2015年、11月15日、日曜日。
午後5時44分。
カントー地方、クチバシティ。陸上自衛隊クチバ駐屯地、特別棟。
天井では蛍光灯が輝き、リノリウムの床材と強化マジックミラーと硬質の壁に覆われている室内に、取り調べ用の無機質な事務机と一組の椅子が置かれている。そして、二十歳前後の金髪の女性がその椅子に腰掛けている。彼女は金色の頭に包帯を巻いており、身体の節々にも純白の布が見られる。もっとも、その包帯は所々に赤黒い何かが滲んでおり、些か薄汚い印象を与える。女性の眼前の事務机には冷めたコーヒーの入れられたマグカップが置かれており、女性はそれを虚ろな眼差しで見ている。
硬質の壁に設けられた穴、金属性の強固な扉が数回ノックされた。
覗き窓も無い、金属の銀色で覆われたそれの向こうから軽い音が数回響いたが、女性は虚ろな眼差しのままマグカップを見ている。その後に開錠する音が聞こえ、その扉が外からの圧力に従い、ゆっくりと開かれた。
そこには黒髪の男性が立っている。
スラックスを履き、シャツの首元をネクタイで締めている男性は室内に入ると、手にしたジャケットを事務机の上に置いた。そして女性と向かい合う椅子に腰掛けると、ジャケットの下に入れてあるボイスレコーダーを取り出した。男性は、それのスイッチを入れた。
「始めまして、だな。何故私が此処に来ているのか、聡明な君なら理解できる筈だ」
「・・・・・・・・・」
「今回の一件だが、既に我々で解決できる範疇を超えている。君達は・・・・超えてはならない一線を跨いでしまったんだよ」
「・・・・・・・・・」
男性は穏やかな口調で話を切り出すが、女性の濁った眼はマグカップに向けられてたままである。一切話を聞かない女性に、男性は溜息を漏らすと横面に広がるマジックミラーを盗み見た。室内からはただの鏡に見えるが、反対側からは通常の窓の景色と何ら変わらないそれ、その反対側に立っているであろう男の姿を男性は探していた。しかし、マジックミラー越しにその姿が見える訳もなく、男性は再び溜息を漏らすと女性に目を向けた。
「君達の起こした行動で、多くの人やポケモンが傷ついてしまったんだ。もちろん、君達もそれを承知の上で決起した。その点は我々も理解しているよ。だが、解せない点もある」
「・・・・・・・・・」
「何故、あんな馬鹿げた事を実行したんだ?あれだけの犠牲者を出し、君達は何を望んでいるんだ?」
「・・・・・・・・かく」
ふと、女性が小声で呟いた。だが男性の耳やボイスレコーダーはそれを聞き取りきれず、男性は「何だって?」と言い、机上に身を僅かに乗り出した。しかし、女性はそれっきり口を閉ざすと、何も言わずに俯いていた。
壁にかけられた時計の針が刻む音のみが室内に木霊し、沈黙を貫く女性に男性は嘆息を漏らした。
「強情なのは構わないが、黙秘し続けても裁判で君に不利になるだけだ。この様な事を言うのはマズイが・・・司法取引と考え、我々に協力してくれないか?」
「・・・・・・・・・」
「____頼む、流石の我々でも今回の一件を揉み消すのは不可能だ。君が情報を提供してくれれば、それに合わせたダミーの情報をメディアや大衆に流せるんだ」
「・・・・・・・・・」
女性は閉口し、俯いたままである。男性は苛立ち混じりに舌打ちをすると、大きく息を吐いて頭を抱えていた。それは女性の態度にお手上げだという事を暗に示している。証拠に、男性の皺の刻まれた額には一筋の汗が垂れており、彼が精神的にも追い込まれている事が伺い取れる。
「・・・・ダミー」
その時、初めて女性が口を開いた。その声量は男性やボイスレコーダーでも聞き取れるもので、女性の言葉を耳にした男性は彼女に目を向けた。しかし、女性は再び閉口すると沈黙を貫きだした。男性はそんな女性を見て一瞬落胆の目の色を浮かべたが、すぐに気を取り直すと肘を着いて頭を抱えた。
室内に再び沈黙が訪れ、時計の針の動く音のみが響いていた。
だが、それは数秒間で消え去った。
「・・・・・あなた達は、昔から大衆に偽の情報を、偽物の平和を与えてきたのね」
女性が、口を開いたのだ。唐突に話し出した女性を男性は目を丸くして見ていたが、すぐに我に返ると姿勢を改めて彼女を見た。
「あなた達は民主主義を唱えながら、あなた達自身が世界を支配しているも同然・・・・・都合の良い情報を大衆に流し、都合の悪い情報は揉み消す・・・・人類の発展の為とか、医療の為とか・・・・・人を、ポケモンを虫けらとしか見ていない、本当に口先ばかりの自己中心的な連中ね」
「_____いったい何を」
「ジーン計画」
ジーン計画。
女性がその言葉を口にした途端、マジックミラーの向こうで大きな物音が響いた。それは驚愕の余り、勢い良く立ち上がった事によるものである。それだけ女性が口にした言葉は意味あるものであった。そして、その意味を知らない男性はマジックミラーの向こうに怪訝そうな目を向けると、女性の方を見た。
「何の話だ?ジーン計画?私は何も知らないぞ」
「あなたが知らなくても、ジーン計画が存在していたのは事実よ。そして私はそれを知っている。ジーン計画、ジーン婦人!あなた達に取って、思い出したくない記憶よね!」
興奮してきたのか、女性は声を高らかにし出した。その際、俯いていた顔をあげ、男性の顔を正面から見た。彼女が着ている服が天井の蛍光灯に照らされた。それは緑と茶色の迷彩柄の丈夫な作りで、女性の胸元には微かに輝きを放つピンバッジが付けられている。
それは、過酷な訓練と試験を通過し、一人前の隊員に与えられるポケモンレンジャーの徽章である。
顔立ちは一見すればアフリカ系の人間にも見えるが、アジア系の深い彫りで、また浅黒い肌と金髪で神秘的に見えて、美人と云える女性は男性の顔を正面から見つめると、疲れたような笑みを浮かべた。
「・・・・・・あなた達はジーン婦人を思い出したくないから・・・・だから無視した。だけど・・・それがあの人を『殺した』のよ・・・・」
女性は硝子のように無機質な瞳から涙を流すと、再び俯いた。そして声を押し殺して泣き出すと、そのまま事務机の上に身体を沈めた。女性の鳴き声が室内に木霊し、それは時計の針が刻まれる音と混ざり合っていた。話を掴めずにいる男性は、戸惑いを隠せずにいる。
その時、扉が開かれ、室内に一人の人物が踏み込んできた。