レディ・ギヤマンの断頭台

03 脱出 


「あら、また会ったわね」
「……あんた、やっぱりまだここに居たのね」

 暗い洞窟の上、ダイルの身体構造に夢中になりすぎたために詳しい時間はよくわからないが、別れてからさほど開けずに、再びベルベットとロクロウが姿を現した。
 実に早い再会である。簡単に切れないどころか、切れるそぶりすら見せなかった私とベルベット……とついでにロクロウを結ぶ縁に苦笑いが浮かぶ。

「なんで戻ってきやがった?」
「事情が変わった。あんたの襲撃に力を貸すわ」

 話によると、ダイルの討伐と引き換えに修理してもらうはずだった脱出用の船が、竜骨ごと折れていて修復不可能な状態だということが分かったらしい。その上、聖寮がベルベットら業魔が街にいた事に気が付き、新しい船の手配すらままならない状態になってしまった。
 だから、船を強奪することに決め、協力を得られそうなダイルの元へと戻ってきたのだという。

「ふん、ずいぶん勝手言うじゃねぇか」
「仕方ないでしょ。業魔なんだから」

 悪びれないベルベットの傲慢な口調に、ダイルは楽しげに声をあげて笑った。そして「業魔になって初めて笑ったぜ」と楽しげに言う。

「だが、いいのか? 自殺行為だぞ」
「そうならない策戦がある。今、対魔士達は人質をとってあたしを街に誘い込もうとしている」

 人質? と首を傾げていると、ロクロウが魔女の連れがいるのだと耳打ちしてくれた。魔女の業魔もいるのかと上がったテンションは、「ちなみにあいつは人間だ」という言葉によって容赦無く叩き落とされた。

「なら、倉庫に通じる抜け道から攻め込めば──」
「だめよ。多分、敵はそこで待ち伏せている」

 あの便利な抜け道が使えなくなるとは。このままだと、私もヘラヴィーサの街中に入れなくなってしまう。街の中に入れなければ船で別の場所に行くこともできない。
 ……王都に、用事があるというのに。困ったことだ。

「だから、逆を突いて正面から斬り込む」
「そんなのが策か!?」

 頷いて、ベルベットは続ける。

「正面は囮よ」

 囮が敵を正面に集めて注意を引きつけている間に、別働隊が抜け道から潜入して港を襲い、混乱に乗じて船を確保する。そして正面から斬り抜けた隊と合流して、船で脱出。
 それが、ベルベットの策だという。確かに一番可能性がありそうではあるが、それにしたって正面部隊が中々に綱渡りだ。

「あんたには操船を頼みたい」

 ダイルが航海士であったという経歴を買って、ベルベットがそう締めくくった。黙って話を聞いていたダイルが、「ひとつ聞かせろ」と言った。

「誰が正面から攻める?」
「もちろん、あたしが」
「いいだろう」

 その言葉にダイルがようやく頷く。どう考えても無謀である囮役は、仮に任されるのだとしたら相応の取り引きの元でようやく買うこととなる大役だ。
 決行はいつか、という質問にベルベットは「明日」と短く答えた。

 作戦実行まで短い休憩を取ることとなり、ベルベットは隅の岩盤に膝を抱えながらもたれて、仮眠を取ることにしたらしい。
 私は眠っているベルベットの前にしゃがんでその顔を眺めていた。……本人が起きていたら、怒られそうな行動だとは自覚している。

 その辺りを徘徊している、完全に自らを手放した業魔達が眠りを取っている姿は見ない。しかし、こうやって人間の意識を保った業魔は睡眠や食事を、人間の時のようになぞって自身を回復させている。
 それが本当に彼らの身体上意味のある事なのかはわからないが、それは彼らの心に重要な事なのだろう。

「そうだ、ソニア。これを持ってきておいたぞ」

 観察していた中、背後から唐突に声が聞こえて私はゆっくりとそちらを振り返った。声の主であるロクロウが差し出したのは、分厚めに織られた布の塊だった。
 受け取って広げてみると、それは着ることのできそうな形をしている。

「あら、外套?」
「応。もしまだ居るようなら渡そうと思ってな」

 羽織ってみるとおそらく男性もののそれは丈が長く、私の身長では裾が地面を擦ってしまった。どう考えても身軽さ動きやすさとは無縁の格好になるが、凍死するよりはよっぽど良い。

「ありがとう。これで凍えずに済むわ」

 ついでに後ろに付いているフードを被ってみた。サイズが大きいだけあって深く、顔もしっかりと隠れそうだ。これは、便利だ。

「……ちゃ、ダメ……」

 また背後から声が聞こえてきた。今度は明確な音ではなく、どこか朦朧とした響きを持ったものである。振り返ると、ベルベットがグッと眉を寄せて苦しげに言葉を吐く音が聞こえた。

「アルトリウスは……、あんたを……ッ!!」

 ──アルトリウス?

