▼ 君を手に入れたいと思った日 02 5こしか変わらねーじゃん 頭の中で昨日倉持くんに言われた言葉が響く。 あのとき僅かに感じた胸の痛みは、気のせいなんかじゃない。 『5こしか変わらないよ』 しゃこしゃこと歯ブラシを動かしながらぼんやりと洗面台の鏡に映る自分の姿を見つめる。 寝起きの疲れた表情の隣に今より幼い自分の姿が見えた気がした。 あのとき痛んだ胸は、倉持くんに対してではない。 結局今でも私はあの時のことを引きずっているんだ。 ふぅ、とひとつ息を吐き冷水で顔を洗うと、気を取り直し準備に取り掛かる。 濃すぎないナチュラルなメイクを施し、肩ほどあるパーマの掛かった髪をふんわりと内巻きにする。 黒を基調とした柄のワンピースにトレンカ。 OLに絶大な人気を誇るブランドのノーカラージャケットを羽織ると、これまたブランドのバッグを掴み、ばたばたと玄関へ向かう。 頻繁に同じ服は着たくないし、だからといって安物を着ていればすぐに見抜かれてしまう。 OLってお金がかかる。 そう気が付いたのは服装に自由が効いてきた、入社二年目の頃だった。 今では完璧に履き熟しているヒールのパンプスを履き、賃貸のマンションを出た。 コツコツと靴音を立て、駅までの道のりを早足で行く。 自宅マンションの前の道を抜ければ、そこはもう青道高校の野球部専用グラウンドが見える道だ。 「しゃらぁぁあ!!!」 グラウンドから怒号が聞こえる。 青道の野球部はみんなあんな声を出しながら練習しているのか? ちらりと広いグラウンドに目をやれば、遠くに練習着に身を包んだ高校球児がわんさか。 あの中に倉持洋一もいるのか。 ここからじゃみんな同じ色で誰が誰だか全く分からない。 別に探す必要もないし。 視線を腕時計に移し、再び前を向こうとしたとき。 「よ!名前」 前に戻しかけた視線の端に練習着姿の倉持くん。 まさかの遭遇。 いや、奴にとってはまさかではないようだ。 フェンスの向こう側でわざとらしい笑顔を浮かべている。 「・・・おはよ」 「おう、見送りに来た!」 練習着の帽子を斜めに被り、にかっと笑った笑顔は憎めない少年の笑顔。 倉持くんはカシャン、とフェンスに手を掛ける。 「仕事、頑張れよ!」 「あんたこそ。授業さぼんなよ」 ヒャハ!と笑い、さぼんねーし、と言う彼に疑いの目を向けつつも駅へ向かう為その場を離れる。 「じゃあね」 「またな、名前!」 「はいはい」 また呼び捨てにしやがって、と思ったが、こいつには言っても無駄そうだ。 暫く行って角を曲がる際にさっきの場所を見れば、まだそのままこっちを見ている倉持くんの姿。 きみはハチ公か。いつまで居る気よ。 その姿に少しだけ笑えた。 角を曲がり切ると突風が私の前髪を吹き上げる。 いつもなら嫌な髪型を崩す風も、 かったるいだけの朝も、 今日は颯爽と歩いて行く事ができた。 きみのおかげで憂鬱な朝に笑えたことだけは感謝するよ。 憂鬱な朝にバイバイ [back] |TOP| |