レディ・ギヤマンの断頭台

05 海賊 


 暇を潰すなら、読書か生物の観察が良い。けれど現在目ぼしい本を持っていない以上、する事は観察に限るわけだ。
 そして、観察をするなら人間や聖隷よりも業魔が良いためマギルゥと少年を対象から外し、既にしっかりと調査も終えたダイルも今回は除く。隣に居るロクロウ──なんだか、居心地の悪さを与えてくる距離感のまま隣に居るロクロウには少し目を逸らして。
 必然的に残ったのはベルベットだ。豊かで艶のある黒髪の後ろ姿を視界に捉えて、私はその様子を眺める事にした。

 私の視線の先にいるベルベットは、ダイルから問われて羅針盤を使って方角を確認しようと苦心している様子だった。
 そんな彼女をじっと見つめていた聖隷の少年が、静かな声でその使い方を説明する。ベルベットの顔が、遠目から見ても少し和らいだように見えた──あの少年は、彼女の心を揺さぶる何か。その感情の強さの要因の一つであるのだろう。
 けれど言葉を交わすうちに、彼女の表情は再度強張っていく。舌打ちと共に苛立たしげに少年へ背を向けて、

 その時だった。

「ッ──!?」

 地の底から響くような、低い音が周囲の空気を震わせる。同時に地盤が大きく揺れたのだ。

 不安定な船縁に腰掛けていた私は、その衝撃に自分の身体が重心を崩したのを自覚した。崩れる方向は、四つ足から二足歩行へと進化を遂げた人間の身体構造としては妥当とも言える、後背方面へ。つまり、海の方へ。
 支えようと縁に伸ばした手が間に合わない。これは下手に足掻くよりも素直に落ちた方が、骨や筋を痛める事もなく済むかもしれない。早々と思考をこの海域に住む生物の生態と習性、捕食対象になった際の対処法へと切り替える。

 ……切り替えた脳は、突然右手に感じた鋭鈍混濁した痛みに、瞬く間に思考を乱された。

「ソニア!」

 それは、船縁を掴み損ねた私の手を握るロクロウのせいで引き起こされたものだ。
 掴まれた握力による鈍さと、それによって引き攣った掌の古傷の鋭い痛み。落下を促す重力と逆方向に働くその力によって右肩の関節にも鈍痛を覚えたかと思えば、私の身体は途端に引き上げられていた。

 トン、と音が聞こえた気がする。勢いよく船へ飛び込む形になった私の額と、それを受け止めたロクロウの胸筋がぶつかった音だ。

「大丈夫か?」
「こんな不安定な場所に座るものじゃないわね。ありがとう」

 短く言葉を交わして身体を起こす。周囲を見回して、今の異変の原因を探った。
 海上であるのだから、地面など存在しない。地の底から音など響かないし、揺れたのは地盤ではなく何か対外的な力によって揺らされた船だ。対外的な力──別の言い方をするならば、外敵による働きかけ。

 すぐに外敵の姿は見えた。黒い船影、そして噴き出す火花と共に砲弾が再びこちらへと向かってくる。
 私と同じようにそれを認識したロクロウが声を上げた。

「後方から砲撃! 海賊船だ!」

 私達の船を避けて海へと着弾した砲弾は、それでも水面を酷く波立たせて揺蕩う船を大きく揺さぶる。

「あの旗は……まさか『アイフリード海賊団』!?」
「バッチリ狙いをつけられとるぞ。海の上でやりあうのは、ちとヤバそうじゃの!」

 絶え間なく降り注ぐ鉛の雨は、この船への明確な敵意を示していた。遂に届いた砲撃がデッキを破壊し硝煙と炎を上げる中、ベルベットは操縦桿を持つダイルへと鋭い声を投げた。

「陸に着けて! 陸で迎え撃つ!」

 指示と共に示された戦闘表明にロクロウが大きく頷く。非戦闘員扱いの私もいざという時は対応ができるようにと、こっそりと杖を握り直した。

 直進していた船が陸地へ向けて強引に舵を切られると、それはまた大きく揺れた。砲弾の嵐による波と稀の被弾が揺れを助長する中で、私達はまるで追い立てられるように近くの陸地へと乗り付け──そしてもう、使い物にならなくなった船を捨てるように飛び降りて、着岸した襲撃者と対するために陣を取ったのだ。
 そこから幾分の間を開けることもなく、私達は彼ら……ダイル曰くのアイフリード海賊団に囲まれていた。