 自分の目が見開かれた自覚があった。驚いたが故の、反射的反応だろう。聞き覚えのありすぎるその名前に動揺した顔を、飛び起きたベルベットに見られる前に普段のものへと努めて戻す。

「大丈夫か? ひどくうなされてたぞ」
「平気。なんでもないわ」

 どこからどう見ても平気ではないように見える顔色で答えたベルベットは立ち上がって、そして洞窟の入り口の方へと歩き出す。
 その後ろを付いていくロクロウへ向けて、彼女は振り向きも歩みを止める事もしないまま言葉を放った。

「……付き合わなくても恨まないわよ。別に」

 そんな2人の会話を聞きながら、その更に後ろを私も外套を引きずって付いていく。暖かいのだが袖が長くて杖が持ちづらいのが、少し困ってしまう。

「そうはいかん。お前が死んだら恩が返せない」
「変わってるわね」

 ロクロウは「そうかな」と心底不思議そうな顔をしてから歯を見せて、

「だが、俺は“こう”なんだ」

そう笑った。
 振り返ったベルベットも心底不思議そうな顔をしている。そして、私を見てその顔を呆れの表情へと変えた。

「あんたも付いてくるの?」
「ダイちゃんが行ってしまうなら、ここには用がなくなるもの」

 あからさまな溜息が、返事の代わりに寄越される。

「それにね、私は業魔と一緒にいたいのよ」
「あんたも変わってるのね」
「良く言われるわ」

 笑いかけると、ベルベットは更に呆れたような顔をして前を向いた。そこまで呆れられるような事なのだろうか。呆れられるような事なのだろう、多分。

 しばらく無言で歩く。歩き続けるベルベットの背中は、行きよりも更に焦燥感を漂わせていた。足音だけが洞窟内に反響する中、ロクロウが唐突に彼女の名前を呼んだ。

「アルトリウス……って誰だ?」

 その言葉に、ベルベットの焦りに満ちた足音が初めて止まる。

「……仇よ。弟の」

 悪縁ここに極まれり。興味を失って久しく、もうどうにも顔が思い出せない男の髪の毛の色だけが、視界の端にチラつく。それは右側で長く伸ばされた私の髪の一房だった。
 自分の髪から視線を逸らして、私は再び歩き始めたベルベットの背中を追いかける。

 喰魔。アルトリウス。殺された弟。

 放り投げたパズルがひとりでに完成していくような状況に、こっそり小さく息を吐いた。





 抜け道に向かうための分かれ道で、正面部隊とはしばしの別れを告げた。実に短いスパンで別れと再会を繰り返しているような気がする。ちなみに正面部隊は言わずもがなのベルベットとロクロウ、別働隊がダイルと戦うことのできない──ということにしている私である。

 抜け穴を通って倉庫の様子を伺う。中には二等対魔士が3人見張りに立っていた。おそらく出たところにはその数倍の対魔士が張っているのだろう。
 外套のフードを深く被っていると、ダイルが「それ、前見えんのか?」と訝しげな顔をした。前が見えないように見えるという事は、相手からも顔が見えていないという事だろう。本当に都合がいい。

 待機して十数分ほどすると、慌ただしげな伝令が倉庫の中に入って来て、中の見張り共々出て行った。おそらくあの2人が暴れに暴れて、その応援に駆り出されたのだろう。
 おかげで、目を付けられていない私とダイルは実に好き勝手できる。炎石が詰まった箱が所狭しと並べられた倉庫の真ん中に立って、私は笑った。

「さーて、派手に撒いてしまいましょうか」
「ははっ、オメェも俺らに負けず劣らず悪だなぁ!」
「業魔ではないけれどね?」

 倉庫内の備品に詳しいダイルが持って来た油を炎石に掛けていく。同じく探してきた硫黄をダイルが仕掛けている間に、私は近くの布を裂いて炎石の破片を包んで布の先を油に浸した。

