希一とケイがテロリストの毒牙から逃れる少し前。

シンジ湖の湖畔。

「あれは・・・何ですかねぇぇ?」

マシンピストルを構えたまま辺りに響いた聞き慣れぬ銃声に眉を顰めたエイブルは片手でスイクンのミランダを傍まで呼び寄せると、周囲一帯を警戒している。それは隣でアサルトライフルを構えているユーリも同様であり、覚えの無い銃声は二人の警戒心を最高度まで引き上げていた。

一方、テロリスト達のそんな動きを見ていた雫は、根拠の無い自信を抱くのを自覚していた。

二人の動きと言葉から、先ほどの銃声はテロリストによるものではない。そして、この国の民間人が銃火器を入手することは事実上不可能である。それならば、先ほどの銃声は武装が許可されている組織の者−自衛隊や警察、或いは司法機関の関係者−によるものである。更に雫はそういった機関に強いコネクションを持っている男が誰かを知っていた。

そして、その男が自身の味方であることも。

エイブルとユーリの意識が雑木林の向こうで響いた銃声に向けられている間に、雫は駆け出した。右手で硬直していたぺトラの手を、左手で不可視の壁を張っていたサーナイトの黒江の手を掴むとシンジ湖の湖面に浮かんでいるバシャーモの茜の近くの岸にある岩陰目掛けて足を動かした。だが、それを見過ごすほどエイブルとユーリも馬鹿ではない。二人は咄嗟に駆け出した雫達を視界の端に捉えながら素早く銃身に新たな弾倉を差し込むと、彼らの足に銃口を向けた。あくまでもエイブルとユーリの目的は事務総長の一人娘である雫を生け捕りにする事であり、殺害ではない。故に二人は雫の動きを止めるために銃口を彼女の足に向けたのだ。

二丁の銃の引き金が引かれる寸前に、雑木林の向こうから轟音が響いた。
同時に、木々を超えた空に黒い煙があがった。

それはマタドガス達の垂れ流した可燃性の有毒ガスに引火して生じたガス爆発であったが、それを知らないエイブルとユーリは木々の合間を縫ってきた轟音と飛ばされてきた木片に怯み、思わず雫達に向けていた銃口を下げてしまった。その間に辺りに乱雑に落下してくる木片の合間を潜り抜けるようにして雫は駆けて、エイブル達が体勢を立て直す前に何とか岩陰に避難できた。その頭上に幾つもの木片が落下してくるが、一呼吸おけた黒江が改めて念力の防壁を張ることでそれを防いでみせた。

「痛い・・・」

「耳が__」

辺りに響いた轟音に鼓膜を叩かれた雫とぺトラは揃って耳を押さえながら屈み込んだ。その傍では念力の防壁を張った黒江が警戒するように岩陰からエイブル達を覗き見て、逃げ出す機会を伺っている(湖面に浮いている茜を回収したい所だが、残念ながら彼女の身体は岸からそれなりに離れた湖面に浮いている)。

「どうやら・・・国連軍が来たようですねぇぇ」

落とした銃を拾い上げたエイブルは、爆音により三半規管をやられたのか、少しふらつきながら立ち上がった。ユーリも同様にバランスを整えながら立ち上がると、アサルトライフルを雫達の隠れる岩目掛けて発射した。

「合流される前にさっさと連れ帰りますかぁぁ!」

ユーリの放つ銃弾が岩の表面を穿ち、嫌な音が周囲に響き渡る。それに雫とぺトラは互いに抱き合うと身を縮め、黒江は岩に弾かれる兆弾に警戒しながら黒い球を手中で作り上げると、それをエイブルとユーリ目掛けて放った。ゴーストタイプの代表的な技であるシャドーボールは真っ直ぐにエイブルとユーリに向かって飛んでいった。だが、それは直ぐに横から割り込んできたミランダの放った水流で打ち消されると、そのまま四散した。

「いい加減に降参してくださいよぉぉ!」

そこにエイブルのマシンピストルの銃弾も加わる。先ほどより状況は多少マシになったが、それでも雫達が窮地にある事は変わらない。辺りに砕けた岩の破片が飛び散り、雫とぺトラは目を瞑ったまま抱き合っていた。

