かしゃかしゃと箸箱の揺れる音がする。ああ、今日も来た…なんて思っておきながら邪険にできないのは、多分妹とそう変わらない年齢だからだろう。

「千歳ー!」

やっぱり、名前だ。それでも笑顔で迎えてあげるなんてことはできず振り返らないでいたら、べっ!と痛そうな音がして道が静かになった。あーあ…。

「いったぁ…」
「……名前」

仕方なしに手を差し出すと、パッと顔を輝かせてから「大丈夫」と手をとらずに立ち上がった。擦ったであろう膝は赤くなっているだけで血はでていない。スカートをペンペンと叩いて、名前はいつもと変わらずにあんな、と切り出した。

「先生がこないだ委員会で撮った写真現像してくれてん。これ一枚千歳にあげる」

ぺらと裸のまま渡された写真には白っぽいウサギとピースで笑ってる名前と同じ委員会であろう子供達が写っていた。裏には日付と名前が手書きで書いてある。大人の字ではないから名前の字かもしれない。見たことないから、わからないが。

「1枚しかないんじゃなかと?」
「ううん。無理言って2枚もろた。こんな時くらいワガママ聞いてくれるって。みんな優しいやろ?」
「ふ、優しかね」

千歳、ウサギ好きやろ?
に、と悪戯っぽく笑って「好きなものと一緒だったらウチのことも好きになるかもしれんしな!」と言った。コツンと名前の頭を小突いてたしなめる。

「まぁ、貰っとくばい」
「ほんま?ありがとう!これでずーっと一緒やね」

ちょっと恥ずかしそうにそんなことを言う姿は可愛らしい。花が綻ぶように、とはよく言ったものだ。この少女の笑顔はなんとなく春を思わせる。なんてことを考えて、頭を振った。
なんば恥ずかしかこつ考えとるばい。

「どうしたん?」
「何でもなかよ」

名前にアテられたんだと思う。たぶん。

「で、いつだったっけ?」
「明日やで。何遍もゆうたやん!も〜忘れんといてよ」

本当は忘れてなんかなかった。不思議なことに、そんな気が全然しないのだ。自分が高校生になると同時に彼女が中学生になるのと同じように、普遍的なものだと思っていた。きっといつまでもかわいい妹分でいるのだと。

「千歳?」
「今日だけ、特別サービスたい」
「…ん」

やっぱり妹と変わらない大きさの手を握りこむ。冬の寒さにもあてられず、暖かい手をしている。子供体温、なんて思ったけど、口は開かないでおく。言えばきっとまた子供扱いするなと怒られるだろうから。

「楽しみやな〜熊本」
「よか所ばい」
「千歳の出身やもん!そりゃ”よか所“やろ!」

そう言ってまた、にぃと笑う。下手くそな笑い方だった。

「千歳と地元交換こみたいでおもろいな!あんな、ウチ熊本のよかとこいっぱい見つけるから、千歳も大阪のええとこいっぱい見つけてな!」
「うん」
「ほんまは、ウチがぜーんぶ紹介したいんやけど、無理そうやし…蔵ノ介に譲るわ!」

ほんじゃ、と名前が別れ道で繋いでいた手をほどく。ほとんど触るだけみたいにしていたから、驚くほど簡単に解けた。
少し窮屈そうに背負ったランドセルには無造作に色紙が挟まっていた。肩掛けの鞄からはリコーダーの袋が飛び出していて、きっと上履きも、教科書も、名前のここでの全てが詰まっている。

「…名前」
「何?」

自分の首に巻いていたマフラーを取って、振り返った名前に巻いてやる。マフラーの端を握ったまま、名前の頭に軽く唇を落とした。

「貰うだけじゃ悪か。これから寒かなるたい。あったかくせんね」
「…」
「…あと…寂しくなか、おまじない」

それ、男もんだけん、気に入らんかもしれんけど…と誤魔化すように笑えば、こくりと一つだけ頷いた。

「千歳、ありがとう。ばいばい」

やっと顔を上げてそれだけ言うと、名前は泣きそうな顔で笑った。急に名前が大人になったみたいに見えた。振り向きもせず一歩踏み出した名前に向かって伸ばしかけた手は、少し冷たくなった空気を掻くだけだった。手はそのまま、寒くなった首もとへ向かう。

「嘘吐き…」

自分にかけたはずのまじないは、早々に解けてしまったらしい。
箸箱の揺れる音が耳なりのように離れなかった。

春はまだこない。




121202