視界に届く光の眩しさに、ジュードは僅かに目を細めた。真上から世界を照らす太陽は今日も穏やかなもので、視界を塞ぐ程ではない。むしろ、この穏やかさはジュードの故郷であるル・ロンドを思い出すようで、海面の波のようにさざめく彼の心に、一時の安らぎを与えた。
カラハ・シャールへ立ち寄った一行は、偶然にも買い物中のドロッセルと出会わせ、彼女の強い要望もあり、シャール邸へと滞在を決めた。
日もまだ高い位置にあることは分かってはいたが、積み重ねた疲労を考慮しての事だ。
シャール邸へ向かうその足取りは、皆一様に浮き足立ったものが多く、それにもれずしてジュードも心なしか晴れやかな気分だった。
皆の浮き足立つ様子を眺めているとあっという間に時間は過ぎていく。ラ・シュガルとア・ジュール。両国に追われる身としては、いささか豪華すぎる食事を満足で終えると、各人お開きとなった。
アルヴィンは早々と屋敷を出て行ってしまい、レイアとエリーゼはドロッセルに連れられて、自室へと戻っていってしまった。元々、シャール邸の執事であったローエンは、屋敷の者達に用があったようで、同じくその場を去ってしまい、残ったジュードとミラはする事もなく、シャール邸内にある庭へ足を運んだ。
よく手入れの行き届いたそこには、来客を楽しませるための迷路があった。植木で綺麗に壁を作られた迷路に「小さい頃、よく遊んだわ」とドロッセルが微笑みながら言っていた事をジュードは思い出す。
「ねえ、ミラ」
「ん、なんだ?」
「あの迷路入ってみない?丁度今夜は月も明るくて夜でも進みやすいと思うんだけど」
「迷路?あ、ああ、あれか?」
草木で覆われたそこを見るミラは、不思議そうにそれを眺めていた。四大精霊を従えていた前だったら、迷路など空から見れたいとも簡単に攻略できただろう。だが、今のミラは大怪我にも乗り越えて前進し続けた二本の足しかない。植木はそれほどの高さがないとは言えど、難易度は高くなっているはずだ。
「まぁ、いいぞ」
「ホント?」
「ああ。じゃあ行こうか」
了承を受け、ジュードはそっと笑みを浮かべて足を進めた。
ミラに促され、ジュードはゆっくりとした足取りで、ミラの前を歩いていく。
広いといえど、道幅までは行き届かないその迷路では、必然と一人ずつの進行となる。娯楽として作られたものなのだから、迷路自体も難解だということは考えにくい。背丈もちゃんと胸あたりまでは見えているのだから、周りも見渡せるはずだ。
「なんか、これ……冒険してるみたいだね」
「……ふふっ。そうかもしれないな」
待たずとも、明日になれば旅は再開されるというのに。左右を壁で囲われ、樹木の枝のように分かれて、どこかのダンジョンに赴いたかのようにも思える。ままごとのような冒険に、ジュードとミラは小さく笑った。
使命も緊張もそこにはないけれど、子供っぽい好奇心を混ぜ込んで、ジュードは進み続ける。やはり、いくらまぶしいくらいの月明かりとは言えど、闇に紛れたそこは視界を狭めている。無事にたどり着くかと不安を覚えながらも、目的である出口について、ジュードは達成感に浸る。
「うん。着いたよミラ……ってあれ?」
振り向いたジュードは、着いてきているはずのミラの姿が消えていることに、目を丸くした。
左右を見渡してはみるものの、ミラの存在を示すシルエットもなければ、物音もしない。まるで今まで一人で迷路に入ったかのように思えて、ジュードは急に不安に駆られた。
「……ミラ?」
呼びかける声は随分と弱々しいものとなった。返事は返ってくることもなく、間を置いて「ミラ?」と、もう一度名前を呼ぶ。それに呼応して、今まで何もなかった場所に影が浮かんだ。
「……すまん、ジュード。アイテムの袋を落としてしまったんだ」
「え?見つかった?」
「ああ。大丈夫だ」
すぐに使えるようにと、アイテムの袋は常備していたようで、ミラは小さな袋を掲げた。いきなり消えてしまったと動転してしまった自分に恥じ、ジュードは苦笑しながらミラを待つ。
「少し待っていろ」
「うん」
だが、自信満々に道を進むものの、ミラとの距離は縮まるどころか広がる一方だ。時折、チラリとこちらに視線を馳せるミラの顔は、次第に考え込むような表情へ変化していく。
「ふむ。……また行き止まりのようだな」
「……えっと、ミラ?」
「うん?」
「もしかして……迷った?」
「そのようだな」
至極当然のようにあっさり答えたミラは、元いた場所すら見失ってしまったようだ。直線距離で示せば、すぐの所にいるはずなのに、行き止まりに先程からぶつかり、進んでないように思える。
その姿を見つめていたジュードは、自然と大きく深呼吸をしたのちに、ミラに声をかけた。
「ミラ」
「どうした、ジュード?」
「僕がミラの所まで迎えに行くから、ミラはそこで待ってて」
「……だが」
制止の言葉に構わず、ジュードは先程来た道を戻っていく
恐らく、二人して迷ったらどうする。とミラは伝えたかったのだろう。だが、そんな心配も杞憂に終わるのは、程なくして。
しっかりした足取りでジュードは進み、一度その場で歩みを止め、先程入らなかった道に入る。
「お待たせ」
「さすが、ジュードだな」
そうミラが誉めるように、再び対面を果たすのに、そう時間はかからなかった。
「じゃあ、出口に向かうから。今度足を止める時は、声をかけて」
「そうだな……わかった」
頷いたミラを確認して、ジュードは今度こそ二人で出口を目指す。その時、僅かに後ろへ引っ張られる感覚を腕に感じ、後ろを振り向くと、ミラが袖を掴んでいた。
「ミラ?」
「これなら、はぐれる事もそうそうないだろう」
「確かに……そうだけど」
幼い子が迷子にならないよう必死に着いてくるような仕草に、ジュードは微笑んだ。
「それとも、手の方がいいだろうか」
いつもの豪快な部分が潜んで、アンバランスな行動に可愛らしいと思っていた所、すんなりと袖を離れたミラの手は、ジュードの手のひらに移った。
「ミ、ミラ……!」
互いに手袋はしていたが、握ってくる手の感覚はさすがに伝わってくる。
「なんだ?」
「なんだ?って……その」
恥ずかしいなんて気持ちなど、あからさまに意識しているようで、伝える方が躊躇してしまう。硬直した手のひらは、じっとりと汗が滲んでいく。
そもそも、ミラに人の恋という概念を話した所で、万人の人間に慈愛を注いでいるミラには理解に欠ける感情だろう。常にミラの事を優先してしまう自分に、ミラが特別だということは、本人にも伝わっているはずだとしても。
「何でも……ない」
小首を傾げているミラに首を振ったジュードは、ゆっくりと歩き出す。旅をしているのだから、こうした接触など幾たびもあったはずなのに、二人きりの空間と自覚したジュードに、それは常とは別のものとなった。
触れた部分は熱を帯び、じわりと全身に広がっていく。緊張のあまり硬直した手のひらは、握り返したいと思うジュードの願いを頑なに抗い続けていた。
とろけそうな指先
2011.09.15