現地時間、午前一時五分。

東欧J共和国、地中海寄りの田舎町。

辺りには暗闇と静寂が広がっており、常に鳴り響く虫の鳴き声以外に音は無く、時たま風が草を揺らす音が聞こえていた。既に真夜中の境目を跨いだこの時間に屋外に出回る人間の姿は何処にも無く、更に言えば田舎町であるために人っ子一人見当たらない。そもそもJ共和国は国連に紛争地と見なされており、また共和国を牛耳る軍により国土全域に渡って夜間外出禁止令が出されている。そのような状況で歩き回れるのは軍人か共和国の独裁者であるシュタイナー将軍に頭を垂れる民兵以外にいない。他にいるとすれば、それはシュタイナー将軍による虐殺や蹂躙から逃れるために逃げ出す国民であろう。だが、『21世紀のポルポト』と揶揄される将軍は自身に逆らう者、それこそ女子供問わず、組織的に息の根を止めてきた。既に一万人近い国民が虐殺され、数十万人の国民が処刑を待つ身である共和国の現状、それは正に『独裁者』の支配する国であった。当然だが、国連の安全保障理事会や先進国の国々は将軍の虐殺を止めるために政治介入を試みた。だが、共和国軍と民兵達は巧みなゲリラ戦を展開し、『多国籍軍』を翻弄した。更に先進国に広がる反戦の世論により、多国籍軍は少数の兵力しか送れず、結果として将軍の逮捕も抹殺もできず、虐殺も止められずにある。

世界中から危険視されているJ共和国、その片田舎であるこの町に、虐殺の証明である『処刑場』が設けられてある。いや、処刑場とは軍や民兵に便宜上呼ばれているだけで、実態は重機で地面に溝を掘っただけの小高い丘である。天気が良い日には地平線の彼方に共和国を二分する山脈が見えるが、シュタイナー将軍による独裁と共に始まった紛争の影響で、今では血と硝煙の臭いと黒煙によりその景色は亡き者となっている。そして丘に掘られた溝、それは銃殺した国民の死体をそのまま突き落とす為の、文字通り『墓穴』である。逃げられないように拘束した上で国民を溝の端に並べて、軍や民兵の人間が引き金を絞る。たったそれだけの作業の為に設けられた『処刑場』である。この丘で実に二千人近い国民が今日まで処刑されており、今正に新たな処刑が始まろうとしていた。



十代半ばの顔色の悪い細身の少年と四十路近い薄汚れた男女、述べ3人が目隠しをされ、溝の淵に立たされていた。三人とも手首を麻の紐で縛られており、溝の方を向くように並んでいる。三人とも微かに身体を震わせており、彼らの背後には迷彩柄の軍用車のヘッドライトに照らされるようにして5人の人間が立っている。5人の周りには彼らのポケモンだろうか、全身に細かい傷跡が見られる二匹の人型のポケモン、ゴーリキーがいた。二匹は姿形こそ普通のポケモンと何ら変わらないが、その目は異常に輝いており、口角からは涎を垂らしている。常軌を逸した二匹の姿から、それが意味する事、紛争で兵器として活用する為に強制的に二匹に薬物を投与した事が自ずとわかってくる。
3人の格好は薄汚く、何れも軽度の栄養失調に陥っているのか、手足が常人より幾許か細く見える。だが、5人は迷彩柄の服で身を包み、愉快そうな笑い声をあげながら安物のタバコを吸っている。

3人は共和国の国民、そして5人は軍人か民兵だと格好から判断できる。だが、5人の格好は迷彩柄の服以外に共通点は一つも無く、武装も正規銃の劣悪な模造品である。そしてゴーリキーを収めているモンスターボールも正規版の模造品である。

[構え]

5人の中のリーダーに当たるのだろうか、髭面の大男が指で吸いかけのタバコを弾くと、残りの4人に対して現地語で命令した。4人はリーダーの命令に醜悪な笑みを浮かべると、各々が手にしたマシンガンやハンドガンの安全装置を外した。その音は暗闇の中に嫌に響き、それを耳にした女性は身体を大きく震わし、男性は何も言わずに目隠しを濡らしていた。そして少年は音に反応して全身を細かく震わすと、ズボンの股間の辺りを黒く染めた。少年を中心にアンモニア臭が漂い、それが意味する事に気づいた4人の内の一人は、嘲笑を高らかに上げながらハンドガンを少年の背中に向けた。男の指先がハンドガンの引き金にかかり、それを他の4人が薄ら笑いと共に見ていた。そして、薬物により精神を汚染された二匹のゴーリキー達は、虚ろな目でその光景を見ていた。