その時、雑木林を抜けてきた風が雫を撫でた。

それは一見すると何の変哲も無い風であった。しかし、その風が運んでくる『何か』が雫の五感を刺激した。それは匂い、それは味、それは光、それは暖かさ、それは音。そして、それは雫達を目指して雑木林の中を駆けてきている。

ふと、雫の脳裏に何かの光景が映り込む。

木が乱雑に生えている決して広くはない雑木林の中を、黒い何かが駆けている姿が雫の脳裏に鮮明に映り込む。その黒い影は凄まじいスピードで雑木林の中を駆けており、瞬く間に雫達のいる湖畔目掛けて接近してくる。どうやらその気配は雫だけが感じたようではなく、エイブルとユーリも気づいたらしく、雫達目掛けて発砲するのを止めると雑木林、いや黒い影が飛び出してくるであろう方向に銃口を向けた。その直後、雑木林の奥が微かに揺れ、黒い『何か』が湖畔目掛けて飛び出してきた。それに向けてエイブルとユーリは銃を発砲するが、その『何か』、いや黒の下地に赤い模様が描かれたコンバットスーツを着たフルマスクの人物は飛んでくる銃弾を次々に避けると二人に襲い掛かった。その全身を覆うコンバットスーツの人物のフルマスクから覗く眼光は獣のように鋭く輝いており、スーツの下に隠れているであろう人物の四肢はカンザキと違い細く、しかし無駄のない筋肉質の身体付きであることがわかる。その雰囲気から人物はまだかなり若いようで、恐らくギラティナよりも年下のように見える。
人物、いや青年は彼目掛けて発砲してくるユーリ目掛けて駆けると、飛んでくる銃弾を避けながら軽く跳躍して、ユーリ目掛けて飛び蹴りを放った。それにユーリはアサルトライフルを胸の前で盾のように構えると、それで青年の飛び蹴りを受け止めた。

その瞬間、ユーリの持つアサルトライフルの銃身が『折れた』。

バキッという奇妙な音が湖畔に響いた直後、ユーリの身体が後方に飛ばされた。青年の飛び蹴りによりアサルトライフルの銃身は、くの字に折れ曲がり、破壊されたマガジンから薬莢に収まったままの銃弾が辺りに飛び散る。陽光が反射してキラキラと光が舞う中、散らばった銃弾の絨毯に倒れたユーリは胸元を手で抑えながら苦悶の表情を浮かべた。ライフルが破壊されるほどの威力の飛び蹴りだ。それはユーリの肋骨を見事に粉砕しており、体内で砕けた骨の欠片が内臓を傷つけていた。一方、ユーリに飛び蹴りを極めた青年はその反動でクルリと空中で回転すると、軽やかに着地した。次の瞬間、青年にマシンピストルの銃弾が襲い掛かった。青年が着地する瞬間を狙ってマシンピストルの引き金を絞ったエイブルは、顔面に微かな焦燥の意を浮かべていた。だが、青年はその場でバレリーナのように両足を左右に開脚してしゃがみ、飛来してくる銃弾を避けると、腰に下げられていたホルスターの中から拳銃を取り出してエイブルを狙い引き金を絞った。常人離れした青年の身体の柔軟性にエイブルは目を見開くが、素早く横に転がり青年の銃弾を避けると、安全ピンを抜いた手榴弾を青年めがけて投げつけた。

