凍てつくような寒さを誇る、アジュールの国土カン・バルクへは、もう数度足を運んでいる。旅の疲れを滲ませた一行は、慣れた順路で早々に宿屋へと向かっていった。雪に閉ざされた街は、静かな闇を讃えている。けれど、宿屋はやわらかな温度を与え、冷え切った旅人の身体へ温かな癒しを捧げた。
ジュード達一行もそれは同じで、食事を済ませた後は、思い思いに切り上げて部屋へと帰っていった。慣れない雪国での行動や、寒さに、予想以上に身体は疲弊していることを考慮し、身体を休める事は何より重要な事だ。
特に女性陣には、カン・バルクの寒さはきついものなのか、食堂から去る者がほとんどであった。残された男性陣の中でも、ジュードは一番早くにそこを抜け出し、宛がわれた部屋へと歩を進めた。
(アルヴィンとローエンに付き合ってたら、いつ寝れるか分からないし……)
これから飲み明かす予定なのか、小さなグラスに入った液体をちびちびと舐める二人は、恐らく深夜になってから戻ってくるのだろう。成人を迎えていない者でも、この国では嗜好品として飲酒は許可されている。もとい、貴族出の者では、社交界への参入から、ジュードよりも年下の者が飲酒するケースも少なくない。
だが、頭脳だけは大人並、はたまたそれ以上を持ち合わせているものの、ジュードには大人の嗜みとされる、酒の付き合いの必要性を感じなかった。
あと数年したらそれも分かる日が来るのかもしれないが、それでも今の自分には飲酒は必要の無いもの。そのように割り切ってしまえば、勧められても断る事はたやすかった。
そうとなれば、ジュードとて早々に休むのが道理。今日はもう寝てしまおうと、少しだけ早い就寝に就くために部屋へ滑り込んだ。
ところが、入り口から入ってすぐ、ジュードの足は石のように固まってしまった。この部屋は男性陣が宿泊する部屋のはずなのに、そこにはミラの姿があったのだ。いるはずのない人物にジュードは目を剥く。
間接照明のみが灯る室内は、嫌に仄暗く、自分でもあれがミラだと、よく一瞬で気づいたと思う。しかも、手近なベッドに腰掛けたまま、ミラは微動だにせず、ジュードに背を向けている。
明らかに様子がおかしい状態に、ジュードはいぶかしんだ。
「え……あの、ミラ……?」
恐る恐る声を掛けてみれば、ミラはくるりと振り返り、ようやく顔を見せてくれた。
「おお、よ〜やく来たな〜ジュード〜」
「……え」
「君を〜待っていたんだぞぉ〜」
「ミラ?……あの、どうしたの?」
口調もさながら、表情だって少しもミラらしくない。蒸気した頬に空ろな瞳を見れば、具合が悪いのではないかとジュードは慌てた。
けれど、その心配も、ミラの傍に転がっていた酒瓶を見れば、すぐに納得がいく。恐らく、というより十中八九、ミラはお酒に酔っている。しかも、既に泥酔状態と言っていい。一口飲んだだけで、すぐに酔ってしまう体質のミラに、一本分丸々飲ませたらどうなるか。
酒の出所はわからぬが、よくもまあ食事が終わってからジュードが来るまでの短時間に、これだけの量が飲めたと関心してしまう。だが、自分の限度も知らずに飲んでしまうようでは、目も当てられない。
「とりあえず……体内のアルコール分を薄めないと。お水もっらって来るからちょっと待っててね」
「ま〜て、ジュード。どこに行くんだ〜?」
へらへらと笑いながらジュードの腕を掴んだミラは、遠慮なしに自分のもとへ引いた。
「え、ちょ、ちょっとミラ!」
「あはははは〜、なんか視界がくるくるするぞ〜」
力任せに引かれ、ベッドに転がったジュードは、すぐ下にミラを下敷きにしていると気づき、慌てて上体を起こした。けれど、柔らかい肢体が、自分の腰にまとわりついて、その行き手を阻む。このようなやりとりに慣れていないジュードは、すぐに顔を真っ赤にさせた。
「だ、駄目だって。離れてミラ!」
「なんでだジュード。冷たいぞ」
「そういう問題じゃなくて、僕の心臓が壊れそうっていうか、色々とマズイっていうか……」
なんとか上に乗った状態から、ベッドに並ぶように横へずらす事に成功したが、それでもミラの腕はジュードの背にしっかりと回り、剥がれる様子もない。酒臭いのも問題だが、とりあえずミラの状態も気になる所であるし、それも含めて一秒でもいいからここから離れたい所だ。
けれど、まじまじと見つめられた視線は外れる事もなく、むしろ興味深そうに近づいてくる始末だ。顔を背ける事も出来ない距離で、ふにゃんと顔を緩めたミラは楽しそうに話す。
「君の顔を、こうしてまじまじ見えるのは初めてな気がする」
「う、うん……まぁ、確かにそうかもしれないね」
あと少し近づけば、互いの顔が触れてしまいそうな距離でそんな事を言われても。意味深な付き合い方をしているならまだしも、普通の仲間としての付き合いならこんな至近距離で話す事はまずないだろう。
「気づかなかったが、君の睫も結構長いのだな」
「え……そうなの?」
平常心ではいられない中、なんとかやましい気持ちを反らそうと、会話に集中しようとするものの、頬にかかる吐息に心は揺らぎ、呼吸が苦しくなっていく。
「君の母親も美人な部類だろうから、それを継いだのだろう。ジュードも綺麗な顔立ちをしているし」
「いや……なんというか、そこは喜んでいいところなの?」
「もちろんだとも!」
「…………そう」
目を輝かせて言うミラに、美人と言われ内心複雑なジュードはどうすることも出来ずに、そっけなく返す。けれど、ミラのおしゃべりは止まらず、酒の動力源は怖いと感じていたとき、ようやく転機は訪れた。
突然開いた扉に、ジュードは視線だけを巡らせた。そこに見えるのはアルヴィンの姿だ。
「あ〜飲んだ飲んだ……って、ちょっとおたくら……何して」
「ああああ、アルヴィン丁度いいところに」
「わ、悪い。お楽しみ中だったか?」
ぱっきりと固まったアルヴィンの声音から、恐らくこの状況に対して、勘違いをしているのは目に見えている。首を緩く振ったジュードは、違うといい募ろうとしたが、それを防ぐようにミラが軽く上体を起こした。
「そうだ!私達は仲良くしている最中なのだから、邪魔をするな。アルヴィン!」
「……そ、そうか、邪魔したな」
そうして、瞬時に扉は閉められた。
「ええええ、ちょっとアルヴィン、僕の話も聞いてよ!」
そう言ったところで、既にこの部屋はジュードとミラ以外の人間はおらず。
目の前には妖艶な微笑みを浮かべるミラ。そして絡みつく腕。極めつけは自分の胸元に押しつけられた、ミラの魅惑的な胸。
(え……これ、僕はどうすれば……)
「さぁ、ジュード。邪魔者は退散した事だし、これでゆっくりと語らう事が出来るぞ〜!」
「ああ……うん」
そうして饒舌に話すミラに、ジュードはなるべく雑念を消そうと心掛けながら対応して夜は更けていったが、すぴすぴと気持ちよさそうにミラが眠りに落ちても、回った手が離れる事はなく――。
結局、ジュード一人だけ、目の前のミラに手を出してしまう葛藤を抑え、朝まで悶々としながら過ごす事となった。
一日の終わるときに触れる気配
2011.11.04