そのような面々が軍用車の更に向こう、丘の麓に広がる暗闇から迫る影に気づく事は不可能であろう。

丘の麓にある藪の中から彼らの様子を見ていた影は、男の指先がハンドガンの引き金に触れた事を視認した瞬間、音も無く藪の中から飛び出すと、瞬く間に丘を駆け上がり、5人の男達に襲いかかった。影は手始めに「く」の字型に湾曲した刃を持つナイフ、英語圏ではグルカナイフと呼ばれる代物でハンドガンを構える男に襲い掛かった。鋭利な切れ味を誇るそれで影は擦れ違い様に男の頚動脈を切り裂くと、未だに影の存在に気づいていない別の男に襲い掛かった。頚動脈を文字通り切断された男は突然の激痛と大量出血に驚き、思わずハンドガンを取り落とした。無意識に男は右手で傷口を押さえ込むが、血は男の指の間からも飛び出しており、男の命が残り僅かであることを示唆している。暗闇を切り裂くように響き渡った男の悲鳴の残りの4人は無意識に男の方を振り向いた。

だが、4人が男の方を見た頃には影が別の男の喉を切り裂いていた。

影はグルカナイフで男の喉仏の辺りを横薙ぎにした。湾曲した刃は男の皮膚や骨だけでなく、気管までも切断した。それにより、男は首元から大量の鮮血を垂らしながら仰向けに倒れこみ、周囲の雑草をも赤く染めていた。気管を切断された事で、「ヒュー、ヒュー」と擦れる様な呼吸音を上げながら男は痙攣している。
残りの3人もどうにか現状を把握し、まだ襲い来る影を撃退しようと闇雲にマシンガンを構えた。だが、暗闇に溶け込んでいる影の姿は簡単に視認できるものではなく、そのプレッシャーに耐え切れなくなったリーダー格の髭面の男はマシンガンの引き金を指を掛けると適当に銃弾をばら撒こうとした。その銃弾の軌道上には目隠しをされた3人もおり、このままでは彼らも巻き添えになるのは避けられない。だが、それに気づいた影は一瞬で銃弾のなぞる軌道を予測すると、髭面の男の傍に一瞬の内に現れるとマシンガンの銃口を掴み、強引にその向きを変えた。

その勢いに負けた髭面の男は思わず引き金にかけた指に力を入れてしまった。

劣悪な模造品ではあるが、引き金を絞られたマシンガンは精確に反応し、その銃口は何発もの銃弾を吐き出した。それらは暗闇を切り裂き、髭面の男の近くにいた残りの二人の男とゴーリキー達に牙を剥いた。マシンガンから放たれた初弾は何も無い空間を切り裂いていったが、それに続く次弾が一人の男に襲い掛かった。数発の銃弾が男の左脇腹から右肩に直撃し、男は苦悶の顔を浮かべながら倒れこんだ。そして一発の銃弾がもう一人の男の左肩に直撃に、残りの数発は片方のゴーリキーに当たった。そして、溝の淵に立たされていた男性は、マシンガンの銃声が響いた瞬間、思わずその場に屈みこんだ。それは女性と少年も同様で、3人は銃声と共に身を低くした。

その時、影は風を切る重たい音を耳にした。

音源の方をチラリと盗み見た影は、条件反射でその場で屈んだ。その直後、影の頭のあった空間を軍用車のボンネットが通過した。それは銃弾の牙を逃れたゴーリキーの仕業だ。ゴーリキーは駐車してあった軍用車の車体の後部を掴むと、その強力に物を言わせ、影目掛けて投げ付けたのだ。だが、車体は影に当たらず、影の鼻先ぎりぎりを通過しただけであった。

そして、影に当たらなかった車体は左肩の傷口を押さえている男の顔面にぶつかった。数トンはある車体が顔面に直撃したのだ。男の顔面は西瓜が割れる様な音をあげ、その勢いに負けた男の頭は後頭部を背中にくっつけた。一目で即死とわかる男は、そのまま力無く後方に倒れこんだ。

