狭間





「そうだ……」

 誰にも聞かれないような小さな呟きをはいて、ジュードは足を止めた。今晩泊まる宿はアジュールの中心となっている街、カン・バルクだった。目の前には、女性陣が泊まっているはずの部屋で、ジュードはそこをしばらく眺めた後、控えめなノックを鳴らした。

「誰だ?」

 すぐに返ってきた返事には、少し警戒が滲んでいるように思えた。声の主は十中八九ミラだろう。
 仲間の来訪にも警戒が含まれるようになったのは、ここ最近だった。宿屋へ宿泊しているのは、自分達一行以外にも大勢いる。歳若い女性が三人も泊まっていれば目に付くのも仕方が無い。女性陣だけで部屋を取ると、お近づきになろうとする輩が少なからずいることは確かだった。中でもミラの容姿は特に目を惹くものがあるというのならなおさらの事だ。
 幸いにして、その手の誘いは港町に宿泊した時が多く、都の中心部になる程に少なくなる。けれど、用心に越した事はないという事だろう。
 険を含んだその声に、ジュードは居住まいを正してから、声を掛けた。


「ぼ、僕だけど」

「……ああ、ジュードか」

 慌てて名乗ったジュードに、ミラは声を和らげて、すぐに扉を開けてくれた。
 扉の隙間から、エリーゼが眠たげな眼差しでこちらを見ている。レイアの姿は無いが、恐らく別室で湯浴みをしているのだろう。

「どうした?」

「あ……えっと、ちょっとミラ……出てこれる?」

「ふむ。まあ……いいが」

 事情も話さず付いてきて欲しいと頼むジュードに、ミラは首を傾げながらも承諾してくれた。
 その二人を不思議そうに見ているエリーゼに一言、二言添えると、ミラはジュードの後ろを付いてきた。

「えっと……、どうしよう。……ロビーでもいいかな」

「ああ。よくわからないが、君に任せる」

「……うん」

 幾らミラが恋愛沙汰に疎く、そして人間の感性とかけ離れているとはいえ、男連中が休む部屋へ堂々と招く訳にもいくまい。
 こんな事を考えている事すら、なにやら後ろ暗い思いが浮かぶが、ジュードは雑念を追い払うように首を振った。
 時間帯のせいか人気のない受付を横目に、ジュードは待合用に設置された椅子へ、ミラを導いた。
 自らも隣に腰掛け、ミラの端正な顔だちを眺めた。

「それで……私に用とは?」

「う、うん。違ってるかもしれないけど、ミラ……もしかして、手……怪我してる?」

「手?」

「うん……何となくだけど、今日はミラ、てのひらを気にしてることが多かったから」

 大きな怪我だったらミラは早々に誰かを頼って治療措置を受けているであろう。怪我の回復はジュード以外でも気軽に頼む事が出来るのだから。
 しかし、それを誰も頼っていないとすると、もし怪我をしていると過程するなら、治癒するかも微妙な小さな傷を負ったのだろう。
 グローブで隠れた手のひらを見つめていると、ミラは口元を緩めた。

「ふふ……さすがジュードだな」

 その答えはジュードの推測が当たったという事か。
 右手、左手と外されたグローブから現れたのは、本来なら白くきめ細やかな肌が現れるはずであった。
 だが、本来現れるはずのものは見る影もなく、そこには赤く腫れ上がった、てのひら。

「痛い……といっても、それほどでもないんだ。どちらかというと痒いようなきもするし、どうも怪我というわけでもないから放っておいたのだが……」

 目の前に突き出されたてのひらは、節々にあかぎれを起こし、見るからに痛々しい。
ジュードは包み込むようにその手を取って、更に眺めた。

「よかった……凍傷じゃないみたいだから、しもやけ……かな?」

「しもやけ……?」

「血流が悪かったり、皮膚の外側と内側の気温差が大きいと出来たりするんだけど……、ミラはこんな寒い場所でもいっつも薄着だから。特にカン・バルクとかでは、ちゃんと暖かくしないと駄目だよ?」

