ひっきりなしに看護婦が来て、毎日毎日落ち着かなかった。学校にいるときとなんら変わりなかった。それが生徒か、看護婦かの違いだけだ。生徒達は最初の2週間は毎日誰かしら顔を出してきたが、今はテニス部の面々だけになっていた。そんなもんだと思う。俺だったら一回だって顔をださないかも。

「失礼します」
「ああ…お前またきたの。大変だね、令嬢ってやつも」
「ええ、全くです。だからさっさと良くなってください」

親同士がどうのこうのとかで氷帝学園に通う彼女、苗字名前はよくここをめんどくさそうに訪れた。最初は迷惑この上ないと思っていたが、彼女がいる間は病室がとても静かだということに気がついてからはこの時間も悪くないと思い始めた。

基本的に彼女とは何も話さない。俺が本を読んで、彼女も本を読む。30分もすると小さく音を立てて立ち上がり、入ってきた時と同じことを言ってでていく。それだけだった。

今日もお互い黙々と本を読んでいる。どんな本を読むのかと思って覗いて見れば、チラリと見えたページには英語がびっしりと書かれていた。

「…なんですか」
「難しそうなの読んでるんだね。いつも?」
「いいえ、英語は苦手なので。これも向こうの児童書です」

ふーん、と気のない返事をすると、それっきり反応は返ってこなかった。なんとなく手持ち無沙汰になって、持っていた本を閉じたり開いたりする。何回も読んだ本は開き気味になっている。

ああ、早く帰ってくれないかな。もうすぐ真田達がくるのに。

そう思ってたら彼女がガタリと立ち上がっていそいそと片付けを始めた。あれ、本当に帰っちゃうんだ。

「帰るの?」
「はい」
「次はいつ来る?」
「2週間後くらいに」
「ふぅん…遠いね」
「じゃあ1週間後」
「まあ…それでいいよ」

失礼します、といって出て行く彼女に初めて手を振った。彼女はビックリしたみたいに目を見開いて控えめに手を振りかえした。ドアが閉まってややあってから、丸井が元気よく入ってきた。

楽しかったのに、彼女がまた失礼しますってドアから入ってくるのではないかと期待していた。


「失礼します」

宣言通りに1週間後彼女はまたやってきた。今日は綺麗な花を抱えている。テキパキと花瓶にあった萎れかけた花を片付ける彼女をみながら、親か嫁みたいだなぁなんてくだらないことを考えていた。

「マリーゴールドだね」
「そうなんですか。私、花は詳しくないの」
「ふうん…そうなんだ」

黄色いマリーゴールドの花言葉は健康。もしかして、なんて淡い期待は彼女の言葉と表情によって呆気なく砕かれた。花を活け終わるといつもみたいに椅子に座って黙々と本を読み始めた。

「ねぇ」
「なんですか」
「たまには話をしようよ」

苗字はあからさまに嫌そうな顔をした後、了承した。

「あなたは喋るのが嫌いなのかと思ってた」
「まさか」
「で?何を話すの?」
「お前のこと教えてよ」

また苗字は眉をひそめて嫌そうな顔をした。視線をさまよわせて、言う言葉を探してるみたいだ。このあいだ気がついたのだが、彼女は俺の言うことを拒否することは無い。いつもムスっと嫌そうな顔はするが、なんだかんだ良い返事を返してきていた。

「話すことなんて何もない。普通の中学生です。特殊なことと言えばよく知らない少年のお見舞いに1週間に1回は来ていることぐらい」
「よく知らないだなんて…もう1ヵ月は来てるだろ?」
「あなたの読んでる本のことと立海の生徒ってことしか知らない」

言われてハッとする。自分だって読んでる本と氷帝の生徒ってことしか知らない。

「お前は…俺のこと知りたい?」
「そうね。知らない人のお見舞いにくるより、友人のお見舞いに来る方が有意義だと思う」

じっと見つめあってからどちらともなく笑いだした。彼女の笑顔を見たのは初めてだったと思う。

彼女は意外にも女子テニス部で、レギュラーを取ったり取らなかったりだと言った。本も良く読むけど児童書が好きらしい。俺もテニス部で部長をしていると言ったら、それも知ってた、と笑った。よく笑う女だ。

「あ、もうそろそろ帰らなくちゃ」
「そう、もう帰るの……次はいつ来る?」
「一週間後かな」
「遠いな」
「じゃあ、4日後」

またね、とその日は彼女から手を振ってくれた。それからしばらくして赤也がそーっと入ってきた。今日も真田に怒られたみたいだ。

今日から君と、友達になった。


「失礼します」

友達になってから1ヶ月がたった。その日も苗字は花を抱えていた。今日の花は、紫陽花。

「あなた、花詳しそうだったから。花言葉も考慮してみた」
「元気な女性…だよね?」
「まぁ、細かいことはいいじゃない」

手早く活けて、いつも通り椅子に座る。俺も彼女も持っていた本は膝の上で閉じたままだ。彼女の本の表紙には星の王子様、と英語で書かれていた。

「今日はいつもと髪型が違うんだ」
「ああ…今日ジメジメしてたから。これで来たことなかったっけ?」
「うん。初めてだ」

髪はふんわりと一つに括られていて、いつもは見えない首筋が覗いていた。じっと見ていると彼女がじと目でなぁに?と聞いてきた。探られるのが嫌いなのかもしれない。それから少し本の話をして、気がついたらそろそろ真田達がくる時間だった。

「苗字、そろそろ」
「え?ああ、ごめんなさい長居しすぎた」
「ううん、もっといてもいいんだけど……次はいつこれる?」
「4日後かな」
「そう…遠いね」
「じゃあ……明日」

彼女がふわりと笑って出て行くのを見届けた後すぐに真田がドアを開けた。不安に思って聞いてみたけど、誰とも会わなかったみたいだった。そっと安堵のため息を吐いた。


「失礼します」

そして次の日、また彼女はやってきた。花瓶の水だけささっと代えて、いつも通り椅子に座る。今日は見慣れた髪型だった。

「やっぱりそっちのほうがしっくりくるね」
「何?」
「髪型」
「見慣れてるからだよ」

うん、俺もそう思う。

ぽつりぽつりと言葉が降る。少し、花の勉強をしたらしい。以前の花は花屋さんに任せっきりだったけど、昨日持ってきたのは自分で選んだのだと少し恥ずかしそうに言った。

どうりで、綺麗だと思った。

夕暮れがチラチラカーテンをくぐり抜けて入ってきて、紫陽花の赤をもっと鮮やかに染めた。もう、そろそろ時間だ。

「次は、いつ来る?」
「明日かな」
「そう…遠いね」
「そうだね」

ドアの外がガヤガヤと騒ぎ出す。きっともうすぐ真田達が来る。

「ねぇお前はさ、」
「何?」
「この時間をもっと有意義に過ごしたいとは思わないの」
「思うね」
「だろう」

俺の手と彼女の手が重なった。俺の目を見る彼女の目はキラキラと輝いて見えた。弱りかけた俺の心臓が今までにないくらい全身に血を巡らせる。

初めて、彼女の肌に触れた。

「友人のお見舞いに来るより、恋人のお見舞いに来る方が有意義だと思うんだけど」

「私も、そう思う」

またじっとお互い見つめ合って、どちらからともなく笑った。元気よく入ってきた赤也が、びくりと体を固まらせた。


今日から君と、


120625