※いつかいつかと願ったまま
〜数年後としてお読みください。





 ただいま。という言葉をのせながら扉を開いたジュードは、香ばしい匂いに満ちた我が家に首を傾げた。
 着ていたジャケットを脱ぎながら、そっとキッチンを覗くと、愛しい恋人がそこで格闘を繰り広げていた。
 覗く……と言っても、二人で暮らすこのアパートの一室は、決して広いものではなく、むしろ狭い部屋であるはずなのに荷物が多く、物が山積している状態もめずらしくはない。
 片付けを必死にするのは綺麗好きなジュードの役目にはなっているが、そのジュードとて論文や講演会への準備ともなれば、机上に本や書類を塔のようにうずたかく積みあげ、何かの拍子に倒して大騒ぎをするのは、もはや一度や二度ではない。

 そんな小さなアパートではあるが、二人はこの部屋を気に入っていて、今の所引越しは考えていない。
 こうして帰ってきてすぐにお互いの顔が見れることが、何よりもジュードは嬉しい事だと思っているのだから。

「ミラ、ただいま」

「ああ、帰ったのか。……お帰りジュード」

「すごくいい匂いがするんだけど、何作っているの?」

 帰ってきたジュードに、ミラは笑顔を浮かべながら振り返った。その身に纏っている白いエプロンには、フリルが使われており、動くたびにそれがゆらゆらと揺れた。
 美しい相貌のミラに少しだけ不釣合いのその格好は、反面、可愛さを生み出して疲弊していたジュードの気持ちを和ませた。
 かいだ事があるようなその匂いに、興味を強く引かれて覗きこんでみるものの、目の前に立ちはだかったミラがそれを制した。


「ミラ……?」

「ふふっ……まだ秘密だ。今日は手伝わなくていいから、ジュードはあっちに行ってきてくれ」

「え〜、なんだろ?」

 背中を押されてキッチンから追い出されたジュードは、さらに興味を膨らませるものの、ミラがあまりに楽しそうな様子で隠すものだから、素直に従っておいた。
 タリム医学校へ通っている時から、一人暮らしをしていたジュードは、基本的に家事なら一通りの事をこなす事が出来る。
 たとえ自分が仕事から帰ってきても、ミラだけに家事を押し付けるような事はしないし、自分が家事が出来るからこそミラの助けをしてあげたいと思う。
 だから、いつもなら夕飯の手伝いとて率先してジュードは手伝っているし、こうしてミラと何かが出来るのことがジュードも嬉しくて仕方が無いのだから。




 書斎へ戻り、今日の講演会の成果を忘れないように書き留めて、しばらくした後、ノックもなく開いた扉にジュードは待ちわびました。とばかりに、席を立った。

「ジュード、できたぞ?」

「本当に?楽しみだな」

 嬉々とした様子でミラの後をついていったジュードは、キッチンに置かれた小さなテーブルに、懐かしい料理が並べられているのに、目を丸くした。

「ミラ……これ!」

 ジュードを驚かせようとしていたのか、ミラは自分の想像通りの表情を浮かべたジュードを満足気に見て笑った。
 視線の先にあるのは、とても大きなチキンの丸焼きだ。少々狐色を通り越している所は目を瞑っても、ジュードにとってそれはごちそうとも言えた。

「今日は……君の誕生日なのだろう、ジュード?レイアに連絡を取って、レイアの父親からチキンのレシピを聞いてみたんだが」

 元々精霊という概念で育ったミラには、誕生日というものの重要性を感じずに過ごしてきたため、しばらくジュードと暮らしていたにも関わらず、ジュードの誕生日など知らずに過ごしていた。
 ジュードとて、自分の誕生日をミラに伝えた事もなく、誕生日はただ自分が歳を重ねる目安というくらいにしか思っていなかったのだ。それは成人してしばらく経っているということも、理由の一つとなっているのだろうが。



 ジュードの誕生日を祝いたい。ミラがそう、感じたのは、自分が読んでいる本の中に、誕生日を祝うシーンがあったからだった。
 喜ぶ恋人の姿が描かれた内容に興味を抱いたミラは、誕生日というものをもっと深く知ろうと本を読み漁り、ジュードに気づかれぬように、レイアにジュードの誕生日を教えてもらう為、手紙のやりとりをしていた。

 旅をしていた時に聞いた話では、ジュードの故郷であるル・ロンドでの誕生日には、豪勢な料理ともいえる、チキンの丸焼きを振舞ったと記憶している。
 チキンの中にはピラフが入っており、それがおいしいとジュードも言っていたのだから、ジュードの誕生日にはどうしてもそれを用意したかったのだ。
 そう説明をしていくミラに、ジュードは胸がいっぱいになった。

