「はい、丸井。これあげる」

差し出された手の上には、五円チョコが四つ乗っかっていた。
普段なら遠慮せずにそれを頂戴するのだが、俺の手は机の上に置かれたままだ。
それもそのはず。コイツはいつも真田と一緒になって、俺からお菓子を強奪する風紀委員なのだ。
風紀委員が俺にお菓子をくれるなんて、一体何が起きているんだ。明らかに怪しい。
まさか、毒が入っているのか。
それとも、コイツは風紀委員ではなくて、イリュージョンした仁王だとか。
五円チョコから視線を離して、教室を見渡す。
すると、教室の入り口で比呂士と仁王が何やら話し込んでいるのが見えた。
比呂士もいるって事は、目の前のコイツは正真正銘、風紀委員に違いない。

「なんでくれんだよぃ」

目の前でニコニコと笑いっ放しの風紀委員に、思った事をストレートに聞いた。
彼女は一瞬目を丸くすると、「なんだ分からないの」と言って、自分の机に戻り、紙とペンを持って来た。
目の前のイスがひかれ、彼女がそこに腰を下ろした。その時、微かに甘い香りが漂った。

「丸井、掛け算出来る?」

その香りに気をとられていると、俺の机に紙を乗せた。その上にバツ印とイコール記号を書いた。

「掛け算とか、いくら数学が苦手だからって出来るにきまっ」

「じゃあ、このチョコ使って式を立ててみてよ」

まだ俺言い終わってねぇ。
イラついている俺に構わず、彼女はバツ印とイコール記号の上に先ほどの五円チョコが綺麗に並べた。
五円チョコを使って立式しろだとぉ。
訳わかんねぇ。コイツ、あの真田と対等に話せるから真面目なヤツだと思ってたけど、結構変なんじゃないのか。

「わかんない?」

「ああ。つーかさ、お前は何が言いたい訳。はっきり言えよ」

頬杖をつきながらそう言い放った。が、アイツから答えはない。
どうしたんだ?
不思議に思い、顔を上げると、先ほどの余裕がある笑みを浮かべていた顔はそこにはなく、今にも泣きそうなアイツの顔があった。
え、なんで泣くんだよぃ!俺、おかしな事言ったか!?

「正解はこれね。じゃあ、ばいばい」

俺に見えないようにして、紙に何かを記すとすぐにソイツは席を立った。
教室から出て行くみたいで、比呂士と仁王に声をかけている。その姿をボーッと見ていると、アイツと話し終わった二人が俺のもとへやってきた。

「ブンちゃん、今日が何の日か分からんのか」

仁王が眉間にシワをよせながら言った。何の日って、今日は……4月20日だろぃ。

「丸井君、電信文書はちゃんとチェックしたのですか」

「メールって言いんしゃい」

仁王から軽いツッコミが入り、比呂士を包む空気がさっきよりも重くなった。こんな比呂士、初めて見たぜぃ。コワ過ぎだろぃ!

「メール?携帯壊れちまって、チェックなんか出来ねぇぜ」

「はぁあ!?お前さん、アホか」

「アホじゃなくて、天才だろぃ!!」

「丸井君、天才だと言うのならば、この掛け算の意味分かりますよね」

いつの間に手にしたのか、比呂士はアイツが書いた紙を両手で空中に上げていた。
俺はそこに書かれた正解らしき式をジッと見た。

「ゴォかける、ヨンはニジュウ?」

「五円チョコが四個あるからのぅ。式はそれしかないじゃろ」

「なるほどな……んで、なんか意味あんのかよ。これ」

「……はぁああ。これじゃあ、彼女が可哀相で仕方ありません」

「落ち込むなや、柳生。所詮、ガキのブンちゃんにはアイツの良いところが分からんぜよ」

「おいっ。どういう意味だっての!バカにしてないで教えろぃ!!」

二人には分かって、俺には分からない。その状況に俺のイライラがピークに達しようとしていた。
仁王はそれに気付いたのか、ガサゴソとポケットを漁り、何かを取り出した。

パァーン

「おっわぁ、あっ!」

「ブンちゃん、お誕生日おめでとうじゃ」

「おめでとうございます。
これでこの式の意味も分かりましたよね」

突然鳴り響いたクラッカーに心臓が跳ねた。
いくら時間が経っても、早まった鼓動はおさまらず、更に加速を続ける。なんなんだよぃ、これ。
俺は不思議な感覚に惑わされつつも、その間に式の意味を全て理解した。

「まさか、アイツ……これ」

「そうですよ。それはあの方からの誕生日プレゼントとお祝いのメッセージです」

比呂士の空気が柔らかくなった。比呂士と仁王が不機嫌だったのは、どうやら、お祝いをしてくれた風紀委員に素っ気ない態度をとったのが原因だったみたいだ。

「風紀委員にのぅ、さっき屋上のカギ没収されたんじゃ」

行け。と、目で訴えて来る仁王。俺は机の上に散らばった五円チョコを急いで拾い集めて、ポケットに入れた。
その姿を見た比呂士が小さく息をはき、俺にとある事を告げた。

「……」

その事実に言葉を失った。
いや、心臓の音がうるさくて、何にも考えられなくなったんだ。
顔があつくなり、お菓子を没収した時のアイツの表情が脳裏に浮かんだ。
あの時はいつもお菓子をとられた事に怒って、アイツの顔を意識した事はなかったが、今浮かんでくるアイツの顔は全てどこかツラそうな表情だった。

「答えはおのずと出るじゃろぅ。素直になりんしゃい」

無言の俺の背中をぽんっと、仁王が押した。
コケそうになった体を持ち直し、教室の扉に向けて走り出した。

「ありがとうな」

そう二人に言い捨てると、屋上に向けて駆け出した。
廊下には人が居なくて、俺の走る音だけが響いていた。




「はぁっ……はぁ」

階段を一気に駆け上がり、乱れた呼吸を整えながら、鋼鉄の重い扉を開けた。
コンクリートの床とフェンスに囲まれた屋上を見渡せば、すぐ側にアイツの姿を見つけた。
俺の姿に気付いていないのか、背を向けて肩を揺らしている。

「なぁ」

声をかけると、体が大きく震えた。こっちを見ようとしないアイツが歯がゆい。

「俺さ、誕生日なんだけど」

「…………うん」

素直になろう。
きっとさっきの鼓動は、この体に宿る熱は、あの感情に間違いない。
これは苦手だけど、今までコイツの思いに気付いてやれなかったり、傷付けたりした事をどうにか挽回したい。
だから、精一杯の言葉をキミに紡ごう。

「あんなプレゼントよりさ」

ドクンドクン。
さっきよりも鼓動が高鳴り、アイツとの距離は徐々に狭まる。
俺は腕を伸ばして、未だに揺れている俺よりも小さな体を抱き締めた。

「オマエが欲しい」


五円チョコと風紀委員



「おせっかいかもしれませんが、丸井君。彼女は君のためを思ってお菓子を没収していたのですよ。
真田君に見つかると、君が大変だと言って。
それに食べ過ぎてキミがテニスを出来なくなるのがイヤだと言って」

そんな素直じゃない思いやりを持ったキミが大好きだ。