ループ:2




目を開けると、そこは知らない天井だった。
白い。
チラリと横を見ると、私と点滴が繋がれているのが見えた。
どうやらここは病院らしい。
しかし記憶を探ってみても、自分がなぜ病院に居るのかが分からない。
まあ事故の前後は忘れてしまう、とかよく言うし不思議なことではないのかもしれない。

手足を動かそうと試みた。
…動かない。

「大人しくしてないといけないよ」

驚いて思わず身体が震えた。
急いで声の主を探すと、
空間を囲んでいた白いカーテンの隙間から人がひょっこりと顔を出していた。
綺麗な、男の子。

「どうせ身体を動かそうとしたんだろ?
ダメだよ、まだ」

そう言って穏やかな口調で私を戒める。
でも、私はこの人が。

「あの、誰ですか?」
「…初めまして、僕は渚カヲル」
「渚、カヲル」

聞いたことのない名前だ。

「リンゴ剥くよ、食べるだろ」

そう言って渚カヲルは私の枕元のリンゴを手に取り、剥き始めた。
確かに私はリンゴが好きだし、
食べるけど、なかなか初対面にしては
馴れ馴れしい。

もしかして、初対面じゃない?
そう思って脳内で何度も名前を復唱するけど、ぴんとくる感覚はない。

「あの、渚、さん?」
「カヲルでいいよ」
「カヲル…」

口の中で小さく呟いた。
"カヲル"
なんだか妙にしっくりとくる。

「カヲルはなんで」

そこまで言ったところでずい、と差し出される。

「ほら、食べなよ」
「…ありがとう」

カヲルがリンゴの乗った皿を私の膝の上に乗せ、そのまま病院のベッドを慣れた手付きで触る。
すると、背もたれがリクライニングし、
私は身体を起こすことが出来た。

「ありがとう、慣れてるね」
「慣れもするさ」

素直に礼を言う私に、
彼は初めて少し複雑そうな表情をした。
私はなんだかそれがとても嫌で、
リンゴをいそいそと食べ始めた。

しゃりしゃり、しゃりしゃり、
リンゴを食べる音だけが聞こえる。
静かな空間。
ひたすらリンゴを食べるだけの私を
カヲルはただ黙って見つめてる。
赤い視線。
それはなんだか、いつか見た、
寂しい月と同じ。

「?」

ふ、と違和感を感じた。
私は、…何か…。
でもそれは言葉にならないほど不確かなもの。

そう思っているうちにリンゴは食べ終わり、
カヲルは自然に私から皿を回収した。

「皿洗ってくるよ」

そう言い残して、カーテンの外へ消えた。
彼の無感動な横顔が気になった。
常に微笑んでいるかのような顔なのに、
それなのに感情の見えない不思議な人。

看護師さんとかなら、
彼について何か知っているかもしれない。
そう思って、動こうとしない身体に鞭を打つ。
ゆっくりとはいえ、動き出した身体に
安堵した。
しかし、次の瞬間、何かしらのせいで大きく手が滑り、私はベッドから転げ落ちた。

「いった…」

思いきりついた尻餅に、尻を撫でる。
すると尻の下に何かある。
それは紙だった。
くしゃくしゃの紙。
私はどうやらその紙のせいでベッドから落ちたらしい。
よく見ると、ベッドの敷き布団の下から
紙が少しはみ出している。
好奇心に駆られて敷き布団をどかすと、
なかなかの量の紙。
それは様々なことが書いてあるように見えた。

適当にそのうちの何枚かを手に取る。

私は、

死にたくなった。


たくさん、それはもうたくさん書いてあるカヲルという名前。

ごめんなさい、ごめんなさい、覚えていられなくてごめんなさい。
好き、好き、ごめんなさいごめんなさい。

これはいつ書いたものだろう。
1枚1枚にしっかり日付がついている。
そういえば、今日は、何年何月何日…?

紙の上の日付は全て違う。
何枚も何枚も何十枚もあるのに、
全て日付が違う。

全て私の字だ。分かる。

怖い。
どくん、どくん、鼓動が忙しなくなる。
しかし手足が急速に温度を失い、
ガタガタと震え始めた。
…これは、なに?

頭の中がぐちゃぐちゃとして気持ちが悪い。
なに?なんで?
目玉がぎょろぎょろと動く。

一度不安になってしまうと、
この白い空間さえ恐ろしい。

浅い呼吸が私の脳に薄い酸素を送る。

「…カナ?」

私を呼ぶ声に顔を上げると、
少し驚いた顔のカヲルが立っていた。
温い何かが頬を伝う。

「…大丈夫」

大丈夫、そう呟いて私を立たせようとするカヲルの顔を両手で掴んだ。
赤い両目が大きく見開かれた。
私は言う。言わなければならない。

「カヲル、これは、」

何回目?




カヲルは何も言わなかった。
ゆっくり目を閉じて首を振った。
それは酷く穏やかで、酷く私の胸を締め付けた。








彼が帰った後、看護師さんが今日は何年何月何日なのかを教えてくれた。


私は、


この息苦しい白で窒息死した。


ループ


私がようやく思い出せたのは、
砂浜での彼の言葉。
靄は消え、今度はしっかり鼓膜へ届く。

「カナ」


馬鹿みたいに優しい笑顔のそれに、
私はやはり見覚えがなかった。








続きそう。




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