※最終決戦前夜イベントの前後ネタバレ












 名前を口にするだけで、こんなに胸が張り裂けそうになった覚えは無い。
 目を眇めたくなるほどの眩しい存在は、あまりにも自分には大きすぎた。
 だから、こうして、彼女を想い、瞼が燃えるように熱くなるのだろう。
 マボロシを見る。もっというなら、夢でなら毎日顔を合わせている。朗らかに笑う彼女にジュードは安息した瞬間、泡のように消える彼女に絶望するのだ。

「……ミラ」

 悪夢はいつまでも終わることが無い。そう、終わらずにこのまま命さえ朽ち果てていくのだと、ジュードはあの時確かにそう思っていた。











「どうした、ジュード?」

 昼域でも夜域でもない、灰色で覆われた街は、リーゼ・マクシアでは見慣れないものだった。所狭しと黒匣が置かれ、歩く仲間の一人を後ろから眺めながら歩いていると、慈愛に満ちた声がこちらに届いた。黄金色の長い髪を大きく揺らし、人形のように美しい顔が現れる。白磁の肌、そして意思の強そうな柘榴石の色の瞳、蠱惑的にも見える唇には、反面、彼女の聡明さと魅力を同時に引き出すものだとも感じた。今まで自分が十五年間生きてきて、こんなに美しい女性は見たことがない。医学校での親しい友人に話したら、大げさだと笑われてしまうかもしれない。だが、恐らく誰しもミラの姿を見たら納得してしまうだろう。

「え……何が?」

「先程から、何やら物言いたげな様子で見てきいるような気がしてな」

「そう……かな?」

 言われた身ではあるが、自分としては自覚がなかったもので、ジュードは首を傾げる。
 もしミラの言うように、彼女を見ていたとしていたとしても、それは吸い寄せられるように無意識に働いた行動であり、とてもこの場で言い表すことは出来ないだろう。

「……ごめん。なんでもないんだ」

 首を振ったジュードにミラは「そうか」と一つ頷いてから、また前を向いて歩き出し、ジュードもその後を変わりなく追っていった。






 彼らの旅が順調だという者は、恐らくどこを探してもいないだろう。人数や状況、情報全てにおいて不利な条件を揃えていた。
 新天地に等しいエレンピオスでは、既に黒匣の破壊を繰り返すガイアス達の行いで無残な鉄屑と化してた。
 恐らくガイアスと再び剣を交えることも近い。
 疲労の残る身体で出発をするのは憚り、もう一日だけ一行はトリグラフで過ごすこととなった。 部屋を明け渡してくれたバランは、源霊匣の研究へとすぐに出かけてしまった。
 彼の研究の成果で、今後のエレンピオスは生まれ変われるかもしれないと、二つの世界の命運をかけたそれに、誰も口出しすることは無く見守った。
 残された時間に武器の手入れをするものもいれば、気分転換にと外へ出て行くものもいた。
 ジュードは後者であり、一人でトリグラフの街を歩いていた。

 先日の侵略のせいで、街の中はピリピリとした緊張状態が続いてはいるものの、そこに全ての笑顔が消えたわけではない。
 二つの世界の食べ物や暮らし方。生活する基盤は違っても、二つの世界が求める者は共に自分達の平和を求めている。
 露店に量り売りされた野菜を横目に通りすぎながら、その為に自分が出来る事はなんだろうか。何をすべきなのだろうか。そう考える。
 一番はガイアスとの戦いを終える事だということは分かっている。でも、その先は……。
 人は希望無くしては生きてはいけない。自分のするべき行動。したい行動。それを総合的に考えて、それは明確にジュードの中に浮き彫りとなってきていて、彼を動かす原動力の一つとなっている。
 だが、そこには、傍にいて欲しい人がいない。隣で自分のする事を見守っていて欲しい人がいない。
 それは、決して望んではいけない事だとは分かっている。

 自分の優柔不断でミラを困らせる事はしたくない。自分の心はあの時から随分変われたと思っていたのに。浅ましい感情はどこまでもジュードに付きまとおうとする。
 僕の傍にいて欲しい。
 ミラの隣にずっといたい。
 こんな大事な時に、ミラを見つめてはそんな事ばかり考えている自分を、ジュードは恥じた。




 バランの住む建物のすぐ前には、小さな広場があり、幼い子供達が甲高い声を上げながら走り回っている。
 一通り街の中を歩き、戻ってきたジュードは、その子供達の脇を抜けた。自分の胸の高さまである壁までたどり着くと、ジュードは辺りを見回した。小高い場所にあるこの場所は、街の一角を一望できる。もちろん、エレンピオスは背の高い建物が多いため、街のほんの一握りではあったが。
 欄干に身を預け、街の様子をぼんやりと眺める。
 先ほどの未消化なままの思いは、今日中に蹴りをつけなければいけない。エレンピオスに辿りついたときは、恐らくこんな気持ちには辿りついていなかった。ミラと離れていた分の想いは、全て恋慕へと変わり、視界にミラを入れるだけで、胸を躍らせていたのだから。
 けれど、それもここで押し留めなければいけない。こんな思いを胸に抱えたまま、戦いに出ては足手まといになってしまうかもしれない。自分に必要なのは、何者にも恐れない覚悟だった。ミラが教えてくれたその気持ちを、自分は最後まで持ち続けなければいけない。