「危な・・・!」

岩陰から青年を見ていた雫は思わず青年の身を案じる言葉を口走るが、青年はそんな雫をフルマスク越しに不敵な笑みと共に見返すと、両手を突いて逆立ちの要領で起き上がった。そして弧を描きながら飛んできた手榴弾と両足で蹴り飛ばすと、素早く身を立て直してエイブル目掛けて駆け出した。蹴り飛ばされた手榴弾は青年の後方で爆発して、辺りに幾つもの破片を撒き散らすが、青年はそれを一切意に介さずエイブル目掛けて駆ける。そんな青年に向けてエイブルはマシンピストルを連射するが、走りながら拳銃を捨てた青年は両腕を大きく振って、袖の中に仕込まれていた物−キンッという金属音と共に伸ばされた鋼鉄製の特殊警棒−を取り出すと、それで飛来してくる銃弾の雨を次々に粉砕していく。通常の長さの約三倍の長さまで伸ばされたそれを目にも留まらぬ速さで青年は振り回し、迫り来る銃弾を破壊、或いは打ち落としながらエイブルの眼前まで迫ると、それで彼女の筋肉質な胴体を打った。だが、頭蓋骨ですら陥没させる特殊警棒が打ち込まれる寸前にエイブルはユーリと同じようにマシンピストルを盾のように構えると、それで青年の一撃を防いだ。しかし、その威力はマシンピストルを破壊するには十分すぎる代物であり、エイブルの手中で破壊されたマシンピストルの破片は彼女の手を傷つけたが、今の彼女にそれを気にする時間は余りに惜しい物である。彼女はマシンピストルを破壊されながらも青年から間合いを取ると、同じく袖の中に仕込まれていた特殊警棒を取り出して伸ばすと、それを青年の顔面目掛けて振るった。だが、青年はそれの軌道を容易く見切ると、微かに身を捩じらせて避けると、エイブルの筋肉質な二の腕を掴んで柔道の要領で投げ飛ばした。シンジ湖の湖畔の地面に背中を強かに打ちつけた彼女は肺の中から空気の塊を吐き出し、その顔を歪めてみせた。

そこに、青年目掛けて激流が襲い掛かった。

エイブルの危機を察したミランダの放った水流が容赦無く青年の全身の骨を砕かんと言わんばかしに襲い掛かるが、青年はそれを身を屈めて避けるとミランダに向かって正面から走り出した。ミランダはそんな青年目掛けて、再び正面から激流を放つが、それが彼を包む寸前に青年は片手をミランダに向かって掲げた。

その手中には、何も存在していない。

だが次の瞬間、雫の目には青年が『五人』が分裂したように見えた。横一列に分裂した青年の姿にミランダは驚愕の表情を浮かべるが、すぐに状況を冷静に把握すると、中心を駆ける青年目掛けて激流の流れを変えた。眼前から迫る激流に五人の青年が薄ら笑いを浮かべた直後、激流が中心の青年の身体を貫いた。だが、青年の身体が激流に撃ち抜かれた直後にその姿は掻き消え、残りの四人の青年がミランダに向かって走り続ける。しかしミランダは一向に慌てた様子を露にせず、左側を駆ける二つの青年の影に向かって、冷凍ビームを放った。白い冷気を纏う線は駆けてくる二つの青年の影の胴体を射抜くが、その二つも直ぐに消えた。その間に接近してきた残る二つの影がミランダ目掛けて特殊警棒を頭上に構えた。次に襲い掛かるであろう、頭蓋骨ですら粉砕する一撃を考えて目を瞑った。

「ミラ・・・!」

その間に痛みに耐えて、顔を何とか上げていたエイブルが彼女の名を呼んだ。青年はエイブルの声とミランダの恐怖に歪む表情に冷笑を浮かべると、そのまま警棒を振り下ろした。その瞬間に響くであろう、頭蓋が砕ける音と脳漿が潰れる生々しい音を聞きたくない雫は両耳を塞ぐと、頭を下げた。

だが、それは何時まで経っても響かなかった。

それを不思議に感じた雫は恐る恐る目を開くと、振り下ろされた青年の特殊警棒がミランダの蒼い身体を『貫通』していた。通常なら警棒により打たれた箇所は肉を打つ音と共に鮮血が飛び散る筈である。だが、警棒はミランダの身体を頭から貫通した直後に、残りの二人の青年諸共消え去ってしまった。

