- ナノ -
さよなら神様、また来て純情


 幼なじみのビーは意地っ張りだけど優しい人で、とてもじゃないけど悪さなんてできるような人じゃなかった。小さい時、くだらないことで喧嘩してわたしが泣いたら悪くないのに絶対謝ってきたし、膝をすりむいてしょぼくれてたら家まで手を引っ張って歩いてくれた。彼がわたしより一年早く島めぐりに行くときだって、「おまえが一人で島をまわるなんてできるのかよ」とわたしを心配してくれていたのだ。わたしのことより自分のこと心配しなよ、わたしよりバトル下手なんだから、なんてからかったりしたけれど、次の年を思うと心細くて不安だった。いつも一緒にいてくれていたビーと一緒に島めぐりができたらと、何度思ったかわからない。
 ビーは半年経っても一年経っても町に戻ってこなかった。島めぐりが終わったという報告は聞かなかった。ビーの両親も心配していた。便りが届かなくなって、悪い噂を聞くようになった。わたしが島めぐりに出る番になって、行く先々で彼の姿を探して、やっと見つけたのはポータウンだった。
 髪の毛の色が変わって、黒い服を着ていて、知らない怖い人たちと一緒に歩いていた。声をかけられなかったのは、彼がわたしを拒絶したからだった。目が合ったのに、彼は気付かないふりをして、雨の降る町に姿を消した。
 ポー交番のおじさん──ウラウラの島キングは、ビーのことを知っていた。彼が一緒にいる人たちのことも、知っていた。スカル団というならず者であるということ。その見た目通り悪いことをしている人たちであるということ。
 そして、ビーが、島めぐりに失敗したのだということ。


     *

 アローラでちょっとした事件が起き、エーテル財団のニュースが世間を賑わせる中、アローラの島々を駆け巡ったのはスカル団解散の噂だった。どこからともなく聞こえてきたその噂は、島めぐりを終えてアーカラ島の実家でのんびりしていたわたしの耳にも届いた。
 スカル団の元リーダーである男が、メレメレ島のリリィタウンで島キングに弟子入りした。そこに二人の下っ端がくっついていて、どうやらそのうちの一人がビーであるらしい──バイト先のアイナ食堂でそんな話を聞いて、いてもたってもいられなくて、翌朝にはリリィタウンへと向かった。リザードンライドで海を越え、自然豊かな町に降り立てば、目的の人はすぐに見つけられた。のどかな町並みの中に、全身を黒で固めた格好はとても目立っていた。わたしの存在に気づいたビーはすぐに逃げようとしたけれど、手持ちのバタフリーのねむりごなで足止めさせてもらった。とりあえずハラさんに事情を話して、しばらくビーをお借りすることにした。

「……というか、その変な喋り方どうしたの?」
「はあ!? 久々に会った人間にそれってどうなんでス……だよ!」
「言い直してるし」

 久々にちゃんと話したビーは、なんかよくわからないけれど変な喋り方をしていた。やたら語尾にスカスカつけるし、喋りながら両手をわさわさ動かしていて、なんだか落ち着かない。見た目も変わっていて、近くで見た髪の色はびっくりするくらい鮮やかな青色だった。「これ自分で染めたの?」って聞いたら、ビーは「みんなで染めあいっこした」と答えた。なんだそれ。不良集団のくせにかわいいことしているんだなって思ったら、ちょっと笑えた。
 ビーを拉致してやってきたのはマハロ山道だった。あまり人も来ないし静かな場所だし、二人きりで話すのにはちょうどよかった。起きたビーが逃げないようルガルガンを傍に待機させていたから、彼は諦めたらしい。ぽつぽつと今までのいきさつを語った。といっても、噂で聞いていたものとそう変わりなかった。島めぐりでどうしてもキングに勝てず、諦めてやけになっていたところをスカル団の元リーダーに拾われた──そこから、言われるがままに島で悪事を働いて、流れのままにスカル団は解散した。拾ってもらった恩もあり、いつも一緒にいたエイという下っ端と一緒に、元リーダーにくっついてきたというわけだ。

「──じゃあ、その喋り方はキャラ作りのためというか、相手に覚えといてもらうためにやってたんだね。へんなの」
「うっせえ。下っ端はみんな同じ格好してっから見分けつかねンだよ」
「ふーん。ま、開き直ってスカスカ言えばいいじゃないでスカ」
「真似すんなばか」
「ばかはビーでしょばーかばーか」

