初めてお宅にお邪魔している。財前家の人々は、財前本人よりかずっと愛想の良い人達で、初対面の時の財前を思い返していた私には神様か何かのようだ。財前の第一印象はそれはもう酷かったのである。

「何にやにやしてんねん」
「あ、顔に出てた?野良猫手懐けた気分」

わけがわからんと顔をしかめた財前に更に笑いがこみ上げる。これこれ。この顔。財前は、まあこっちは変な犬に懐かれた気分やけどなと、ちょっと笑って言った。

「光ー彼女来てるとこ悪いんやけど、満預かっててくれへん?」

トントン、と控えめなノックの後、顔を出したのは、財前にあまり似てないお兄さんだった。こちらの様子を伺う財前に頷いてみせると、お兄さんも財前も同じようなホッとした顔をするからやっぱり兄弟だなぁと妙に納得してしまった。じゃあ連れてくるな、と顔を引っ込めたお兄さんを見送って、財前に向き直る。

「満くんって、甥っ子やろ?いくつだっけ?」
「もうすぐ2歳」
「へ〜かわいい盛りやん」
「アホ、ずっとかわええわ」

予想外の台詞にドキリと心臓が跳ねる。こいつ、子供好きなん?全然似合わん。赤ちゃんを抱いた財前を想像して、すぐに頭を振って追い出す。あかん。思ったよりかっこええ。財前に不審な目で見られてる自覚はあったが、それどころではない。ややあって、お兄さんのお嫁さんが、小さな塊を抱いて部屋を訪れた。

「邪魔すんで〜。ほら、みつ、光くんやで〜」
「みつ、こっち来い」

手を伸ばした財前を真似て、同じように小さな手を伸ばす。わわ、かわいい…!一人っ子の私にはだいぶ刺激的な天使の笑みが財前に向けられる。高ぶった気を静めるために一度目を逸らして、深く息を吐いた。

「ほんまごめんね。ちょっと大きい買い物がしたくて」
「いいえ!財前とはクラスも一緒やし、飽きてるくらいなんで!私子供好きやし、気にせんといてください!」

ありがとう、と目尻を下げた奥さんを見て、あ、この人ほんまに満くんのお母さんや、と当たり前のことを思った。ふわ、と心臓が浮き上がった心地がする。下からお兄さんの声が聞こえて、もう一度お礼を言って奥さんはドタバタと部屋を出て行った。

「ひかーひかー」
「光やで〜」

ぷっくりした手が財前の服をぎゅう、と握る。手慣れた様子で言葉を返す財前は、いつもよりか少し大人に見えた。食い入るように見ていた私の視線に気がついた財前は、「抱く?」と首を傾げる。私は慌てて首を横に振った。

「そ、そんな気軽に…!」
「何を怖がっとんねん。別に難しいことないで」

ほら、と脇に手を入れて、満くんをこちらに向ける。満くんはきょとんとした顔で私の顔を見てから、ふにゃりと表情を崩した。か、かわっ…

「みつほとんど人見知りせえへんから」
「え〜…壊れへん?大丈夫?」
「ふ、お前、どんだけ強く抱く気なん」

恐る恐る手を伸ばして、同じように脇に手を入れる。思ったよりずっとふにゃふにゃの身体に、ふわ、と変な声が漏れた。そのまま、腕の中にすっぽりと収める。

「ひか〜」
「光はこっち。これは名前ちゃんやで」

ちゃん!?びっくりした私を気にすることなく、財前は何回か私の名前を繰り返す。どぎまぎしていた私も、満くんが舌っ足らずに自分の名前を呼ぶもんだから、すっかり意識はそっちに行ってしまった。

「ほんまごっつかわええな…」
「俺の甥っ子がかわいないわけないやろ」
「…ソウデスネ」
「なんやそれ」

ペチペチを私の首もとを叩く満くんの頭上で、財前と言葉を交わす。満くんは私の髪をいじったり、服の裾を伸ばしてみたりといそがしげだ。しかし、楽しそうな表情は、なんの切欠もなく次第に曇っていく。

「ひか〜…ひかーママ〜」

その言葉を聞いた途端、財前はハッと満くんに視線を落とした。つられてびくりと私の身体も揺れる。なおも満くんはママ、まま、と強請っている。

「財前、ど、どないすんねん」
「あー…満、人見知りはせえへんけど、ママ大好きやねん。ちょお貸して」

よっというかけ声と共に、満くんを抱き上げて立ち上がる。

「満、ママもうちょっとやからな」
「まー!!」

財前の言葉虚しく、満くんは殆ど泣いてる声でママを呼んだ。私は何の反応もできず、ただ財前と満くんを座ったまま見上げる。こんな時どうしたらええんや…!子供が好きなもの、子供が好きなもの…あ!

「歌!歌ったら…あかん、私童謡とか全然知らへん…!」

自分の考えの至らなさに頭を抱える。童謡…どんなんがあったっけ?あかん、動揺しすぎてでてけえへん。あ、ダジャレちゃうで。
そんな混乱する私の耳に、スッとメロディーが飛び込んできた。この、低い声は私でも、勿論満くんでもない。

「あさからいっしょにおにーぎり」
「えっ…」

うちじゅうえがおでおにぎり
こころもからだもホッカホカになる
あ い う え おにぎり
あ い う え おにぎり
あ い う え おにぎり

きょうのおにぎりのなかみは?

「みつにー決めたっ」

そう歌って、ちゅ、と満くんのほっぺたに唇を落とす。さっきまでのぐずりはどこへやら、きゃっきゃっと楽しそうに足をバタつかせる満くんに、光は満足げに口端をあげた。私はというと、今の光景があんまりにも衝撃的で光から視線を外せない。な、なに…かわいすぎへん?それ、大丈夫なん?

「はー…何とかなったわ…」
「ひー」
「はいはい、ひかやで。苗字、悪いけど布団敷いて。満おねむや」

おい、聞いとる?
私の方に向けられた目が、ぎょっとして見開かれる。いや、これは何というか…

「なんでお前涙目なん…」
「ちゃう、ちゃうねん…」

かわいすぎて涙がでてきたとは言えまい。
待った、と手を光に差し出して、気を静める。あかん、私キモイ。ぺしりと頬を叩いて気を持ち直し、言われた通り布団を敷く。布団にころりと寝転ぶと、待ってましたというように、満くんは夢の中へと落ちていった。

「光。あれ、よお歌うん?」
「おにぎり?満が好きやからな」

あんなんが日常茶飯事で繰り広げられてる財前家が怖い。私が崩壊するわ。

「気に入ったん?」
「気に入ったというか…」

チラリと光の顔を伺う。それはクラスで見るのとさほど変わりなく、この唇があんなにかわいいメロディーを口ずさんでいたとはにわかに信じ難い。でも、あれは確かに目の前で繰り広げられたのだ。じぃ、と観察するように、満くんの頭を撫でる光を見る。見られることがうっとおしくなったのか、財前は小さく息を吐いて、それから私に向きなおって、ニヤリと口を曲げた。

「名前にー決めた」

短くメロディーを口ずさむ。ちゅ、と短い音がして、頬に何かが当たった。それが何かを頭が理解する前に、条件反射的にぐわっと身体が熱くなる。

「ひ、ひか…!」
「お前、さっきから満が移ってるで?」

名前ちゃん、と意地の悪い笑みで言われて、ついに私の思考は働くのを放棄した。

ルピナスを咲かす


130215

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あ・い・う・え・おにぎり
歌手:杉田あきひろ・つのだ りょうこ
作詞:しゅうさえこ
作曲:しゅうさえこ