直後、ミランダの背後から突如現れた青年が彼女の背中に飛び乗ると、その両腕で彼女の首を絞めだした。突然背後から現れた青年にミランダは反応しきれず、なすがままに青年に拘束されたまま身体を振るっていた。だが、青年はロデオの騎手のように巧み全身のバランスを保ちながらミランダの背中にしがみ付いている。そしてコンバットスーツの太股に付けられているポケットから液体の入った注射器を取り出すと、それをミランダの首筋に躊躇無く突き刺した。強化ガラス製の筒の中に充填されている液体の中にミランダの赤い血が微かに逆流し、まるで海中の藻のように踊っている。それ−先ほどカンザキが希一とケイに盛った睡眠薬の高濃度のもの−は青年の手によりミランダの体内に注入され、針の刺さる痛みに驚いたミランダが全力で首を振った。青年はその動きに逆らう事なくミランダの背中から離れると、空中でクルクルと回転しながらバランスを整えて着地した。それとほぼ同じタイミングで意識を消失したミランダは四肢から力が抜けるのを抑えきれず、そのまま大地に横転した。

不敵な笑みを浮かべた青年は、手中の注射器を投げ捨てると雫の方を見た。青年の蒼い瞳が真っ直ぐに雫を見つめており、それはある種の妖しさを宿していた。明るい蒼のそれに雫の呆然とする顔が映っており、背後の空に上っている陽光により青年の全身は着ているコンバットスーツより黒く見えた。

「____怪我は無いのか?」

フルマスク越しに青年の耳障りの良い声が聞こえた。黒い格好は光を集めて、この晴天の中ではそこそこ暑く感じるはずだが、青年は汗ひとつ流さないまま雫を見ている。だが雫は青年の顔を見たまま呆けており、それをフルマスクのせいだと思ったのか、青年は合点がいったように軽く手を叩くと右手でフルマスクを外した。

そこには、精悍な顔立ちの青年がいた。切れ長の涼しげな目元には蒼い眼光が輝いており、細い顎と整った目鼻はまるで俳優のようである。身長はカンザキより頭ひとつ分小さいが、その全身は引き締まった筋肉の鎧で覆われており、細いが力強い印象を人に与える。そして、何より目立つのは青年の髪。腰の辺りまで伸ばされて蒼い数珠のようなもので一つに束ねられた黒髪には赤いメッシュが混じっており、癖毛だろうか、所々青年の髪は跳ねている。

だが、雫は青年の外見より気になる事を感じていた。

(この人・・・人間じゃない___)

青年の纏う気配が、カンザキや希一、ぺトラやケイとは全く異なるものに感じられた。むしろギラティナやパルキアの天、ディアルガの鴇やホウオウの陽に近いものである。人の姿をしていながら人ではない者達。即ち、擬人の姿を取っているポケモンだ。それに気づいた雫は青年を見たまま何も答えず、それに怪訝そうに眉を顰めた青年は唐突に手にした特殊警棒を背後に投げた。空を切って飛んでいく警棒は肋骨の折れた箇所を押さえながらハンドガンを構えていたユーリの手中の拳銃を叩き落とし、それは空を飛んでシンジ湖の湖面に沈んでいった。青年を背後から奇襲しようとしていたユーリは手中に走る痛みと青年の技量に刮目すると、憎憎しげに舌打ちをすると、自身の腰に下げてあるホルダーに手を伸ばした。

その瞬間、青年めがけて炎を纏う金属の破片が襲い掛かった。

青年と雫から幾分か離れた場所で転がっていたエイブルが大声で何かを叫びながら背中に背負っていたショットガンを二人に向かって発砲しながら走ってきている。それはパートナーであるミランダを案じた事による言葉にならない叫びであったが、そんな事は露知らず、ショットガンから吐き出された炎−金属の弾丸の代わりに発火しやすいジルコニウム金属粉を火薬で点火・吹き飛ばすことによる炎−が青年と雫に肉薄する。ドラゴンブレス弾(破壊力はあまり無いが、代わりに燃焼力に長けているため、多くの国で実用が禁止されている)、竜の吐く炎の名前を関する弾丸は二人の身体をローストチキン宜しく丸焼きにせんといわんばかしに襲う。流石に火炎放射さながらの勢いで迫ってくるドラゴンブレス弾の炎をマシンピストルの銃弾のように避けるのは至難、いや不可能の業である。