影は更に駆けて行く。

車体を力任せに投げ飛ばし、隙だらけのゴーリキーに向かって正面から影は飛び掛ると、ゴーリキーの首の付け根辺りに手を掴んだ。そして、擦れ違う勢いを利用し、そのままゴーリキーの首を180℃回転させた。太い首が嫌な音をあげ、脊椎を破壊されたゴーリキーは回転の勢いに従い、大地と接吻を交わした。
影は視界の端でゴーリキーが絶命したのを確認すると、もう一匹のゴーリキーに襲い掛かった。先ほどのマシンガンの銃弾に怯んだゴーリキーは迫り来る影に反応しきれず、隙だらけのその筋肉質の身体を、影はグルカナイフで切り裂いた。首筋の動脈をナイフでなぞり、下から顎を掌底で殴り、ゴーリキーは首から大量の血を流しながら仰向けに倒れ込んだ。

大地に横になったゴーリキーの片目に、影は躊躇無くグルカナイフを突き立てた。

ナイフが突き立てられた瞬間、ゴーリキーの身体は感電したかのように大きくびくりと震えると、小刻みに震えながらその生命活動を停止した。ナイフの柄越しに、ゴーリキーが絶命した事を確認した影は、サイレンサーの付いた拳銃を取り出すと、離れた場所で倒れている残りの一人−胴体に数発の銃弾を喰らい、苦しむ男−の頭に向かって、二回引き金を引いた。サイレンサーによるくぐもった音が響いたが、すぐにそれは消えていった。

その頃になり、最初に頚動脈を切断された男の痙攣は収まっていた。

「____クリア」

拳銃を下げた影は小声で呟くと、地面に転がって恐怖で震えている3人の方に向かって歩いていった。影、いや国連情報局諜報部の局員である椿は、闇に溶ける黒いをコンバットスーツのポケットから折り畳み式のナイフを取り出すと、手近に転がっている男性の腕を拘束している紐を切断した。腕が自由になった男性は、慌てて目隠しを外すと、背後に立つ椿を見て声にならない悲鳴をあげた。椿はそれに不愉快そうな表情を浮かべると、男性にナイフを手渡して残りの二人を自由にするように促した。それに男性は何度も頷くと、急いで少年と女性の下まで走った。その背を見送った椿は、溝の中に目を向けた。

そこには、山と川があった。

深く掘られた溝の中には山、いや将軍の命令で虐殺されたJ共和国の国民の死体が数え切れない程転がっており、幾重にも折り重なった犠牲者の中には赤ん坊や年寄り、果てには妊婦の亡骸も混ざっている。その中に生者は誰もおらず、あるのは死者の身体とそれから流れ出した赤い川だけである。山の周りを集る蝿、そして山の下の方に流れている表し様のない液体を見た椿は、自ずと口元を抑えると溝の端から駆け足で離れた。何度か死体を見た事のある彼女でも、これほどの数のそれを見るのは始めてである。中には子供の死体もある。とても直視できるものではない。

椿の左耳の奥で、雑音が響いた。

それは耳穴(じけつ)に入れてある小型通信機の発する音であり、左手に指を添えた椿は吐き気を抑えながら声を発した。

「・・・・はい」

『エルフ2、こちらシッター1.状況を報告せよ』

その声は地中海に展開している合衆国の第六艦隊、通称地中海艦隊のイージス艦、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の指揮所に詰めている男性オペレーターの物であった。椿はそれに苛立ち混じりの舌打ちを漏らすと、溝に背を向けた。

「シッター1、こちらエルフ2。共和国民兵の虐殺現場を発見、寸前で民兵を全員殺害、難民を三名保護した。指示を請う」

『・・・・エルフ2、少し待て』

少し間を置き、男性オペレーターは椿に待機するよう命じた。それを耳にした椿は一旦指を左耳から離すと、縄を解かれた3人の共和国の国民を見た。女性と少年は泣きながら男性に抱きつき、男性もまた泣きながら二人を抱き返している。その様子から、彼らが親子であることは明白だ。そして、少年の手足の細さや顔色の悪さから少年が栄養失調に陥っていることも明白だ。