「ん……ジュードか?」

 聞き覚えのありすぎる声が、背中にぶつかった。息を呑んで後ろを振り返る。
 きょとんとした顔でミラがそこに立っていた。

「あ……ミラ」

「こんなところで、何をしていたんだ?」

「僕はさっきまで散歩して、今は街を眺めている所。ミラこそどうしたの?」

「昼食を取ったら、ついうとうととしてしまってな。気づいたら、誰の姿も部屋の中になかった」

「そっか、皆も出かけちゃったんだね」

「そのようだ」

 ミラは小さく笑いながら、ジュードの隣に立って同じように街を眺めていた。後ろでは、相変わらず子供達の元気な声が聞こえる。
 そして、その他の大人たちの生活の音が聞こえる。それを耳で拾いながらしばらく街の風景を見つめていた。

「改めて思ったことがあるんだ……」

「え……何に?」

 唐突に告げたミラは、どこか思いつめた表情でジュードを見た。ミラのそうした表情を見たのはずっと旅をしてきたジュードとて珍しく、語られるに固唾を呑んで聞く。

「私は弱い存在だということは分かっている。それは四大の力が離れた時からずっと思ってきたものだし、何度かジュードにも伝えた事もあるだろう。一人で船にも乗れない。怪我をして動けなくなる。空を飛ぶ事も出来ない。そして、今この瞬間に命の灯火を消そうとしている微精霊や、精霊達を助ける事も出来ない。」

「……ミラ」

「部屋に一人でいると、聞こえてきそうなんだ。精霊達の悲鳴や存在が掻き消える瞬間を。……だから、慌てて部屋から飛び出してしまったよ」

 力なく笑ったミラは、それから雲で覆われた空を仰いだ。頬に涙が流れる形跡はない。けれど、ジュードにはミラが泣いているように見えた。
 人間ではなくなったミラには、エレンピオスにいる事自体が酷な事だと分かっていたはずだったのに。
 使命感や自分の事ばかりで、それを見失っていた。

 誰のために始めた旅か。問われれば全てミラの為だ。
 それでも、もうそれは自分の為だと胸を張って言える。大事な人の為なら命を張ってでもそれを守りたい。
 それは、戦いが終わって、ミラが隣にいなくても。ミラの傍にいれなくても。

「……っ」

(僕の答え、もう……出てるね……)

 詰まりそうになる息を大きく吸って、腹の中から出した。
 ミラは何も見えないその空の向こう側を見通すように、まだ空を見つめている。
 欄干に同じようにのった腕にそっと触れた。

 消化できない想いが心にそっと絡みつく。それを必死に振りほどこうとしていると、ミラが訝しんだ顔でジュードを見ていた。

「どうした?もしかして具合が悪いのか……」

「ううん。違うよ……大丈夫」

「そうか。それならいいが……」

「あのね……ミラ」

 視界がそっと揺らいだ。決心しなくてはいけない。震えそうになる手を握り締める。

(ミラへの想いを告げることは出来ない。だけど、もし、……もしこれだけでも許されるなら)

「お願いが……あるんだけど」

「ん……、ああ、いいけど」 最後の願いを聞いて欲しいと、伺いを立ててみるとミラはすぐに肯定を示した。

「今度の戦いが終わるまで……、僕の事、見てて欲しいんだ」

 道を踏み外さぬためではない。けれど、ミラがどう捉えてもいいものだとジュードは思った。
 状況からして意識的にジュードを見ていることなど不可能だろう。
 ただのおまじないのような、自己満足にすぎないと分かっている。
 けれど、これでミラの事を見送る事が出来そうだから。どんなに離れていても、互いの道を歩んでいけると。

「ああ……構わないが」

「ありがとう……ミラ」

 感謝の言葉を口にして、ジュードは口元を吊り上げた。心から感謝を伝えたい気持ちと、少しだけ泣き出したい気持ちが交え、無理に笑わないと笑えそうに無かった。

「僕……、僕はね。ミラの大切にする世界を……必ず守るよ」

 リーゼ・マクシアだけでなく、エレンピオスも含めた世界を。そう、思いを込めて言うとミラから自嘲めいた笑いが消えていた。
 代わりに浮かんできたものは、花のような綻んだ笑顔だった。

「ああ、ありがとうジュード」

「ううん」

 胸の心音は今までと同じように早鐘を打つ。頬に熱がこもっているのを感じるのだから、きっと赤くなっているだろう。
 けれど、受け取った笑顔も言葉も甘さはすぐに苦味に変わり、ジュードに忘れられぬ感情を残した。
 程なくして、街に出ていた他の仲間が戻ってきた。覚悟を決めた一行の顔を見つめ、ジュードは重たい気持ちをふっきるように、変わらない曇り空を見上げた。








それが嘘でもどれが愛でも
2011.09.20


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