「そこのサーナイト!」

それを重々承知している青年は、岩陰に隠れている黒江に向かって大声をあげると、唐突に雫の身体を両腕で持ち上げるとその場で軽々と跳躍してみせた。

「そこで気絶しているバシャーモと小娘を連れて逃げろ!」

青年の叫び声が響いた直後、雫の視界が、大きく揺らぐ。

視界の端に映っていたシンジ湖の水平線が上下逆、180°回転して上に大地の緑と湖面の青、下にシンオウの青い空が広がる。全身の血液が逆流して、一気に頭の頂点まで駆け上るがそれは青年が身体を回転させることで打ち消された。重力により、胃の底から胃液が逆流するような感覚が雫を襲い、束の間の不快感が彼女の全身を包む。だが、それは直ぐに消えて、雫の視界は元の通りになった。違和感と不快感は無くなり、全てが元通りに思えた雫は、自身が青年に両腕で横向きに抱かれている事、所謂お姫様抱っこの格好のまま空中を飛んでいるのに気が付いた。二人の身体が重力と釣り合い、空中で静止した。雫の周囲には地上から見られない光景−シンジ湖の湖面全体と沿岸に仁王立ちしている木々とその向こうに広がる町並み−が広がり、心地よい風が彼女の頬を撫でた。

今まで雫と青年のいた空間をドラゴンブレス弾の炎が走り、その場の空気を焼いていく。

それと同じタイミングで青年と雫の身体が重力に従い落下しだし、炎によって熱せられた空気が二人を包み込んだ。雫の全身を熱風が撫でるが、それはすぐに収まり、代わりにエイブルの携帯するショットガンが新たな炎を吹いた。雫を両手で抱えた青年は、眼前から迫り来る炎を横に跳躍して避けると、軽やかに炎の嵐を避けていく。炎を発射する、火炎放射に近いドラゴンブレス弾はその性質上から連射はできない。それ故に雫を両手で抱えたままの青年は軽やかな動きでそれを避け続け、ペトラ達とは反対の方向に逃げていく。

一方のペトラと黒江は青年の言葉に我に返ったのか、湖面に浮いているバシャーモの茜の身体を黒江のサイコキネシスで手繰り寄せると、ペトラの手を引いてテレポートでこの場から逃げようとする。だが、ペトラは雫と青年を危険なこの場に置いていくことに抵抗があるのだろうか、黒江の右手に掴まれたまま青年と雫の方に駆けようとする。二人の身を案じるあまり、ペトラは声にならない叫び声をあげる。それは炎に追われる雫と青年の耳に届くには十分過ぎる声量であり、それを耳にした雫は青年の両腕の中からペトラの方を見た。それは青年も同じらしく、空中で前転しながら炎を避けると、雫が声をあげるよりも早く大声で叫んだ。

「コイツは俺に任せてさっさと行け!」

その言葉は暗に雫とペトラ、両方を守る余裕が無いことを示しており、それをすぐに察した黒江は傍まで手繰り寄せた茜の引き締まった体躯を肩に担ぐと、ペトラの手を引いてテレポートをしようとした。

「シザークロス!」

男の声がぺトラの耳に飛び込んだ。

その瞬間、黒江の頭に向かって太い腕のような物が振り下ろされた。

それにいち早く気が付いた黒江はペトラの手を離し、茜の身体を地面に肩から落とすと、頭上で両腕を交差させた。そこに紫色の腕のような物、いや何時の間にかボールから出されたユーリのポケモンである「ばけさそりポケモン」ドラピオンの頭から生えている二本の触手の先端にある爪が叩きつけられる。その威力はかなりのもので、黒江の両足がドラピオンの一撃により地面に微かに沈み、辺りに小さな窪みを作る。黒江は悪・虫という、エスパータイプには鬼門のタイプを二つも有するドラピオンの攻撃に苦悶の表情を浮かべながらも、それを受け流して横に避けた。ドラピオンは何とか逃げおおせた黒江を威嚇するような鳴き声をあげると、頭上の腕を再び持ち上げて、今度は黒江の横で恐怖のあまりに硬直しているぺトラ目掛けて振り下ろした。表情筋が恐怖に歪み、ぺトラは両手で頭を抱えるとその場で目を瞑った。