(家族、ね・・・・)

遠い地にいるであろう、自身の家族の事を思い出した椿は一瞬だけアンニュイな表情を浮かべると、すぐに思考を切り替えた。直後、左耳の奥で雑音が響いた。

『エルフ2、こちらシッター1。作戦の目的は将軍の身柄確保であり、難民の保護は目的に反する。すぐにポイント・ルークに向かえ』

「・・・シッター1、難民の一人は栄養失調のようだ。このままでは命に関わる。保護を請う」

『ネガティブ、それは作戦に反する』

悪戯っ子(エルフ)の倫理に適った願いを子守(シッター)が拒絶する。皮肉な言葉のやり取りに椿は今度こそ大きな舌打ちを漏らすと、強めの語調でオペレーターに繋いだ。

「シッター1、指揮所にカンザキ補佐官がいるでしょ、出しなさい」

『____繰り返す。エルフ2、今すぐにポイント・ルークに向かえ』

「出しなさい」

有無を言わせぬ椿の口調に、オペレーターは暫しの間沈黙すると、一旦通信を切った。それに椿は溜息を漏らすと、暗闇の広がる虚空を見上げた。数秒後、再び左耳の奥で雑音が響き、聞きなれた低い男性の声が聞こえた。

『話は聞いた。すぐにポイント・ルークに向かえ』

「話は聞いたんでしょ?すぐに医療班を手配しろ」

カンザキの言葉に椿は似たような口調で返すと、彼を閉口させた。それを好機と見た椿は畳み掛けるように強気の口調で続けた。

「前に言ったわよね、あたしは外道が嫌いよ」

椿の言葉、その裏に隠れた意図を見抜いたカンザキは通信機越しに黙り込んだ。シュタイナー将軍の確保には椿の力が必要不可欠である。その椿が作戦に同意しないとなると、シンジ湖の一件も無駄になってしまう。将軍の確保に力を入れているカンザキにとって、それは避けなくてはならない事である。

『・・・・良いだろう、ただし難民達には独力で合流ポイントに向かわせろ。お前がキングを確保した後に一緒に海兵隊に回収させる』

キング(シュタイナー将軍を示す隠語)の確保、それを満たせば難民も保護するとカンザキは言った。

(嘘じゃなさそうね・・・)

悪人面の男だが、あれでも約束は守る男である。それは一年程の椿でも理解している事である。椿はカンザキの提案に満足そうに頷くと、小声で「ありがとう」と呟くと通信を切断した。

[あの・・・・]

椿の細い背中に、ひ弱な印象を与える男性の声が届いた。死体の散らばる現状で、その声を発する人物は一人しかいない。それを把握している椿はゆっくりと声のした方、女性と少年を抱き締めている男性を振り向いた。武装した民兵や格闘ポケモンを一人で全滅させた椿を、男性は畏怖するかのような眼差しで見ている。

[あなたは、アメリカ軍ですか・・・?]

[___しがないJane Doeですよ]

男性の問いかけに椿は薄ら笑いと共にそう切り返すと、倒れている民兵の死体から、マシンガンとハンドガンを拾った。そしてそれの弾丸を装填すると、銃口を地面に向けた状態で男性に突き出した。男性はそれらを暫しの間、不思議そうに眺めていたが、やがて震える手でそれらを手にした。

[あなた方は運が良い、ここから南に一時間程先にある古い教会に、天からの助けが来ますよ。そこまで自力で行って下さい]

私は大切な用事がありますので、と続けた椿はサイレンサーの付いた拳銃の残弾を確認した。

彼女の着ている黒いコンバットスーツが、弱々しい力によって引かれた。

椿は不審そうに引かれた方、薄汚れた格好の女性と少年を見た。二人とも目尻に涙を溜めており、男性も無言で涙を流していた。そんな彼らを見た椿は、彼らの意図が理解できず、問いかけようとした。

[娘を、娘を助けてください・・・・]

枝のように細い腕の女性が、嗚咽混じりに椿に言った。僅かな力でも折れそうな腕だが、椿のスーツを掴む力は強く、彼女は何故か振り解けずにいた。

[___娘?]

