ものつきつね
※妖怪パロ的な
※年齢操作(ショタ化)



青々とした緑が眩しい山。まだ幼い顔立ちの少年、頼人は携えた虫籠の中、今日の収穫を見て満足げに頷くと立ち上がった。木々の間から覗く空は、行きに見上げた時と何ら変わりなく青い。
憂鬱な雨の気配など感じさせない空だった。だというのに、頼人が一歩踏み出した途端、さぁさぁと軽い水滴が落ちてきた。
慌てて手近な樹の陰に避難して、ため息と一緒に空を見上げる。今はもうザァザァと勢いを増した雨のカーテンの向こうに、素知らぬ顔で太陽が輝いていた。
昼からは友人と遊ぶ約束があるのに、遅れてしまったら困る。それに、もしも大雨になって一日中降り止まなかったらどうしよう。
不安が過ったが、しかし手元にあるのは虫網と虫籠で雨を遮れそうにもない。びしょ濡れで帰ればいいことだが、そうなったら雷が落ちるだろう。……母親の。

ここは林にも等しい低い小さな山なのだが、山であることに変わりはないので不安ばかりが頼人の頭の中で回る。もう一度ため息を吐きそうになった時、ぱったりと雨音が消えた。

「なんだよ、もう止んだのか……変な雨」

拍子抜けな雨にそう呟いて、樹の下から離れる。
雨粒が乗っかった草と湿った土を踏んで、通り慣れた道に入る。
春先に、山菜を採りに山へ入る人間が多かったのか、細い道は雑草が踏み分けられて歩きやすい。
……そういえば。今日は朝から一度も人に遭遇してないな、と頼人は道を振り返る。つい先日は、初夏でもまだ採れる山菜を目当てに来たらしい爺さん婆さんが歩いていたのに。
……偶然、だ。鳥の声がちっとも聴こえてこないのも、きっと。言い聞かせながらも、道を下る足は自然に早くなっていた。

「……あれ」

おかしいな、と足を止める。歩いても歩いても一向に麓に着かない。同じ場所をずっと通っているような違和感。一本道で迷う筈なんてないのに。首を傾げていると、不意に聞き慣れない音が耳に届いた。最初は、風が吹き抜けていったのかと思ったけれど、よくよく聴いてみればひゅうひゃらら、とやけに規則正しい音だ。

「この音、なんだろう……祭り囃子みたいな」

山の中に相応しくない賑やかな音は、今でははっきりと、人が足を踏み入れていない生い茂る草木の向こうから聞こえてくる。
こんな山中でお祭りがあるなんて、今まで一度も聞いたことがない。怪訝に思いながらも頼人はそうっと下草を踏み分けて、音に導かれるように木々の隙間を縫って歩いた。どんどん近付いてくる、地響きじみた太鼓の音で自分の足音すら聴こえない。祭り囃子にふらふらと引き寄せられながら、もうほんの数十歩先のところで人影がちらちらと見えた。
細長い杉と雑木の伸び放題な枝葉に遮られてよく見えないが、ずらりと列を成して一糸乱れぬ足並みでどこかへ向かう人たちの姿が異様に思えて、頼人は手近な木の後ろにしゃがんで身を隠し──まじまじと行列を眺めて。

「な、んだあれ……」

そう呟くしかなかった。
揃って和装に身を包んだ人たちの頭部に、あり得ない筈のものがある。いや、生えている。白や黒、茶色とカラーバリエーション豊富な、時折ぴこりと動いているあれは……狐の耳だろうか。しかも、視線を下の方に向ければそこには、立派な尻尾までもが生えていた。
世の中に、コスプレというものがあるのは田舎の少年である頼人も知ってはいる。だが、こんな山奥で、お年寄りから若い男女、子どもまでが入り交じってコスプレなどするわけがない。

「嘘だろ……夢、じゃないのか」

混乱した頭で頬を抓るが、もちろん痛い。つまりこれは夢ではない。

「ど、しよう……帰らないと」

目の前にいる人々みんなが人間ではなく別の何かなのだと思うと、手足が震えた。それでも何とか、ゆっくりと木から離れて、後退る。今見ているものは全部見なかったことにしよう、と心に決めて。
──パキリ。