ぺトラの細い身体を、黒江はその腕で突き飛ばした。

それによりぺトラの身体がドラピオンの腕に叩き潰される事は避けられたが、代わりに黒江の細い腕に赤い筋が走り、その直後に鮮血が彼の足元を汚した。それはエスパータイプの黒江にとって弱点である虫タイプの技、シザークロスである。鋭い爪から放たれる虫のオーラを宿した一撃は黒江の腕を浅く切り、その緑色の皮膚を傷つけた。悪タイプを有するドラピオンはエスパータイプの十八番であるPSIを無効化できる。それは即ち黒江の主たる攻撃手段であるPSIがドラピオンの前では無効化されることである。そのため、黒江はドラピオンの更なる追撃をテレポートで避けると、腰を抜かしてしゃがみ込んでいるぺトラとは間逆の方向に逃げた。ドラピオンは反撃出来ずにいる無抵抗の獲物の身体を八つ裂きにするべく、狩の始まりを告げる雄叫びを高らかにあげると、黒江目掛けて切りかかった。

そのため、ドラピオンの毒牙からぺトラは逃れることができた。

この機会を有効に活用すべく、ぺトラは震える足腰を心で叱責しながら何とか立ち上がると、すぐ傍に倒れている茜の身体を強引に引き起こすと、彼女を背負いその場から逃げようとした。

「うっ__!」

だが体重が五十キロを超えるバシャーモの茜の身体を高が十五歳の少女が担いで移動出来る訳も無く、ぺトラは失神している茜の筋肉質な身体に潰されるような形で動けなくなってしまった。背中に茜の鼓動を感じながら這い蹲るぺトラは、鼻先に土の匂いを覚えながら黒江の方を見た。彼は得意のPSIが効かないユーリのドラピオンを相手にしながらも、何とかその攻撃を避けていた。だがサーナイト種は特殊技に秀でた種族だ。それは逆に言えば物理技に劣る事を意味しており、PSIやマジカルリーフが通用しないドラピオンは、彼にとって文字通り『天敵』である。それならば催眠術やフラッシュなどのサポート技で状況の逆転を狙いたいが、ドラピオンがそのような隙を黒江に与えるわけも無く、連続で放つシザークロスが彼の身体を八つ裂きにしようとする。

ぺトラの鼻先を、銃弾が掠めた。

心配そうな眼差しで黒江を見ていたぺトラだが、いきなり鼻先を掠めた銃弾に身体が条件反射で震え、銃弾の飛んできた方に目を向けた。そこには足首に隠されていた小型拳銃を構えたユーリが折れた肋骨とその破片による内臓の痛みに耐えながらも狂気の笑みを浮かべる姿があった。どうやら痛みが最骨頂まで達しているらしく、ユーリの構えた小型拳銃の銃口は微かに震えており、それにより初弾はぺトラに当たらずに済んだ。だが次弾以降がそうなるという保証はなく、茜の身体に圧迫されて別のボールが取り出せない、反撃の手段を持たないぺトラはいち早くこの場から逃げなければならない。

だが、それをテロリストで生粋の人殺しであるユーリが見逃す筈が無い。

痛みに震える彼だが、初弾の通過した位置からぺトラとの精確な距離を目で測ると、軌道を修正した銃口を彼女に向けて引き金を引いた。

辺りに銃声が響き、それと同時にぺトラは視界が黒く染まり頭に衝撃が走るのを自覚した。





同時刻、雑木林の中。

無造作に生えた木々の海を複数の影が音も気配も無く駆けている。それらはどれもが迷彩柄の入った黒いコンバットスーツで全身を包んでおり、腕には青と白で描かれた地球儀のワッペンが付けられている。それには『UN』とだけ記載されており、彼らが国際連合の安全保障理事会、そして国連事務総長直轄の国連兵だと人目でわかる。更に言えば、彼らの背格好からわかるように、雑木林の中を駆けている黒尽くめの彼らは通常の国連兵ではなく、『The United Nations Intelligence Agency』−通称『UNIA』と呼ばれる国連情報局の局員、特殊部隊の隊員である。その任務は諜報から暗殺、対テロ活動や破壊工作、さらには大衆の反テロ感情を刺激するための意図的なテロリズムなどがある、ロケット団とはまた違った機関である。