「何してんだ?」
「導火線は流石に作れそうになかったから」

 一通りの仕込みを終えて、私は近くのロウソクの火を手の中の布に付ける。思ったよりも勢いよく燃え上がる布に少し焦りながら、ダイルへ外に出るように促す。扉を開け放ったまま外に出て、少し距離を取ってから倉庫の中目掛けて手の中の重り付きの布を投げ込んだ。
 サイドスローで投げたそれは、見事に扉の中へ吸い込まれて、そして中の炎石に燃え移る。

 次の瞬間、起こったのは爆発だ。けたたましい音と共に、倉庫から火が吹き上がる。轟々と燃え盛り、あちらこちらの建物や船にまで激しい火の粉を飛ばす炎を背に、私達は船着き場に停まる船の方へ走り出した。

「ナイスボール。こうでもしないと爆発に巻き込まれてしまうものね」
「オメェ、俺より悪なんじゃねぇか……?」
「業魔ではないけれどね?」

 船の前に対魔士が2人立ちはだかった。ダイルより先行し、被ったフードが外れてしまわないよう左手で抑えながら、ぐるりとその場で地面を蹴って回る。そしてそのまま、遠心力を働かせた右手の杖で対魔士達を殴り飛ばした。
 その間に横を通り抜けたダイルは、船に乗り込んで船員を海へと放り投げている。

 伸びた対魔士を横目にタラップを踏んで船の甲板に降り立つ。向こうから正面部隊の2人……と、おそらく例の人質になった魔女が走ってきているのが見えた。その更に後ろには、彼らを追っているのであろう一等対魔士の姿。
 上位の対魔士に姿を見られるのは、後々面倒なことになりそうだから、

「私、少し隠れるわ」
「というかソニア、戦えないって言ってなかったか?」

 しぃー、と口元で人差し指を立てて笑ってみせて、私は船室の中に入った。
 走って体温が上昇したからだろうか、少し暑い。フードを脱ぎながら、気付かれないように窓から外の様子を眺める。

 追っ手の対魔士は、白いドレスのような制服を身に纏った女性だった。彼女は両脇に、それぞれ金と銀の髪の少年聖隷を従えている。
 たちまち始まった戦闘に、魔女とおぼしき女性が退避するように後ろへ下がってくる。彼女がチラリと、船室の窓を見た。そしてしっかりと目が合う。

 ──本当に因縁が過ぎて困るわね。

 見覚えのありすぎるその顔に私が苦笑いするのと、魔女がニヤリと口の端を吊り上げるのは同時だった。

 武器を弾き飛ばされた女性対魔士が、ベルベットを睨みつけながら何かを隣の聖隷に命じる。すると、金色の方の少年が走り始めた。
 両手の間に聖隷術で生み出した炎を集めて、ベルベットへ向かって一目散に走る彼が何をしようとしているかは瞭然。自爆だ。

 そんな少年を躊躇なくベルベットは蹴り飛ばし、転がる姿には目もくれずに対魔士の方へ向かって剣を振りかざす。と、その刃を止めたのは新しく現れた対魔士だった。
 それは村へ向かう道中に見かけた、焼き鮭色の女性対魔士だった。声は聞こえないが、ベルベットに向けて何か叫んでいる。

 それにしたって、一等対魔士が2人相手では流石に分が悪いだろうか。助太刀の必要があるならば、別に隠し通す必要もないため向かうところだが。
 手の中の杖を握り直してもう一度フードを被る。そして船室の扉を開けたところで、戦線に動きがあったらしい。

「命令よ。あいつらを吹き飛ばせ。さもないと、あんたを喰らう!」

 ようやく起き上がった金色の聖隷を、ベルベットが今度は業魔の腕で釣り上げた。そして鋭い口調で言い放つ。

「命……令……」

 彼女の言葉に虚ろな呟きを発した少年は、再び聖隷術を展開させる。そしてその術は、主人ら対魔士2人と、もう1人の少年聖隷へと炸裂し、彼らを吹き飛ばした。

「今だ!」

 その隙にロクロウと魔女が、続いてベルベットが少年聖隷の手を引いたまま船に乗り込んだ。それを確認したダイルがすぐさま船を出港させる。

 そうして、私達は無事にヘラヴィーサを発つ事ができた。無事、と言うにはあまりにも過激がすぎるものではあったが。
 振り返った先に見えたのは、炎が上がる街の風景。そして、私が付けた炎を消そうと右往左往する、白い制服を纏った正義の味方達の姿だった。


脱出



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