「っ!」

小さく、しかし響く音が祭囃子の中に混じった。びくりとして足元を見ると、小枝が靴の下にある。なんだ、と頼人は息を小さく吐き、同時に体を固まらせた。
──さっきまであんなに喧しかった太鼓や笛が、ぴたりと止んでいる。
つまりそれは。

「ひ……っ」

恐る恐る顔をあげれば、こちらを凝視する無数の目と視線がかち合う。頼人の悲鳴に、人のような何かがざわめく。言葉が口々に呟かれる。人間。見られた。人間だ。どうして人間が。見られた。

「あ、ぁ……」

敵意の視線に晒されて、力なくへたり込む。いつの間にか頼人を取り囲むように近付いた彼らの中の誰かが、鋭い声で何事かを急き立てる。周りの者も頷き合い、何人かが率先して近付いてきた。見下ろす数対の目に宿る殺意に、逃げ出すことも出来ずに頼人はきつく目を閉じた。

「何も、殺さなくても」

あとほんの少しで尖った爪先が頼人の首元に届くというところで、穏やかな声がそれを制止した。場に相応しくない声に思わず閉じていた瞼を開くと、群衆の中から男が一人進み出て、庇うようにこちらに背を向ける。ふさりとした尻尾が頼人の目の前に垂れた。他の者と違う、銀色の尻尾がゆらゆら、呑気に動く。

「まだ子どもじゃないですか。それに、八つ裂きなんて今時古臭い」
『見たことを忘れるほどの齢ではない』
『ちょうど祝いの馳走に誂え向きの獲物を、みすみす逃してなるものか』

非難の声に銀色の尻尾の男は肩を竦めると、頼人に振り返り、その細い腕を掴んだ。何をされるのだろうと怯える頼人に目線を合わせて大丈夫と言うように微笑むと、男はまた皆の方へ顔を向けた。

「俺の屋敷へ連れて行きます。里へ帰さなければ何も問題はないでしょう?」

その一言で、周りは水を打ったように静まり返った。しかし、依然鋭い視線はこちらに向いたままだ。それを気にした風もなく、男は掴んだままの頼人の腕を引いた。当然この状況で拒否など出来るわけもなく、頼人は黙って従うしか無かった。


竹林に囲まれた、時代劇くらいでしか見たことがないような大きな屋敷。
その屋敷の、比較的小さい座敷に通された頼人は落ち着きなく畳や天井、襖に目を走らせる。
頼人は、自分があれからどうやってこの屋敷へ連れて来られたのか覚えていなかった。集団からやや離れた所まで自分を連れてきた男が、行こうか、と笑って頭を撫でたことは覚えているのだがそこから先は靄がかって思い出せなかった。
これでは隙を見て逃げ出せたとしても山で迷ってしまうかもしれない。そう思うと頭を抱えたくなった。そんな頼人の服は、屋敷に入るなり男の使用人らしき者たちによって着物に着替えさせられていた。夏祭りの時の浴衣くらいしか着たことのない頼人は、お高そうな着物の裾を見下ろして、スースーする、と呟いた。

「これ動きづらいし、やだな……」

しかし自分の服を返してほしい、なんて言って彼らの怒りを買いたくなかった。相手は人の姿をしただけの化け物なのだから。自分を助けてくれた優しそうなあの男だって化け物だ。今は優しくたって、いつか気が変わって食べられてしまうかもしれない。
今すぐこの屋敷から逃げ出したい衝動に駆られたとき、襖がするりと開かれた。

「待たせて悪かった。お、着物似合ってるなー」

男は入ってくるなり、座布団の上で縮こまる頼人の隣に座ると、上から下まで頼人をまじまじと見つめて満足そうに頷いた。

「そう言えば、名前を教えてなかったよな。俺は沖田。沖田宏っていうんだ。お前の名前は?」
「……よ、頼人。永井、頼人」
「頼人か、いい名前だな」

答えた頼人に、沖田はにっこりと笑って頭を撫でた。猫でも撫でるような優しい手つきで。しかし、その指先には鋭い爪がある。頼人が身を固くしたのを見て、沖田の笑顔が苦笑に変わった。

「俺はお前を取って食おうなんて思ってないよ。そこいらの獣と違って食い物に困ってないんだから」
「……本当、に?」

おずおずと訊く頼人に、沖田は強く頷く。瞳孔の細い灰色がかった目は人間離れしていて、それでいて優しげな色を湛えている。とても嘘をついているようには見えなかった。
それに食べる気ならわざわざ服を替えさせたりするだろうか。信用していいのかもしれない……そう思った瞬間から恐怖心が薄れてきたのか、頼人は沖田を見上げた。