そして雑木林を駆ける集団の中、唯一白いカッターシャツに黒のスラックスというラフな格好のまま、ニコライから奪った狙撃ライフルを脇に抱えているカンザキは耳元のイヤホンに指を当てながら走っていた。その足音や気配は他の隊員達と同様に、一切しないことから、彼もまた特殊部隊またはそれに準ずるレベルの訓練を受けている事がわかる。耳に付けられているイヤホンからは遥か上空に浮いている偵察衛星からの映像を分析した情報官からの情報が逐一告げられており、それを耳にしながらカンザキは他の隊員に随時指示を出していた。

「三佐」

ふと、カンザキの左後方を音も無く駆けていた隊員が彼に声をかけた。三佐と呼ばれたカンザキは耳に当てていた人差し指を離すと、走りながら首だけを彼の方に向けた。

「パッケージγ、δの護送が終了しました。両名は護衛と共にナナカマド研究所に退避中です」

「・・・αとβは?」

「既にこちらの工作員が合流済みです。敵の残存戦力は歩兵二、ポケモンが一。こちらは歩兵十、ポケモンが二十、航空支援としてUAV、RQ-4が待機中です。ただ・・・」

走りながら隊員の報告に耳を傾けていたカンザキは、彼のはっきりとしない語尾に疑問の目を向けると、続けるように促した。それに隊員は僅かに頷くと、微かに戸惑うように口を開いた。

「所属不明のUAVが一機、シンジ湖上空に接近中です」

「_____ULTIMATEだな」

隊員の言葉を聴いたカンザキは、少し前にコバルトからもたらされた情報−テロ組織ULTIMATEが空対地ミサイルとUAVを密かに購入した事−を思い出した。その時は警戒心を抱く程度であったが、まさかテロリスト達がこれほど早くUAVを投入してくるとはカンザキも予想しておらず、小さく舌打ちをすると、口を開いた。

「ここから一番近い空自の駐屯地は?」

「コトブキ駐屯地ですが・・・」

「なら、コトブキ駐屯地に連絡してF−15のスクランブルを要請するんだ」

隊員はカンザキの言葉に首肯すると、すぐさまUNIA本部の回線を使って航空自衛隊に連絡を取り出した。それを横目に見たカンザキは、狙撃ライフルを持っている手とは反対の手でスマートフォンを取り出すと、上空を飛んでいるUAVの映像を呼び出した。数秒後、少し荒れた映像がスマートフォンの画面に表示され、そこにはシンジ湖の湖畔の雑木林を駆けているカンザキ達UNIAの面々と少し先の開けた場所で起きている戦闘の様子が映し出された。パッケージαとβもとい、雫とペトラはテロリスト達の攻撃から逃げ惑い、あまり猶予が無いことは映像越しでも十分に理解できる。そんな彼女らを助けるために駆けているカンザキは、目算で大よその距離を弾き出すと、自身の走る速さから合流できるまでの残り時間を算出した。

(___一分弱か)

雫達と合流できるまで残り一分弱。いくら雫とペトラが工作員と合流でき、更にルークが先行して向かっているとはいえ、それでもカンザキは微かな焦燥を覚えていた。何せテロリスト達がこんな白昼に銃器を発砲し、爆弾を爆発させて、手持ちのポケモンによる攻撃、どう考えても隠密性とは懸け離れた行動は彼にとっても予想外であった。更に上空には所属不明のUAV、これはどう考えてもタイミング的にULTIMATEが購入したUAVで間違いないだろう。それは即ち、空対地ミサイルを装備していることを意味している。
コトブキ駐屯地からこのシンジ湖まで、F−15でも数分はかかる距離だ。それよりもそのUAVの方が早く到着することは目に見えている。

(アイツが上手く立ち回ってくれるか・・・?)

アイツ、先行しているルークとは別に自身が用意していた工作員の顔を思い出しながら、彼は手にした狙撃ライフルに銃弾を装填した。その音が雑木林の中に響くが、それはすぐに後方に流れていき、カンザキの耳には残滓のみが響いていた。





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