おそろいの夜は優しい

女性に夢を与える店、ホストクラブ。

白と黒を基調としたシックで上品な佇まいのお店は私が勝手に想像していたカラフルなネオンが喧しく輝いているものとは全然違っていた。

深呼吸してから重そうな扉の取っ手を掴み少しだけ引くと、その中には私がこれまで見たこともない様な煌びやかな世界が広がっていた。


大学を卒業して中小企業の事務に採用されて二年。学生時代の友人達は既に何人か結婚し子供も出来ていて良い奥さんになっている。その他の友人にもそれぞれ将来を考えている素敵な彼氏持ち。それに比べて私という女は学生時代からとても地味で異性から興味を持たれたことが殆ど無かった。勿論彼氏も出来た事がない。女としての幸せは私には永遠にやって来ないのではないかと薄々感じていた。

いつものように定時には仕事が終わり職場の人達からご飯に誘われる事もなく一人暮らしのアパートに帰る。コンビニでお弁当とビールを買って、あとおつまみも何か買おう。やっていることがおじさんと変わらないのが何だか哀しいが慣れてしまった。
コンビニを出ようとすると必ずドアに映る惨めな自分の姿を見ないようにして、ビニール袋片手に店員さんのありがとうございましたを聞き流して足早に歩く。

こうして夜に一人で居るのにもう慣れきっているはずなのに、カップルの姿や家族連れを見ては心の隙間に風がすーすーとよく通った。

「………」

繁華街近くにあるアパートに向かって歩いていると客引きのキャバ嬢やホスト達の姿をよく見かける。その中から無言で近付いてきた一人にチラシを手渡されて思わず足を止めて受け取ってしまった。無愛想な感じのするそのホストは綺麗な長めの髪の中性的な人だった。

受け取ったチラシには《ホストクラブ ボーダー》と書いてあった。



月末金曜日の今日。一ヶ月分の給料の大半をATMから引き下ろし財布に詰め込んだ。ホストクラブなんて今までなら行ってみようと思わなかったが一度だけ人生経験の為に行ってみようか。事前にネットでホストクラブがどんな場所か検索して、おおよその予算金額など調べていたらピンからキリまであり、指名制度や他にも色々と出てきてよく解らなくなってしまった。

地味な私なんかが行っても大丈夫なのかも散々考えたが、今まで女として丁寧に扱われた事がない私でもホストはお金を払えば可愛い女性のように優しく扱ってくれるらしい。自分で働いたお金を払って束の間の夢を見る分には構わないだろう。洋服も綺麗なものを着た方が良いよね。沢山お店を回って自分なりに派手過ぎず地味過ぎない無難なものを全部揃えてから出陣した。



扉をそっと開けるとそこには綺麗に並んだスーツ姿の男性達の姿。扉に取り付けられていた鈴がリーンと小さな音を立てて鳴ると一斉にこちらにお辞儀する。

『ようこそ、クラブボーダーへ』

す、すごい。さっそく見目麗しいホストたちの登場にえらい場所に来てしまったと早くも後悔が立つ。その迫力に立ったまま動けずにいたら、一人の男性にこちらへどうぞと促されて下を向いたままついていった。

「お客様、此方にいらしたのは初めてでしょうか?」

「は、はいっ!そうです。ホストクラブって初めてでどうにも緊張しちゃって……」

声が思わず裏返ってしまう。

「どうかそんなに緊張なさらずにリラックスしてお楽しみ下さい。お嬢様方が素敵な時間を過ごせるように尽力させて頂くのが僕らの役割、本日はどういったお相手をお探しですか?」

その人についていった先で革張りの高級そうなソファーに座らされた。壁中にホストの顔写真が沢山並んでいて、その煌びやかな装飾に嫌でも緊張が高まる。どの男性もみんな本当に格好良くて流石ホストクラブと感心した。壁に飾られた写真をもう一度見てみるけれど何を基準に選べばいいんだろうか。

「あ。あの…この人」

何故かその写真だけ電飾を避けるかのように妙な位置に設置されていて私の目を引いた。どの写真も綺麗な電飾に彩られているのにどうしてこれだけは違うんだろう?あれ、よくよく見てみるとチラシを渡してくれた人に似ていなくもない。

「あぁ士郎ですか。……彼でしたら今すぐお嬢様のお相手が出来るかと思います。では早速お席にご案内させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」