「俺……これからどうなるの?」
「……悪いが、家には帰してやれそうにない。俺達の中ではそういう決まりがあってな、俺一人の意思ではどうしようもないんだ」

そんな、と信じられない様子の頼人を心底申し訳なそうに眉と耳を下げて見つめる沖田は、しかし、どうにかして頼人を家へ帰してくれる気はないらしい。
暫くの沈黙の後、もう少ししたら夕飯を持ってこさせるから、とだけ言い残して沖田が広い部屋から出て行くと、頼人は一層自分に降り掛かった現実を実感して、着物の裾をぎゅっと握りしめた。家に帰りたい。それだけしか考えられなかった。今すぐに屋敷の外へ走りだして、何事も無く家へ帰れたらどれだけいいだろう。
帰りが遅くなった事を叱られるのは懲り懲りだったけれど、今ならどれだけ叱られようが構わなかった……。頼人はふらつきながら立ち上がり、開け放たれた障子から庭を見る。
既に薄暗いが、この低い山を下りるには充分な明るさだった。大きな庭の周りにはぐるりと、子どもからすれば大分高い塀が聳え立っているが、よく見れば外に続く門があった。当然、その門は閉じられている。だがこれほど大きな屋敷なのだから、出口はきっとひとつではない。探せばきっと、どこかに。

「やめておいた方がいい」

白い砂利の敷き詰められた庭へ降りかけた小さな背に、あくまでも優しい制止の声がかかる。振り返ると、いつの間に戻ってきたのか、沖田が夕飯を乗せた膳を片手に立っていた。

「外に出たら今か今かと待ち構えてた奴らに捕まえられて、久しぶりのご馳走として喰われる」
「そんなの……嘘だ」
「嘘だって思うなら出てみればいいさ。屋敷の外へ出たら俺はもう助けられないけどな。……ご馳走になって喰われるより、ご馳走を喰うほうがよっぽどいいだろ?」

冗談っぽく言って下ろされた膳の上には――普段洋食派の頼人には和食としかわからないが――確かにご馳走と呼ばれるに相応しい、華やかな料理が乗せられている。見た目もさることながら、漂ってくる匂いも、昼前から何も食べていない頼人の食欲を刺激する。
くぅ、と無意識に腹の音が鳴ってから腹を押さえてももう遅い。沖田は、正直な腹だな、と今までの柔らかな笑顔とは違う種類の笑顔を浮かべていた。ストレートに言うなら、子どもらしい失態を可愛いなぁにやにやと笑っていたのだが、腹が鳴ったことに気を取られている本人はそれに気付かなかった。

「ほら、冷める前に」

空腹を意識したせいか、それとも腹の音が鳴った恥ずかしさからか。一気に緊張と逃げる決意とが失せてしまって、頼人は手招きに逆らうこと無く元の座布団の上に戻った。

それから暫く経って、すっかり夕飯を平らげた頼人は、眠気と戦っていたところに沖田に勧められるままにお風呂――これまた時代劇でしか見たことがないような見た目の――に入った。
ゆっくり湯船に浸かっている余裕もなく、さっさと部屋に戻ってきてきちんと敷かれた布団を目にすると、もう眠気には逆らえない。そのまま、布団に倒れ込むように寝てしまった。
その後様子を見に来た沖田は、案外呑気なものだな、と布団をかけ直してやりながら、穏やかな寝顔を見つめた。今日の出来事をもう忘れたようにすやすやと寝息を立てているその子どもの頬を撫ぜても、身動ぎをするだけで起きる気配はまるでない。
子どもらしいやや高い体温がじわりと伝わってくる柔らかな肌は、触れていて心地良い。頬から首元へと指先を滑らせている内、ふと、この薄い肌に爪や牙を突き立てたらどうなるのだろう、頼人はどんな反応を返すだろう、そんな衝動に駆られて、沖田はひとり苦笑した。
どうなるのかなんて、そんな事。人間、特に子どもが脆いのはよく知っていた。薄い皮膚はいともたやすく裂けて、運が悪ければ一噛みで死んでしまうだろう……今度こそは、そうならないように、しなければ。
静かに見下ろす獣の心中を知ること無く、頼人は寝返りを打った。

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