 言い返したらビーが悔しそうに呻いた。口元を覆うマスクの下から「相変わらずかわいくねぇ」ともごもごつぶやく声が聞こえたので、ルガルガンをけしかけておいた。首の周りを覆うふわふわのエプロンから覗く鋭い岩を容赦なく押し付け、ルガルガンはビーの体を倒した。この子はわたしが小さいときから家にいた子で、まだイワンコだったころにビーと一緒に遊んだことがある。ルガルガンも匂いで覚えていたのか、警戒心をさほど抱かず尾を振ってじゃれついていた。
 遊んでいるつもりなのだろう、ルガルガンがマスクを器用にくわえていっきに引っ張ると、結び目がするりと解けた。すっかりあらわになった口元をそわそわと触りながら、ビーは「返せよぉ」と情けない声をあげた。

「ねぇ、ビー。この子ね、旅の中で一番最初に進化したの」
「あん?」

 戦利品を自慢しにやってきたルガルガンの頭を撫でてやり、よだれで濡れた黒いマスクを受けとる。仕方なくビーに返してあげたけれど、濡れているのに気がついた彼は顔をしかめた。さすがにつける気にはなれなかったらしく、それをポケットに入れると、わたしの隣にまた座り直した。

「つかまえたピチューもライチュウになって、キャタピーもバタフリーになったの」
「おう」
「帰ってきたらビーに1番に見せたかった」
「……悪かったって言ってるじゃないでスカ」

 気まずそうにつぶやきながら、ビーは体についた土埃を払った。
 ──島めぐりに出かける前のわたしたちも、毎日泥だらけになって遊んだものだったな、となんだか懐かしい気分になった。こうして二人で話ができるのは何年ぶりだろう。幼い頃からずっと一緒にいて、服が汚れるのも気にせず、海だの山だの森の奥だのに出かけていって、日が暮れるまで駆け回っていた。くだらないことで喧嘩もしたし、二人で迷子になって泣きながら歩いたこともあった。
 久々に話したビーは、あんまり変わっていなかった。スカル団にいたというのに、怖い感じは全然ない。わたしのことをいじめたりおどしたりするわけでもない。あの時のビーと今のビーは何か変わったんだろうか、と思ってよくよく見てみたけれど、髪が青くなって、背が伸びて、変な喋り方をするようになったくらいで、ビーはビーだった。わたしが拗ねたような声を出したら、すぐに謝ってくれる。ちょっとばかなところだって、なにも変わっていない。
 山道の木々を揺らす風が、火照った頬をゆるりと撫でていく。ここを少し進んでいけば神殿があって、そこには気まぐれな神様がすんでいる。小さいときからずっと、わたしたちは神々からの恩恵を受け、またその恐ろしさを肌で感じながら今まで生きてきた。島めぐりは、一人前になったことを神様に示すための通過儀礼だった。
 サンダルを履いた足で砂をかき集めながら、大人ってなんだろうなぁ、と思う。
 島めぐりの旅のなかで強くなったポケモンは、進化して見た目が変わるけれど、わたしは何が変わっただろう。多少バトルが強くなったかもしれないけれど、それだけだ。胸を張れるほどのことじゃあない。それが、島めぐりを終えたというだけで大人だと認められて、失敗したらできそこないだと笑われる。
 ──じゃあ、ビーは、行き場をなくした子供は、どうしたらいいんだろう。

「……ビーは、もう、ずっとリリィタウンにいるの?」

 平静を装って尋ねてみたけれど、ビーは答えなかった。吐き出された短い息が、彼の狼狽を物語っていた。膝を投げ出してしばらく沈黙し、やがてぽつりと「帰れねぇよ」とつぶやいた。

「今のオレが帰ったって、親父もお袋も困るだけだしな」

 ビーにしては珍しく、強張った声をしていた。思わず彼の横顔を盗み見ると、彼は暗い空気を払拭するように「ま、ここでの生活も悪くないっスカら」とおどけた笑みを浮かべた。
 いつ帰ってくるかわからない息子を、ビーのご両親は待っている。それを伝えたかったけれど、言えなかった。言ったところでビーを困らせてしまいそうだった。ビーになんて声をかけていいのかわからなくて、「そっか」なんて興味のなさそうな返事をすることしかできなかった。