「うっはー! 本当に業魔の集団だ。これは使えるかもな」

 武器を構える海賊達の中心で私達に向き合う青年が軽い口調で言った。鮮やかな黄色の縮毛がふわふわと揺れている、なんとなく海賊らしからぬ柔らかい印象を覚える青年だ。
 彼が被っている帽子の上には、黄色い鳥の姿が見える。あれはシルフモドキの雛だろうか。何故あのようなところにいるのかも気になるし、折角ならば触らせてもらえないだろうか。色々と検分したいところだ。

 私がシルフモドキに心を奪われる中、ベルベットとロクロウはそれぞれの武具を構えて既に臨戦態勢を整えている。

「業魔と知ってやるか。いかれた奴らだな。陸の上なら容赦はせんぞ」
「命令よ、二号。こいつらを蹴散らせ」

 ベルベットが聖隷の少年へ向けてそう言うと、彼は素直に頷いた。今にも術を放とうというその様子に、海賊の青年が焦りを表するように両手を振った。

「おっと、相手は俺達じゃないぜ」

 ところで青年は頭の頂点でアンテナのように髪の毛が一房立っている……俗に言うとアホ毛が立っているのだが、雛にも同じようなアホ毛があるようだ。あれは自然とそうなったのか、それとも青年がわざわざあのように雛のヘアスタイルを整えてやっているのか、非常に興味深いところだ。やはり触らせてもらえないだろうか。

 私が継続してシルフモドキに心を奪われている中、海賊達の間から現れたのは金髪の長身の男だった。私達の相手をするのは「俺だ」と一言短く言った男のその黒衣へ向けて、少年が紙葉による攻撃を仕掛ける。
 が、それは男に呼応するように現れた岩で防がれてしまう。あれは聖隷術によるものだ。──と、言うことは。

「聖隷!?」
「いいや……“死神”だ」

 やはり短く言い放った男が、術を放ちながらベルベット達へと拳を振り上げた。

 戦闘は突如として始まって、私は庇うように前に立ってくれたダイルによってマギルゥと2人で2、3歩ずつ後退した。ベルベット、ロクロウと少年の3人がかりの攻撃を軽くいなしながら技を放つ男は、自称は死神でも普通に聖隷のようだ。一層の事、正真正銘の死神とかならばかなり興味深い存在だったろうに。
 そんな事を考えながら、成り行きを見守るふりをしてベルベットの戦いぶりを眺める私を、マギルゥが横目に見つめている事には気がつかないふりをした。「相変わらずじゃのう」と、まるで聞こえて来るようなニヤけた唇ごと、だ。

 開始も突然ならば終了も突然で、男は不意にその動きを止めると「合格だ」とまたも短く告げた。

「力を貸せ」
「は? 随分勝手な言い草ね」

 構えた剣を下す事なく、ベルベットが眉を寄せる。合格──つまり、この襲撃から戦闘は全て彼らが私達へ何かしらの試験を課していたという事なのだろう。
 何の予告もなしにこれ、は確かに勝手だ。予告しては試験にならないというのも、確かな理由ではあるのだろうが。

「ヘラヴィーサを燃やした奴らほどじゃない」
「知ってて試したのか」
「ついでに助けてもいる。あのまま進めば“ヴォーティガンの海門”に潰されていた」

 ヴォーティガン? あまり聞き慣れない言葉に、顎に手を添えて話に耳を傾ける。流れからして新種の業魔の名前とかそんなものでもなさそうだ。

「あんたらミッドガンド領に向かってるんだろ? それには、この先の海峡を通らなきゃならない。けど、そこは王国の要塞が封鎖してるんだ。文字通り“巨大な門”でね」

 シルフモドキを乗せた青年がスラスラと述べているが、全く知らなかった。もし仮にこのまま突っ込んでいったとしたならば、袋の鼠というやつだったかもしれない。
 ヘラヴィーサを燃やした業魔一行は封鎖された要塞にて一網打尽……なるほど、なんとも笑えない冗談だ。