「上手くいったかは分からないが、さあ……食べよう」

 席に着けと微笑みながら言うミラに近づいたジュードは、そのままミラを抱きしめた。
ミラの髪にほんのりと残る石鹸の淡い香りが鼻をくすぐり、さらに愛しさが増して腕に力が篭る。

「ジュード?」

「……ミラ、すっごく……嬉しいよ」

「そうか……」

 そっと顔を離して、僅かに恥ずかしさを滲ませていたミラと目が合い、ジュードは吸い寄せられるようにミラの唇に口付けた。
 それはすぐに離れていく軽いもの。自分達のすぐ横に用意された食事に目を向けようとしたミラは、そのまま胸を押して離れていこうとしたが、ジュードはミラの腰に手を回しさらに身体を密着させた。

「ジュード……んっ」

 二度目の口付けは、唇をなぞるようなしっとりとしたもの。形のよいその唇をついばむように覆い、ジュードはそのやわらかさを感じるたびに、思考が白く溶けていく気がした。
 胸が熱くなったと思うと、すぐに身体中にその熱が循環していく。本能のままミラの唇を割ってそれを深くしていくと、熱は更に高まっていく。

「……っ……ふ」

 突然の深い口付けに苦しそうにもがくその姿さえ愛しい。

 腰に回した手は、いつのまにかミラの身体を這い、その豊満な胸へを揺らし、もう片方はエプロンを結ぶ紐へと移動したが。

「っ……!」

 身体を強張らせたミラが、突き飛ばすようにジュードを押し、ようやく口付けは離れた。
 顔を真っ赤にさせたミラは、目を潤ませてジュードを見上げている。少しだけ怒っているように感じるのは、気のせいではないだろう。

「食事が……冷めるであろう!」

「ご、ごめんってば……ミラ」

 一生懸命作った料理をないがしろにされているのではないかという眼差しに、ジュードは慌てて首を振った。
 忘れては……おそらくいなかったのだが、あまりにミラへの想いが高ぶったせいで周りが見えなくなったというか。
ようは、完璧忘れていたのだが、ジュードはミラの機嫌が損ねないように、何とか取り繕おうとする。

「えっと、だ、だってミラ!」

「なんだ、男の癖にいい訳か?」

「その……ただいまのキス、してなかったでしょ?」

 鋭い視線を送り続けるミラに恐る恐る近づいたジュードは、ミラの口元へと手を伸ばす。口付けの時に零れた唾液を指で拭っていると、唇を尖らせて拗ねているミラに、再び愛しさを感じてしまう。

「ごめん、ミラ」

「ん?……!」

 謝罪の意味を図りかねて聞き返そうと思った途端、近づいたジュードの顔にミラは避ける間も無く捕らえられた。性懲りもなく重なった唇に、反論する言葉は吸い込まれて嚥下せざる終えなくなる。
 結局、料理の事を抜きにすれば、ミラとてこの行為が離れがたいのは一緒で、ジュードが自分を求めてくれるのは嬉しい事ではあった。
 ちゅっと、リップ音を響かせて唇を離すと、ミラからの鉄槌を予想したジュードは逃げるように席に付いた。

「……ミラ、食べようよ」

 一方、今度こそ殴ってしまおうと、振り上げようとした途端にジュードが大人しく席についてしまい、ミラは肩透かしを食らった気分で同じように席に着いた。
 互いに『後でリベンジしよう』と妙な決意を胸にしている事は知らない。

「……ああ、そうだな」

 向かい合った席で料理を視線がそっと絡む。
 先ほどの行為の名残で、少し甘さと気恥ずかしさを含んだそれを確認して、互いにそっと笑い合った。


 切り分けられた料理をジュードは頬張ると、その懐かしい味に言葉も出ないくらい感動していた。厳密に言えばいつも大味な味付けのミラの料理と、ル・ロンドの名物と言ってもいいレイアの父親の料理は違ってはいたが、こうしてミラが自分の誕生日を祝ってくれた事が何よりも嬉しい。
 作り手であるミラは、ジュードの様子を固唾を呑んで見守っていたが、ジュードが「美味しいよ」と伝えれば、また互いに笑顔が広がった。






 一年後も五年後も十年後も……生涯ずっと、こうして誕生日の度にミラが幸せを運んでくれたらと、ジュードは願って止まない。
 だが、本当は誕生日でなくても、ミラが自分の隣にずっと居てくれるだけで、十分ではあるのだが。


「誕生日おめでとう、ジュード」

「ありがとう、ミラ」

 そんな言葉では言い表せないくらいの感謝を胸に秘めながら、ジュードはその幸せを噛み締めるように、ミラの作ってくれた料理を口に運んでいった。






2011.10.10
やさしい幸せ
(ジュードの日にて)


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