「つか、急にやってきてどうしたんだよ」
「ん……いや、どうしてるんだろうなって思って」
「どうもこうも、なんもねぇし。それに、オレと一緒にいるとこ見られたらあんまよくないだろ。早く帰った方がいいぞ」

 そう言って、ビーは立ち上がった。元来た道を数歩進んでいき、いつまでも座り込んでいるままのわたしを振り返った。ビーの言う通り、スカル団に所属していた彼と親しげに話していたら、周りからどう思われるかなんて簡単に予想はつく。優しい彼のことだから、わたしの身を案じてくれているのだろう。のろのろと顔をあげて、立ち上がろうとしたけれど、体が重くて足に力が入らなかった。
 勢いのままにここまでやってきて、わたしは何をしているんだろう。
 気の利いた言葉も出てこないし、ビーと一緒に帰ることもできない。自分が望むままに会いにきて、話して、別れて、それが何になる。ビーはずっと帰れない。敗者の烙印を捺されて、後ろ指をさされたまま?
 ──それは、悲しい。
 大人はみんなスカル団を馬鹿にする。ビーを馬鹿にする。ビーが優しい人だと知らないくせに、根性なしだと言ってからかう。挫折した彼らを指差し笑って、大人は口を揃えてこういうのだ。「おまえはああはなるなよ」「この言葉の意味の正しさは、大人になればわかる」
 それが大人の正しいあり方なら、わたしは大人じゃなくていい。
 なんだか急に泣けてきて、視界がどんどんぼやけていく。なにもできない自分が悔しい。一緒に帰れないことが寂しい。瞳に涙の膜が張るのはあっという間のことで、「ひ、っ」と喉の奥が震えた。息を吐こうとしたら引き攣るような変な声が出た。離れていたところにいたビーが、慌てた様子で戻って来た。

「えっ、ちょっ、何で泣いてるんでスカ!」
「ううぅ……っ」
「ばか、お、オレが泣かしたみたいなっ、ハラさんに怒られ……!」
「ふ、うぇ……」

 ぼろぼろ。ぼろぼろ。ダムが決壊したみたいに。涙は次々に溢れてくる。涙と一緒に気持ちまでどんどん溢れてくる。
 島めぐりを達成できなかったからだめだなんて、誰が決めたんだろう。年頃になったからと旅に放り出されて、うまくいかなかったら出来損ないだと笑われる。そんなのおかしいじゃないか。失敗したからビーは許してもらえないなんて。生まれた町にも帰れないなんて。おかしいじゃないか。
 スカル団になって悪いことをするようになったのは、島のみんなが、古臭いしきたりがビーを追い詰めたからじゃないか。わたしは運よく島めぐりを終わらせられたけれど、もしうまくいかなかったら──わたしだってふて腐れて、失敗した仲間を探したかもしれない。
 そんなアローラを作ったのは、大人たちなのに。

「えと、拭くもの……マスクしかねぇし、これヨダレついてるしいやだよなぁ?」
「やだあぁああ」
「あ、あ、あ、ちょ、もー何なんでスカー!!!」

 心底弱ったみたいにビーが叫んで、わたしの涙を拭くものはないかとポケットをひっくり返す。くしゃくしゃになったマスクとお菓子のゴミしか出てこなかったものだから、ビーはいっそう困ってしまって、情けない声をあげながら、腕のリストバンドで荒っぽくわたしの頬を拭った。ビーが優しいのと、困らせてしまっている申し訳なさとで涙はどんどんあふれてきて、わたしは子供みたいにわんわん泣いた。ついでに言うと、リストバンドがぺらぺらすぎて、ほっぺたをこすられるのがちょっと痛かった。
 拭いても拭いても追いつかなくて、どうにもならなかったらしい。「泣くなよぉ」と、ビーまで泣きそうな声をあげた。ぽすん、と頭の上に乗っかった手が不器用に髪を撫でて、慰めるように肩を引き寄せられた。わたしの泣き顔はビーの痩せた胸元に押し付けられた。
 初めて近くでくっついたビーの体は少し強張っていた。思いのほか肩幅が広くて、ちょっとびっくりした。「よしよし」と、宥めるような声が頭の上から落ちてくる。最後に会った時より、またちょっと声が低くなった気がする。
 少しずつ冷静さを取り戻してきたので、遠慮なくビーのシャツで涙を拭いた。ビーは怒らなかったけど、「鼻水はつけんなよ」と遠慮がちにつぶやいた。