「は、はい。お願いします」

広々とした塵ひとつ見当たらない真っ白な通路を礼儀正しいホスト達が道を開けて通してくれる。
席に案内されてこちらも立派な椅子に腰をかけると、少々お待ち下さい。素敵な時間を、と言って一礼するとホールへまた下がって行った。案内してくれた彼も素敵な人だったし、このホストクラブはきっとレベルが高いんだろうな。他のホストクラブ全く知らないのにそんな風に思った。


「ご指名ありがとうございます。士郎です」

時間を置かずにすすっと私の座る席に現れたのはやっぱり前にチラシを渡してくれたあの綺麗な髪のホストだった。でも今日は髪を後ろでひとつに縛っているからちょっと感じが違って見えるし、もの凄いキラキラした笑顔をしているので前に会った時と全くの別人にも思える。

「お隣に座っても宜しいでしょうか?」

「は、はい。どうぞ」

完璧なホストだ!キリッと見える漆黒のスーツに甘い笑顔に心がときめく。外でのチラシ配りの時とは違ってお店の中ではずっとこんな感じなのかなぁ。
その士郎さんが私の隣に座ると距離が思ったより近くて緊張した。ソファ大きいからそんなに近づく必要なんてないのにな。こんなにも近くで男の人と会話するなんて学生時代の授業中ぐらいだったから余計に緊張している。

「……あれ…誰かと思ったら、アンタ本当に来たんだ」

「へ?」

隣に座った瞬間にニコニコとしていた顔が無表情に変わってしまい口調も何だか随分淡々としているような気がする。その変わりようが本当に急でびっくりしてしまった。でも前に会った時は更に無愛想な感じだったし、もしかしたら素はこっちなのかもしれない。

「あんまりホストに興味なさそうな感じだったから敢えてビラ渡したのに、これじゃあ意味なかったな」

「そ、そうだったんですか。来ちゃってすいません」

「別にお金払ってくれるならいいんだけどさー、アンタ前に見た時は地味な服着て身なりも微妙だったのに何その格好。ホストクラブで遊ぶ為に今日はわざわざ張り切って来ちゃったの?」

「ま、まぁそうですね」

「化粧下手、やり慣れてないの丸わかり。服はそれ上から下まで店のディスプレイのそのまま買った感じ?髪型も自分で出来る範囲で頑張ってセットしたんだろうけどそれ、流行遅れもいいとこだよ」

「?!」

す、凄い!ホストって初対面の客の事だっていうのに何でもお見通しなの?殆ど、というか全部当たっている。化粧もそんなにやり慣れてないし、可愛い髪型特集に載ってたこの髪型は雑誌のオマケについてた確か二年前のものだった。

「頭の横もヘアピンが少し出てるし、あとそれ薬局で売ってる色付きリップ?もう殆ど取れてきてるよ。あ、そういや名前聞き忘れてた名前は?」

「ええ?!あ、名前です。士郎さん今日は宜しくお願いします」

「はぁ?なんでさん付けて呼ぶわけ?士郎でいいよ。空気読んでくれない?あと何か飲む?酒類は殆ど満遍なく揃ってるけど。これメニュー表」

「えーと。そうですねどれにしよ…う……」

矢継ぎ早に会話が進んでいくな。ってこのメニュー表値段が書いてない!私にしては今日かなり大金を持って来たつもりだけれど、これ一杯頼んで破産にならないのだろうか?英語で書いてある見たことも聞いたこともないお酒の名前に頭が痛くなる。

「そのメニュー表に書いてあるドリンク類は全部千円もいかないものだから名前みたいな稼ぎが少なそうな人でも平気だと思うけど。ぼくに気に入られたいなら数百万するのもあるけどそっち持って来ようか?」

「これ、こっちのメニュー表から頼みます!」

「じゃあさっさと決めて。ぼくはこれ頼むから」

ボーイさんに士郎が注文を頼むとすぐにドリンク類が運ばれてきた。

「カンパーイ」

「か、乾杯。………うわー、いつも飲んでる発泡酒とは全然違う!美味しい!」

「コンビニで売ってる発泡酒に安いつまみ毎日食べてりゃそうだろうね。うちはそこまで安い酒は置いてないから。ま、でも名前にはそれで十分なんじゃないの?」

あれ、これ念願のお姫様体験が出来ていない気がするんだけど。さっきから遠慮のない会話もそうだけど、想像してたホストクラブとなんかちょっと違う!もっと、甘い言葉でも囁かれたりするものだとばかり思ってたのに。どっちかというと普段されない女性としての扱いをイケメンホストにして貰いにやってきたのに。