 今はいつもの服装の上にコートを羽織ったりしているが、それでも今の格好は動き難いとあまり好きではないようだ。
 好き嫌いの結果が、しもやけとは、なんとも情けない気もするが。
 ジュードは自分のグローブを外し、ミラの手をじかに触れた。氷のような冷たい手が自分に触れて、熱を奪っていく。

「ほら、こんなに僕と違う」

「ふむ……確かにそうだな」

 大きく頷いてジュードの手を握ったミラは、まるで暖を取るようにジュードの手を求めた。
 よくこんなになるまで我慢していたと関心してしまうが、とりあえずはミラの手を治療する事が先だろう。
 やんわりと離そうとしたが、絡め取られるてのひらにジュードの心臓は僅かに踊った。

「えっとミラ……、治療するから」

「ん?……ああ」

 さっと離れていくそれに侘しさを少し持ち合わせながら、ジュードはミラの肌に触れる寸前で手を止める。
 考えるより先に、ジュードのてのひらから光が生まれ、ミラの冷え切った手を温めて治癒していく。
 しもやけは患部は温めると痛みを増す。それはジュードにも分かってはいたけれど、それを治療するのだからどうしようもない。

「ミラ……ごめんね、痛いよね?」

「ん……だが、医療ジンテクスに比べたらこれくらいは……」

「……それ、比べる値が違うよ。それでも、痛いものは痛いでしょ?」

「まあ、そうだが……」

 歯切れの悪さを残しながら、ミラは曖昧に笑う。
 痛みも辛さも全て抑え、いつものような毅然とした態度を取るように。

「ミラは頑張りすぎだよ」

「そう言われてもな……」

「僕は……ね、ミラじゃないからミラが辛いのも傍に居て間接的に感じることしか出来ない。でも、傍にいるから……ずっと傍にいるから、もっと頼って欲しい。ミラが傷を負った時にこうして治してあげることしか出来ないけど、それでも少しは寄りかかっていいんだよ?」

 頬をじんわりと赤くさせながら、ジュードはミラの視線から逃れるように俯いて、治療中の手を見つめた。
 やわらかな光は少しずつミラの手を癒し、腫れ上がっていたそれはゆっくりと元の色へと戻っていった。
 ミラの手を片方取ると、患部を見回してからジュードは息をついた。まだかさつきは残るものの、これなら後は油分を与える薬をつければ大丈夫だろう。

「終わったよ」

「……そうか」

 安堵しきった表情は、少なくとも、しもやけからの痛みから解放されたということか。自分のするぺき事を終え、部屋へ戻る事を促そうとしたジュードは、肩にかかる重みに息を詰めた。
 そちらに顔を向け、まず見えるのが太陽の恵みを蓄えたような黄金色。風になびくたびに、その美しさに見惚れてしまう金糸の髪だった。

「み、ミラ?!」

「寄りかかってもいいのだろう?」

 ゆっくりと肩に押し付けられたのは、ミラの頭。隣にいるその顔は伺い知れないが、つながったままの手のひらが先ほどよりも強く握りしめられる。どういう意図での行動かはわからない。けれど、先ほどの言葉はミラの心にも触れるものがあったのだろう。


「あ、えっと……うん」

「少しだけ……このままで」

「……うん」

 隣にいるからと言って、話をする訳ではない。ミラは寝てしまっているのではないかと思うくらいに、互いに会話はなく、それでもミラは安心したように身を預ける。
 爆音のように鳴り響く心音や過呼吸気味な肺に苦しさを覚えつつも、ジュードはてのひらを握り返す。同じぬくもりを分けたその手を、くすぐったく思いながら、ジュードはそのミラの気が済むまでそれを受け入れていた。










ぼくではない重みがそこにはある
2011.12.06


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