「俺たちも海門を抜けたいが、戦力が足りない。協力しろ」
「海賊の言うことを真に受けるほど馬鹿じゃない」

 借りができたなと呑気に漏らすロクロウとは対照的に、ベルベットは未だに警戒の色を解くつもりはないようだ。黒衣の男に、険しい顔で返す様子を眺める。

「自分の目で確かめるか? いいだろう、命を捨てるのも自由だ」

 睨みつけるような鋭い目付きのまま、男はこちらの方へ近づいて来る。また戦闘を始める気かと身構える一行の間を抜けて、彼は奥へ続く道の方へと1人で歩き始めた。
 その迷いの無い様子は、先程までこちらに協力を要請していたとは到底思えない姿だ。

「なんじゃ、断ってもいいのか?」
「お前達はお前達で、俺達は俺達でやる。それだけの事だ」

 こちらが手を貸そうが貸すまいが、あの男は自分のやるべき事のために突き進み続けるだけと、そういう事か。向こうがそのつもりならば、こちらに交渉の余地などない。
 男の多少の安全の担保として付き合って共に海峡を越えるか、砲撃を受けてボロボロになった中型船で無謀に海門へと突っ込むか──まぁ、考えるまでもない選択肢かもしれないが。

「けど、副長独りじゃ! やっぱり俺達も一緒に──」
「足手まといだ。お前らは、計画通りバンエルティア号を動かせ」

 シルフモドキの青年に向けて指示を飛ばした“副長”は、そのまま崖上に見える洞窟の方へと姿を消した。会話から察するに、海峡を越えるための策がそちらにあるという事らしい。
 あの背を追うべきか否か。顔を見合わせる事は特になく、各々が思考を巡らせる中で真っ先に声をあげたのはマギルゥだった。

「無念じゃが、儂には航海も戦いも手伝えん。見守ることしかしたくないんじゃ……」
「でしょうね」
「うーん、ルゥさんらしくはあるけれど」

 ロクロウがこの中で最も海に詳しいだろうダイルへと海門がそれほど恐るべきものなのかを問いかけると、対するダイルの答えは戦艦すらも突破は不可能というものだった。
 次いで、海峡を避けて王都へ向かう航路があるのかどうかを問うと、外洋を大回りする事になるという回答が返ってくる。時間もかかる上、遭難のリスクが高い航路でしかないという事だ。

 となると、やはり選択肢はたった一つ。誰もが薄々想定していた物でしかない。

「……利害は一致してる。海賊たちと手を組むしかなさそうね」
「まあの」

 静かに結論を呟いたベルベットへ、帽子の後ろで両手を組んだマギルゥが軽い口調で頷く。

「進むも破滅。退くのも無理なら、抜け道に賭けるしかあるまいて」
「手伝う気ないくせに」
「当然の〜」

 歌うような口調に、ベルベットはうんざりしたように溜息を吐いている。定型も定型、たった数時間でも分かりきった魔女の性質なのだから無視をしておけばいいのに。それが出来ないのが、憎悪という業に覆い隠された鬼の性質なのだろう。

「あの聖隷はただ者じゃない。まだ力を隠している気がするが」

 言葉の深刻さとは裏腹に、やはり呑気な雰囲気を含んで呟いたロクロウの言葉に、私は「まぁ」と小さく呟いた。それは業魔故に感じ取った感覚なのか、それとも彼が戦いの化身たる業魔であるが故に感じ取った気配なのか。
 対照実験と言うには後出し感が否めないものの、折角だ。ベルベットにもどう感じたか聞いてみるとして──

「坊も同じ聖隷じゃろ。なにかわからんか?」

 そう、聖隷も比較相手としては有用だ。先回りするようにマギルゥが声を掛けてくれたため、便乗するように返事に耳を傾けてみたものの。遺憾なことに、聖隷の少年は何を話してくれることもなかった。

「思惑があるのはお互い様よ。とにかく、あいつを追う」

 言い捨てたベルベットがスタスタと歩き始めると、少年は無言でその後ろへと付いて行った。ちなみにマギルゥは言わずもがな、ダイルもこの場に残るつもりのようだ。

「ソニアはダイル達と残るか?」

 それぞれが身勝手に自分の行動に移る中、尋ねてきたのは、少年と同じく後へと続こうとしていたロクロウだ。私はニッコリと笑ってそれに応える。

「勿論、行くに決まってるわ」

 迷惑は掛けないようにするから、ね?

 いつかと同じように付け加えると、ロクロウもいつかと同じように「応」と。歯切れの良い返答で、私の同行をやはり身勝手に許可したのだ。

海賊



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