「お、お酒は確かにコンビニのでも十分なんですけど……ちょっと素敵な男性から女性扱いされてみたいなぁとか思いまして」

「ふーん。甘やかしてくれる男一人もいないの?まぁ確かに男受けしそうなもの何も持ってなさそうだし…あ、彼氏もいた事ない処女?」

「う……ハイまぁそうですね」

この人は本当に遠慮ないな。事実だから否定も出来ないのがとても哀しい。

「それじゃあ余計こんな場所に来たのは間違いなんじゃないの?女を喜ばせる事にかけてはぼく達ホストの得意分野だけど、男を全然知らない女なんて幾らでも金引っ張って来させるカモとしか見てないし。騙されて汗水流して働いたお金を全部絞り取られたい?」

「そ、それは困ります。けどここに来たのは一度だけの人生経験のつもりで、」

「甘過ぎ。名前みたいな女チヤホヤお姫様扱いされたらまた来るに決まってるじゃん。うちのホスト達に耳元で優しく囁かれて自分から金注ぎ込みまくって破産する女なんて沢山いるよ。優しい言葉も甘い言葉も所詮ホストの口から出る言葉なんて全部リップサービス。それに舞い上がらない自信なんてどうせないでしょ?」

私自身の事なのにそんな風に自信たっぷり士郎に言われたら、ちょっとお姫様扱いされるのが怖くなってきた。幾ら何でもホストクラブに通いつめて破産なんてしたくないけど、男性に優しくされたら舞い上がらない自信も今の私には多分ない。

「何だか凄い場所なんですね……ホストクラブって。私全く知りませんでした」

「アンタみたいな見るからに細客は普通こんな所には来ないしね。一応この辺りのホストクラブの中でも高級店で通ってるし、客は水商売やってるとか会社やってるとかそんな女ばっかり。あとホストの中には小狡いのもいるから大体そんなヤツに名前みたいなのは喰い物にされて人生終わるよ。だからお金ない貧乏人は早く帰んなよ」

確かにホストの人から見たら男性経験少なそうな私なら簡単に騙せるいいカモだよね。きっと優しい言葉を掛けるだけでそれなりにお金を引っ張り出せそうに見えるのだろう。給料少ないけど貯金はそれなりにあるし。

だけど、それならどうしてさっきから士郎は私にそんな話をしてくれるんだろうか。何かホストにどっぷりとはまらないようにこうやって話をしてくれているようにしか思えないんだけど。

「………確かに士郎の言う通りかも。ホストクラブでの心構えを教えて下さって有難うございます」

「はぁ?何お礼言ってんのさ。さっきからぼくアンタに怒鳴られても張り倒されても文句言えないことばっかり言ってるんだけど。どうして席を外して指名変えたりしない訳?普通の客はここまで言われたら大概そうするんだけど」

どうやら怒られてもおかしくない事は自覚していたらしい。

「いえ、此処ではどんなに甘い言葉を掛けられても舞い上がってはいけないことを教えて頂いたので。無一文にならずに済んで良かったです。それに今更士郎から別の方を指名するのは怖くなったので、士郎が良ければこのままでいいです」

「変なの。名前の頭の中どうなってるの?この頭って飾り?ぼくがそんな親切にする訳ないでしょ」

少し嬉しそうな顔になった士郎にいきなり頭を掴まれて髪をわしゃわしゃ掻き回された。取れかかっていたヘアピンが突き刺さって痛いんですけど。やっと士郎の攻撃が終わると慌てて外れかかってるピンを抜き取ろうと引っ張ってみるが中々取れないのでぐいっと力を入れてもう一度やってみる。あっピンやっと取れた!


「あーあ無理矢理取ったから頭ぐちゃぐちゃになってるよ」

「うわっ本当だ!どうしよ一時間半もかけたのにお化粧室何処ですか?すぐに直して来ます」

「ぼくを席に放ったらかしにして一時間もトイレに籠るつもり?これだからホストクラブに慣れてない人は嫌なんだよな」

こんなぐちゃぐちゃな頭でここにいる方が嫌なんてますけど……。それに士郎が触ったからこんなになってるんですが。鏡を見ないとちゃんと直せないぐらいに崩れてしまった頭を触っていると、