その姿が嘗て見た何かに重なった椿は、搾り出す様な声で尋ねた。それに女性は力無く頷くと、椿の脚に縋り付く様に泣きながら倒れこんだ。

[娘が、将軍の慰め物になるために、要塞に・・・・]

途切れ途切れに漏れる女性の言葉を聴いた椿は、頭からサッと血の気が引くのを感じた。以前エイブルが将軍について酷評を漏らしていた。それを椿は思い出したのだ。慰み物、その言葉が意味する事を一瞬で理解した椿は、全身の筋肉が強張るのを自覚した。嗚咽をあげる女性の肩を男性は優しく叩くと、椿を見上げた。

[あなたは先ほどJane Doeと名乗りましたね。つまり英語圏の方、それも相当な訓練を受けている方ですね]

男性は周囲に転がる民兵とゴーリキーの亡骸を見回しながら呟いた。

[・・・・もしかすると、あなたはシュタイナーの首を狩りに来たんですか?]

[___隠しても仕方ありませんね]

椿は男性の推測力に嘆息を漏らすと、アジアの極東の島国からわざわざ東欧の独裁国家まで脚を運んだ理由を認めた。それに男性は穏やかそうな顔で頷くと、椿に向かって深々と御辞儀をした。

[どうか、将軍に無慈悲な制裁を・・・]

その言葉の裏には虐殺による恨みが見え隠れしており、それを把握した椿は黙ったまま頷いた。それはシュタイナー将軍の首を刈る事と、彼らの娘を助け出す事、その二つを受け入れた合図であった。


同時刻、地中海沿岸の軍港に停泊中のアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の指揮所。

窓一つ無い薄暗い空間には数多くのモニターや通信機器で埋め尽くされており、そこに詰めている要員は誰もが米海軍の制服の袖を通している。その多くを軍服の白人が占めている中、一人だけ高級なスーツを身に纏う東洋人がいた。大柄な体躯と悪人面が特徴のオールバックの男、カンザキヨウイチは眼前の液晶画面に浮かぶ数多くの情報に逐一目を通しながら、エルフ2が送ってくる情報を整理していた。その傍らには飲みかけの香ばしい匂いのコーヒーが置かれており、そのカップは上級将校が頻繁に使用するそれと同じ物である。
液晶画面には共和国の片田舎、処刑場付近の航空地図が映し出されており、それにはエルフ2や難民達の姿が映し出されている。

「エルフ2、ポイント・ルークに向けて移動開始しました」

男性オペレーターの報告にカンザキは頷くと、引き続き状況の変化を報告するように指示した。当初の予定時刻より事態の進行はだいぶ遅れており、それを理解しているカンザキは言葉にできない焦燥を自覚した。それを誤魔化すかのようにカンザキはカップの底に残っているコーヒーを飲み干すと、再び液晶画面に目を向けた。

「焦っているようだな。だが、焦りは手柄を逃すぞ」

その広い背中に壮年の男性の声が掛けられた。その声の主、円らな黒い瞳が印象的な国際警察の主幹捜査官、ハンサムは嗜めるような口調でカンザキに言うと、同じ様に液晶画面を見上げた。ハンサムの言葉にカンザキは苦虫を噛み締めたような表情を浮かべると、液晶画面から目を逸らした。

「予定ならポイント・ルークに潜入済みの筈ですが、エルフ2が独断で難民を助けたから、ですね・・・・」

「確かに将軍の身柄の確保は重要事項だ。だからと言って、処刑される難民を見捨てて良い訳ではないぞ」

ハンサムの指摘にカンザキは口内で毒づくと、再びカップを傾けた。だが、その中身は既に入っておらず、彼は虚空を仰いだだけであった。

イージス艦の指揮所、そこは国家機密の巣窟といっても過言ではないエリアだ。そこにカンザキがいるのは極自然な事だ。なぜなら彼は国連と米軍の連絡将校的な存在だからだ。だが、主幹捜査官とはいえ、国際警察のハンサムがいるのは少し異常に感じられる。では、何故ハンサムが米軍の最高機密の一つであるイージス艦の艦内にいるのか。それは非常に簡単な話である。何故なら国際警察もまた、シュタイナー将軍を法廷の場に引きずり出したいからだ。そもそもICC(国際刑事裁判所)と国際警察は密接な関係である。故に国際警察の捜査官であるハンサムがICCの代わりに現場を訪れてもおかしくはない。とはいえ、カンザキと違い、ハンサムの傍には彼の動きを制限するための数人の米兵が控えていた。

