それは、まだ人間としての肉体を持っていた時の事。
精霊の王として生きてきたミラは、人間いうものを、とても興味深く見つめていた。
ミラ自身は、誰もが羨む容姿が与えられ、眺めているだけで立派な鑑賞物となってしまうが、もし普通の人間として育てられていたとしたなら、少し辟易していたかもしれない。
けれど、人の感覚からずれたミラは、それを一切苦と思わず、己の象徴として扱っていた。いっそ、清々しいくらいに、堂々としていた。
買い物好きの女性陣たちは、よくミラを連れまわし、店先に置いてあるものや、店内に入りそこに置いてある衣類やアクセサリーをミラに試着させた。それはフリルのふんだんに使われた可愛らしいドレスから、普通の人なら纏う事すら躊躇する際どい物まで。どんなに突拍子もない物でも、不思議とミラが身に着けると様になっていて、レイアもエリーゼも、ただただ見入ってしまう。
羨望の眼差しを向けるのもバカバカしいくらい、ミラは洗練された美しさを持っていた。その為、どんなものも似合ってしまうのだろう。仮に、自分が同じ物を着たからと言って、確実に見劣りしてしまうに違いないと。
「ミラだったら、どんな男もイチコロなんだろうね」
「そうですね……でも、納得です」
完全に打ち負かされたと肩を落とす二人の心情を推し量ることも出来ず、ミラは首を傾げた。容姿だけなら、そのように意図して作られたのだから当たり前というべきであろうが。
「そう……だろうか。君たちには君たちにしかない物があるだろう?」
「エリーは笑顔が可愛いー!」
突然降ってわいたように、ティポがエリーゼの周りをくるくると旋回した。
「そうだな。エリーゼも、そしてレイアも、笑顔が可愛らしい」
人間ならではの感情が生きる顔、笑顔と言ってもそれは一つではないのだから。
レイアの周囲を元気にさせてくれる笑顔や、エリーゼの守ってあげたくなるようなほんわかした笑顔。
それは、自分にはないものだと思う。少なくとも、あんなに可愛らしく、時に無垢とも思えるような純粋な笑みを浮かべることはできないだろう。
精霊として生きるようになった身体で、ミラはいつの日かの、そんな出来事を思い出していた。
もう随分前の事とも思えるが、時間で考えると、さほど経過していないだろう。
それまでに起こった出来事は、あまりにも濃厚であったが、それも生命が短い人間の身であったからそう感じたのだろうか。
この身体は、人間の時のミラとは違う。だからと言って、ずっと四大に守られていたあの頃とも違う。不快ではないけれど、人間の時のような新鮮さを味わう感性は、どこかに置き去りにされてしまったようだ。
それでも、食事を口にすることはミラに喜びを与え、睡眠も考えを纏める時間と思えば、有意義なものだった。必要はないけれど、それでも、彼らともう少し同じ物を見て、同じ時を過ごす事を大事にしたい。
すぐ傍にある別れを、自分なりに哀感しているのだろうか。わからない。
慣れない身体と自分の心が、重なっていない気がしてならない。
分厚い雲で覆われたエレンピオスの空の下で、ミラは自分の身体を不思議そうに見つめていた。
「ミラ?」
「……ああ、ジュードか……?」
朝日が昇る少し前、鳥たちの鳴き声もまだ聞こえない、そんな時間帯に、ジュードは現れた。
随分前から居座っていたと分かってしまったのか、ジュードは訝しんだ顔をこちらに向けている。
「ミラ、どうかしたの……?」
「……うん、そうだな……」
どうかしたのだろうが、説明がつかない。
頤に手を当てたミラは、どうにか自分の考えを出そうとしたが、答えは出ることなく彷徨い、思念の淵に留まり続けている。
力尽きたように諦めたミラは、首を振って伝える意思がないことをジュードに示すと、ジュードは何も言わず、ミラの隣へ所在を置いた。
置いてけぼりをくらった、ちぐはぐの感情は、ミラの不安を煽る。
人間ではないはずなのに、どうしてこんな不安定な気持ちになるのだろう。
今ある感情や思考は自分の物だ。それなら、この身体は自分の物なのだろうか。
そっとため息をついたミラに、ジュードが気遣わしげな視線を送ってくる。
怒られて気落ちをしている子犬みたいな目をしている。自分の事でもないのに、ジュードはいつでもミラに優しい。こちらの気分を落ち着かせ、同時に、彼へ、そして人間への愛しさを感じるような思いが不思議と湧いてくるのだ。
「なあ、ジュード?」
「うん?」
「私は……今、どんな顔をしているだろうか?」
実に妙な質問だったかもしれない。
現に、ジュードはどういうことかと問う眼差しをミラに送っていた。だが、それも一瞬の事。やわらかな笑みを浮かべたジュードは、すぐに言葉を返した。
「ミラは、今、笑っているよ」
「……どんな風に?」
「すごく……すごく綺麗で……可愛い笑顔だよ。いつもより……なんというか、幼いというか……年相応な感じだけど」
てっきりぎこちない笑みを浮かべていると思っていたけれど。
ジュードから告げられたものは、ミラの考えている物と全く違ったようだ。
目を丸くして驚いたミラは、自分の両手を見た。僅かに震えるその手は、まぎれもなくミラの物で、この意思もミラの物だ。
「ミラ……?」
「……ジュード」
ゆっくりと手を伸ばして、ミラは縋り付くように、ジュードを抱きしめた。途端、強張ったジュードの身体が焦りを見せていたけれど。ミラはそのままジュードを抱きしめ続けた。
本当は、レイアとエリーゼが羨ましかったのかもしれない。ミラには出来ない笑顔を持って、そして人間として生きていける事を。
この旅で人間と過ごして、そして自身に備わってしまった人間としての願望を認める訳にもいかず、ミラは目を伏せる。
こんな想いは気づかなかった方が良かったのかもしれない。
――気づいた所で、どうにもならない。自分は、マクスウェルになろうとしている者なのだから。
「少しの間、このままで……」
「……う、うん」
何も問わずにいてくれる優しさが嬉しい。戸惑いがちに背中に回ってきた、ジュードのぬくもりが温かい。
ほんのひとときだけ、自分の使命を忘れたミラは、狂おしい想いを目の前の男に向け、その肩に熱い瞼を押しつけた。
もっときれいに笑えたらいいのに
2012.02.04
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ジュミラ企画サイト(主催)
「みちゆき」での提出作品でした。
タイトルは、as far as I knowさまからお借りいたしました。