「そのヘアピン貸して。ぼくがやってあげるよ、ほら横向いて」

「は、え?」

「僕も忙しいんだから早くしなよ。そんな頭で居たいんならこのままでいいけど」

「よ、宜しくお願いします」

士郎は私の髪に留められていたヘアピンを何本か抜いて手ぐしで梳いて整えてから器用に捻っては留めていく。その華麗な手捌きに呆然としていたら士郎が不意に私のうなじに触れた。

「っ士郎?」

「…ああごめん…終わったよ。後れ毛が沢山出てたから纏めてアップにしてみた」

綺麗に磨かれたテーブルに顔を写すと店に来た時より数倍も垢抜けた雰囲気になっていた。変わったのは髪型だけだけど。

「さっきより断然素敵ですね。有難うございます!」

「はいはい良かったですね。ぼくは美容師じゃないのに…あ、追加で料金取ろうかな?ちょっとは見られる様になったんだし、それぐらい貰わないとね」

「ええー?!」

「そんな大声出さないでよ。嘘だよ。貧乏人から金を毟り取るわけないでしょ」

士郎にくすっと笑われる。その笑顔がちょっと可愛いくて思わず私も笑ってしまった。初めて笑ってる顔を見たな、それだけなのに少し得した気分になっている。これがホストクラブの愉しみ方なのか。それからしばらく士郎と取り留めもない会話をしてお酒を飲んで過ごした。大半は皮肉を言われてばかりだったけど、それでもアパートに一人で居るよりもとても楽しい時間だった。


「初めてのホストクラブは想像してたのと違ったけど楽しかったです。士郎、有難うございました」

「別にぼく何にもしてないよ。もう遅いし結構飲んでるんだから変な男には気を付けて帰りなよ」

あっという間に時間が経っていて慌てて席を立った。想像していたよりもかなり安い金額の会計に驚いてから士郎にお礼を言うと、つれない口調でぼそりとそんな事を言われる。あんなに男から見たら魅力がないとか言ってたのに今はどうやら心配してくれるらしい。

「はい、それじゃあまた」

「名前また、来るの?」

「あ、駄目でしたか?そうですよね。士郎に貧乏人はホストクラブにはまるなって教えて貰ったのにまた来たら意味ないですよね。ごめんなさい」

「……外まで見送るよ」

少しだけ寂しく感じている自分がいた。まだ士郎とはほんの短い時間しか共有していないのにこんな気持ちになるなんてホストクラブってやっぱり怖い所なのかもしれない。

「わー、外はまだ寒いですね。もう中に入って下さい!風邪引いちゃいますよ!それじゃあこれで失礼します」

「待って!首元寒そうだからこれあげる」

一緒に外に出ると余計に名残惜しい気持ちになった。だけど、どうにもならない。
そうして歩き出そうとした私の目の前に何故か士郎が近付いて来て、柔らかいマフラーを巻いてくれた。私の首元に緩く巻かれたマフラーからは仄かに甘い香りがする。

「これ士郎のですか?マフラーないと帰り困らない?」

「名前の首元のが寒そうだから別に良いよ。それに、白くて細いうなじは少しだけ綺麗だと思ったからそれで隠しといたら?折角ぼくが名前の魅力を一つ発見したのに他の男にはまだ簡単に見せて欲しくないし」

「あ、あの嬉しいけど。マフラー本当にいいの?」

寒さと士郎の言葉で頬が紅くなっていく。最後の最後に彼はこんな風に優しく女性扱いしてくれるんだ。嬉しくて、でももう会えないかもしれないのがちょっぴり哀しくてマフラーをぎゅうっと握った。

「……やっぱり…そのマフラーあげようと思ったけど、気に入ってるから返しに来てよ」

「え?」

「来月の名前の給料日、その日までなら特別に待っててあげても良いよ」

それって、また私は士郎に会いに此処へ来ても良いってこと?
そっぽ向いて告げられた士郎の言葉を理解したら嫌でも顔が緩んでしまう。巻かれたマフラーのお陰でこんな緩みきった顔は見えてはいないだろうけど、ちょっと恥ずかしい。
捻くれ者の彼からは望んでいたお姫様の様な扱いも終始されていなかったというのに今の言葉だけで私の心はじんわりと完全に蕩かされてしまった。

「はい、待ってて下さいね。必ず返しに来ますから!約束ですよ!」

「うん、約束だから」

きっとこれはホストと客のただの駆け引き。

だけどまた会いたいな、そう感じた気持ちだけでも彼とおそろいだったらどんなに嬉しいだろう。あんなにも惨めだった私の夜が彼と出会えただけでこんなにも優しく色付いた。


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