「ハンサムさん、物事を大きな目で見てください。シュタイナー将軍の確保は『失われた二十五発』に繋がる唯一の手がかりですよ。二十五発の核弾頭と3人の難民の命、どちらが重要ですか」

「はっ、これだから役人は・・・・そもそも人命を物のように数える事自体が不自然だろう。生きとし生けるもの、全てがその寿命を全うする権利を持っている筈だ。それなのに君達は弱き者の権利など無視している、ホントに腹立たしい限りだな」

カンザキの言葉を歯牙にもかけず、ハンサムは強気な口調で言い返した。カンザキはそれに小さな溜息で返すと、再び液晶画面を見上げた。画面上の椿は民兵やゴーリキーの死体を溝に突き落として隠蔽し、既に移動を始めている。彼女は近くに停めてあった民兵達の車両を使ってポイント・ルーク、シュタイナー将軍の拠点である共和国空軍基地を目指している。

(・・・・三十分か)

その移動速度と基地までの距離からおおよその移動時間を見積もったカンザキは腕時計に目を向けた。現時刻が午前一時七分である。民兵達の死体が見つかる可能性を考慮しても、将軍の確保できる作戦時間にそれほど猶予は無い。そう結論付けたカンザキは腕時計から目を逸らした。

「そういうあなた達こそ、人道の理想論を掲げて虐殺の真実から目を逸らしているでしょう。弱き者の権利とやらを唱えるのなら、何故前回の安保理で共和国への進軍を反対したんですか?」

「___言っただろ、生きとし生けるもの全てに権利はある。それは共和国兵や民兵も同じだ」

「その下らない世迷言が、派閥争いが将軍の支配や虐殺を黙認したんでしょうが。あなた方はいい加減現実見てくださいよ、世界は理想論で動くほど甘いものですか?」

カンザキの言葉、それは表沙汰にならないある事実を指していた。国際警察の幹部がシュタイナー将軍と繋がっている。そのために、前回の安保理で国際警察は共和国兵の人権を盾にして、共和国への軍事侵攻に反対したのだ。しかし、国際警察の中にも将軍を捕まえたい、虐殺を止めたいと思う派閥もある。ハンサムは、その派閥から将軍派への内偵を兼ねていたのだ。

苦言を漏らすハンサムにカンザキは淡々と言い返すと、冷徹な眼差しで見ていた。それにハンサムは苦言を隠せずにいるが、子供のような言い合いの生産性の無さに気づき、反論するのを止めた。カンザキはそれに薄ら笑いを浮かべるが、特に言及もせず、閉口したまま液晶画面に目を向けた。

どちらも話さないまま数分が経ち、その間の変化は画面上のみで見られた。

「そういえば・・・」

画面上の動きを目で追っていたカンザキは、思い出したような口調で切り出した。それにハンサムは横目で見返した。

「イッシュ地方で、確か新興宗教の団体の動きが活発になっているそうですね」

カンザキの言葉を聞いたハンサムは、片眉を僅かに持ち上げた。それを彼は見逃しておらず、僅かに目を細めると追求し出した。

「何でもポケモンをトレーナーから解放する事に教義を見出している過激派らしいですね・・・・」

「____プラズマ団、だな」

ハンサムは短く応えた。

現在、世界中にポケモンは生息しているがその多くが幸せな日常を送れているとは限らない。中には悪質なトレーナーやブリーダーに捕まり、労働や愛玩として使役されたりしている。中には人間の支配に反抗するポケモンもいるが、その多くは人間の技術力や経済力に敗れている。それでも歯向かうポケモンもいるが、そのような者には容赦ない粛清−椿が倒したゴーリキーのように薬物を投与されたり、場合によっては殺害されたりなど−が下される。

そのような人間の支配からポケモンを解放するために活動している団体、プラズマ団。

その実態は謎が多く、教団の代表はおろか、教祖や幹部、果ては信者の数や傘下の企業も不明なままである。活動といっても水面下の物が多く、またポケモンの解放もインターネットを介して声明を出しているだけにしか過ぎず、実害は一つも報告されていない。実害の無い団体を無下に扱うわけにもいかず、プラズマ団は現在、国際警察やUNIAがマークしている程度である。