「ビーは悪者じゃないよ」

 濡れた鼻先をビーに押し付けてもごもごと告げれば、彼は「はぁ」と困惑したような不明瞭な声をあげた。
 そりゃあ悪さはしたかもしれないけれど、ビーは決して悪い人間じゃない。アローラがビーを悪者に変えただけで、本当のビーは優しいのだ。

「島めぐりに失敗したってバトルが弱くたってビーはビーじゃん、髪が青くたって喋り方が変になってたってかわんないよ」
「……おまえおれのこと慰めてんのか馬鹿にしてんのかどっちなんだよ」
「ビーのこと、っ、悪くいう人がいたら、わ、わたしがやっつけるから、神様とかそんなの知らないから、おじさんとおばさんにも一緒に謝ったげるから、」

 帰ってきてよぉ、なんて、子供みたいにべそをかきながら叫んだら、ビーはちょっとおかしそうに笑った。「おまえ泣き虫のくせになんでそんなデカい口叩くんでスカ」一周回って冷静になったのだろうか。ビーは深く息を吐き出して、わたしの背中をぽんぽんと優しく叩いた。
 ──うん。そうなんだよ。偉そうなこと言ってるけど、わたしはビーよりずっと泣き虫だし寂しがりやなんだよ。一年早く島めぐりに出かけたビーに会いたくて仕方なかったし、いざ自分の順番が回ってきた時にもずっとビーの姿を探してた。会いたくて会いたくてしょうがなかったのに今まで会いに来られなかったのは、あの時みたいに──ポータウンで無視された時みたいに、拒絶されるのが怖かったからだ。
 記憶の中のビーはわたしよりバトルが弱かったけれど、いざというときは頼りになる人だった。迷子になってべそをかくわたしの手を引っ張って歩いてくれたし、喧嘩になったら謝ってくれた。わたしなんかより大人だった。
 そういうところが、ずっとすきだった。すごく。
 だから帰ってきてほしかったし、会いたかった。帰れない事情があるなら、どうにかしたかった。でもそれはひとつも言葉にできなくて、みっともない嗚咽だけがこぼれた。嫌ださみしいとぎゃんぎゃん泣いているだけのわたしはどっからどう見ても子供だった。
 そらみたことか。島めぐりを終えたから大人だとか、終わらせられないから子供だとか、そんなの全然当てにならないじゃないか。

「……スカル団は解散したけどよ、このまま帰ったら本当にただの半端者になるだろ」

 ビーはわたしの背を撫でながら、子供に言い聞かせるような口調でゆっくりと話しはじめた。

「なんつーか、ムシャシュギョーっての? グズマさんももう一回ここでやり直すっつってるし、島キングもバトルとかいろいろ教えてくれるしよ」
「……ん、え、ビーは、ここで修業してるの?」
「おー。……まあ、孫はうるさいし、いつもコテンパンにされるけど…… 」

 孫、ってのはハウくんのことだ。アローラの現チャンピオンに匹敵するほどの才能を持つ彼とビーが修業をしているなんて、あんまりイメージが湧かなかった。
 呆けた顔でビーを見上げたら、彼はわたしの濡れた頬をぐっと拭った。少し垂れた彼の目尻がほのかに赤くなっているのが、一瞬だけ見えた。

「……その、おまえに頼らないでも帰れるようになったら、今度はオレから会いに行ってやる」

 だから大人しく待っとけ、とぶっきらぼうに言って、ビーは黙った。額を寄せていたビーの胸が、びっくりするくらいどきどきと脈打っていることにやっと気がついた。それだけじゃない。肩を抱く彼の手の平は熱くて仕方がないし、抱きすくめる腕はとても力強い。
 わたしもどきどきしながら、ビーの言葉の意味を涙と一緒にごくりと飲み込んだ。
 ──待ってる、なんて素直に笑えるような可愛いげのある女でもないし、そんな関係ではなかった。ぐしゃぐしゃと涙を拭い「武者修行ってのは、いろんなとこ旅して修業することを言うんだよ」なんていう減らず口を叩いたら、「せっかくかっこよくキメたんでスカら、ちょっとくらい見逃せよ」と困った声が落ちてきた。こういう時にもちゃんとキメられないのがビーらしかったし、強がってしまうのもわたしらしかった。しかたないでしょ、わたしはまだまだ子供だから、こんな時どうしたらいいのかわかんないのだ。


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