭いであったが、あの山奥にある射撃場で感じた、透明で瑞々しい緑の香りをもその中に感じた。
「援護は彼女がしてくれる」
再び強烈な音が空中に響きを効かせた。恐らく敵は、何処から弾丸が飛んで来ているのか分かっていない。何の躊躇もない、真っ直ぐな軌道を描き、それらは的に次々と命中していった。スナイパーライフルに添える淑やかな手、照準器を覗く深緑の虹彩。サラの事が胸に浮かぶと、ウェスカーの心は夜が明け染める頃の雲雀の如く、暗い大地から飛び立ち天に向かうようであった。サラは人々が信じ崇める神より、唯一のものであるとさえ思った。ウェスカーは彼女がいるであろう方角に顔を向けた。サングラスを隔て、彼の持つその青色の目をすっと細めたのであった。

Womack & Womack - Teardrops