「ポケモンと人間の共存の理想論と世界中での実例の真実、あなた方とプラズマ団」

「何が言いたいんだ」

含意のあるカンザキの口調にハンサムは僅に苛立ち混じりに返した。それにカンザキは微かに口角をあげると、横目でハンサムを見た。

「・・・・案外、そのプラズマ団とやらが国際警察より正しいかもしれませんね」

言葉自体は丁寧だが、その意味に鋭利な刃が付いている事は明白だ。それを理解したハンサムは、自身の抱く正義感を貫き通したい思いと上層部に根付くシュタイナー将軍を始め、世界の裏側に繋がるパイプの存在を疎ましく思う、所謂ジレンマに駆られた。上層部に逆らうわけにもいかず、かといって虐殺を見逃したくも無い。ジレンマに駆られたハンサム捜査官は、権力を持ち、自由奔放に活動できるカンザキ補佐官を嫉む様な眼差しで見た。

「ハンサムさん、勘違いしないでくださいね」

唐突にカンザキが口を開いた。

「何も国際警察を否定しているつもりはありませんよ。人間は、多かれ少なかれ、裏の顔を持つ生き物です。それはあなたも私も同じです。むしろ、権力に媚びず、己の意思を貫こうとしているハンサムさんの身構えは、ありだと思いますよ」

「___だが、権力に逆らえないのも事実だ。殺人犯が福祉団体の関係者なら見逃し、強姦魔が政治家の息子なら事件その物が無かったものになる。そして・・・」

「警察の幹部と独裁者が嘗ての学友なら、虐殺も見逃す、と?」

ハンサムの言葉の続きを予期したカンザキは、穏やかな口調で尋ねた。それにハンサムは果てしなく苦いコーヒーを飲んだ時よりも、厳しい表情を浮かべると脳内を過ぎる、彼の直属の上司である国際警察の幹部の顔をかき消すかのように頭を振るった。

そんなハンサムを、カンザキは薄ら笑いと共に見ていた。

「安心してください、ハンサムさん」

相変わらずカンザキの口調は穏やかだが、言葉の重みが先ほどと違っていた。

「時には法を無視する輩もいます。ですが、そのために我々がいるんですよ」

カンザキはそう呟くと、画面に浮かぶ青い紋章−青い生地に北極点を中心に描かれた地球と平和の象徴であるオリーブが施されたもの−国際連合を象徴する旗を見上げた。現国連事務総長、朝霧海奈を中心とした国際連合の象徴。そのカリスマ性は凄まじく、世論の九割近くが朝霧海奈に賛同している。もはや宗教といっても過言ではない国連の存在を、カンザキは満足そうに見上げていた。

「権力で法を無視し、人々を蹂躙する輩は、私が消しましょう」

その瞬間、ハンサムの背筋を悪寒が駆け上った。恍惚とした表情のカンザキとは裏腹に、ハンサムは生唾を飲み込むと改めて彼を見た。

(地獄と言われるレンジャー試験に合格し、エリート部隊である空挺部隊や米軍デルタフォースで経験を積んだ男・・・・・)

ハンサム捜査官は、表沙汰になっていないカンザキ補佐官の経歴を思い出した。

(コイツは事務総長の影で、反抗する者を容赦無く消してきた・・・・)

政(まつりごと)を中心に活動する朝霧事務総長の補佐官であるカンザキ。表に出せない事象は、彼が片付けてきたのだ。そのような人物が、先の言葉を口にしたのだ。ハンサムは悪寒と微かな身震いを覚えた。

「補佐官」

その時、椿と通信していたシッター1を名乗る男性オペレーターがカンザキの名前を呼んだ。カンザキは彼の言葉に返事をすると、その傍に歩み寄った。

「間もなくエルフ2がポイント・ルークの作戦範囲に到達します」

「・・・わかった、エルフ2に繋いでくれ」

その背中をハンサムは畏怖の眼差しで見ていたが、それにカンザキは気づかなかった。

もっとも、彼の意識はシュタイナー確保に向けられており、致し方ないことでもあった。
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