───さらばだ。安らかに消滅したまえ。

誰の物かも判らぬ男の声は静かに別れを告げた。

辺りを包んだ痛い程の静寂。折り重なって倒れる月海原学園の生徒達。ステンドグラスの光に彩られたこの場所で、息をする人間はトキワただ一人。そしていずれトキワもそこらに散らばる死体の仲間入りするのだろう。

敵性プログラムにつけられたトキワの傷が酷く傷んだ。ほんの少し動かしただけで鋭い痛みがトキワの全身を駆け巡る。
もう指の一本すら動かせそうになかった。

(……どうして)

忌まわしくも正常に動く痛覚が意識を失う事を許してはくれなかった。痛みを抱えながら、ぼんやりと疑問が生まれた。

一体どうして、自分はこんな状況に陥っているのか。まるで訳がわからない。こんな事に巻き込まれた心当たりすら浮かばない。
だって、トキワはただの学生であった筈だ。あまり多くはない友人達と共に過ごして、特に刺激の無い毎日を送る。その生活に疑問を思ったからこそ、レオナルドやあの見知らぬ男子生徒を追ってここに来た。
しかし、どうしてこんな事になっているのかはわからない。

痛い。身体中が痛くて堪らない。
ほんの少しでも身体を動かせば耐え難い痛みが走った。

(このまま、息絶えれば、楽になれるのか)

全て諦めて、深海に身を沈めるように意識を手放せば、この痛みから解放されるのか。苦しまず、彼らのようになれば痛みは消えるのか。
そうであるなら、諦めてしまいたい。この痛みから逃げてしまいたい。

(───嫌だ)

漠然と、そう思った。
死にたくない。こんな所で死にたくない。終わりたくない。終わらせてなど、やるものか。
何も成していない。何の行動も起こしていない。

(まだ、何か出来る筈だ)

トキワは自分が無力である事を知っている。
何か特技があった訳でもなく、何か偉業が成せるという訳でもない。
それでも、このまま死んでいくのは嫌だった。とてもじゃないが、形容出来る事じゃない。

痛む身体に鞭を打って、力を入れる。
今でも耐え難い痛みが更に強くなってぼろぼろと涙が零れ落ちた。それを拭う事もせずに、ただ身体を起こす事に専念する。
トキワの目前に佇む敵性プログラムを力一杯睨み付けて腕に力を入れた。

しかし、とっくに稼動限界を迎えているトキワの腕は、身体は、自らを支える事すら出来ずに崩折れる。
それでも、トキワは諦めなかった。諦めたくなかった。

(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!このまま終わりたくない、死にたくない!確かに自分は弱いけれど、刃向かう牙くらい持っている!)

無様な姿で地べたに転がりながら、零れる涙を落としながら、トキワは立ち上がろうとするのを止めなかった。荒い息を漏らしてもう一度腕に力を込める。
トキワの身体を駆け巡る痛みに叫び出したい衝動を飲み込んで、立ち上がって牙を剥け。

───うむ。己が誰よりも弱く、適う筈のない相手と知りながら牙を剥く。死の淵において未だ諦めたくないと足掻く姿はなんと無様な!だが、見事である!

唐突に響いた声はトキワに別れを告げた男の声ではなかった。あの男の声よりも、幾分か高い、綺麗なアルト。

───名も知らぬ路傍の者よ!その願い、世界が聞き逃そうとも、余が確かに感じ入った!拳を握れ、顔を上げよ!命運は尽きぬ!何故ならそなたの運命は今始まるのだから!

ぱん、と硝子の砕ける音がした。部屋に光が灯り、一人の少年が姿を現した。

鮮やかな赤い舞踏服に身を包んだ少年。輝く金色の髪に、透き通るように澄んだ翠の瞳。トキワよりも背の高い彼は、己よりも更に大きい剣を携えて。芸術品のように美しい少年は悠然とトキワに歩み寄る。
何とか起き上がったトキワは、冷たい床に座り込みながら呆然と少年を見上げた。

「───では、改めて問おう」

少年はトキワを見下ろしながら、その美しい声で問い掛ける。
トキワはあまりの美しさに走る痛みを忘れて見惚れてしまった。彼程美しい人をトキワは知らない。

「答えよ。そなたが余の奏者(マスター)か?」

堂々と問うた少年に、無意識の内に頷いたトキワ。すると彼は満足げに頷いて。座り込んだトキワの手を取り立ち上がらせた。

これが、あの赤き暴君と無力な魔術師の出逢いである。


───では、月に招かれた魔術師諸君。聖杯戦争を始めよう。存分に、殺し合え。




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