よりとくんの節分
※パラレル・年齢操作
※書いてる内に謎の方向に行ったホラー話


「ただいま」

丈の余った学生服を着ている頼人は、そう声をかけてから居間に入った。足を踏み入れた途端、ぎぃ、と床が軋む。この家はどこもそうだ。床から柱、机などの家具まで年季が入っている。
中がそんなだから、もちろん外も大層古めかしい。無駄に広く木々が伸びっぱなしの庭に、車と頼人が乗ってきた真新しい自転車が止まっていなければ廃墟と間違われても仕方ないような家だった。
実際、両親に連れられて夕闇に溶け込んだこの家を見上げた時は、お化けが住んでいる家にしか見えなくてわんわん泣いてしまった記憶がある。
子どもの想像力って豊かだよなぁ、と昔の自分を振り返る頼人は、しかし未だにこの家は苦手だった。
古い窓硝子は風でがたがた揺れるし、床は軋むし、使っていない部屋は埃っぽいし。
……何より、この家は昼間でも薄暗い。台風の時に壊れた窓やヒビの入った窓に適当に板を打ち付けているせいでも、単純に日当たりが悪いせいでもあるし、それでいて今時の家のようにそこかしこに照明が備えられているわけでもないからだ。
そんな古臭い家に、新年早々親の都合で預けられる事を頼人がひとつ返事で受け入れたのは、ひとえに家主のお陰だ。家主は、頼人の遠い親戚に当たる、らしい。母と父どちらの親戚なのか、何故まだ三十そこらの身でこんなに古い家にひとりで住んでいるのか、詳しくは知らない。頼人にとってはどうでもいいことだった。

──どう呼んでいいのか悩んだ頼人に、おじさん、と呼ばれたまだ若い男、沖田は少々困ったような顔で笑って、頼人の頭を撫でた。初めこそ緊張していたものの、頼人が懐くのにそれほど時間はかからなかった。
沖田はいつでも頼人の遊びに付き合ってくれたからだ。
秘密基地を作りたいだなんて言い出したときは、庭に放置されていた木材やブルーシートやらを駆使して即席ながら立派な秘密基地を作ってくれたし、カブトムシを捕りに近くの山まで連れていってくれたこともある。
庭の大きな木に登りたいと言い出した時なんて、沖田が先に登って頼人を引き上げてくれたりもした。
他の大人とは違って、頭ごなしにダメだなんて言わないどころか、寧ろ大人げないくらいには頼人と本気で遊んでくれる沖田が、頼人は心の底から大好きだった──それは、今でも変わらない。

「頼人、帰ってきてたのか、おかえり」
「おじさ、沖田さん、ただいま」

頼人がこたつに足を潜らせたちょうどその時、立て付けの悪い引き戸を開けて沖田が居間に入ってきた。ついつい昔のように呼びかけたことが何となく恥ずかしくて、頼人は誤魔化すように沖田の手にあるものに視線を向けた。
それ、なに?と、聞くまでもないことを聞いてみる。

「何って、節分だよ」

ほら、と豆で一杯になった枡を手渡される。

「頼人の家ではしないのか?豆まき」
「するけど、毎年じゃないから」

こういった行事を蔑ろにするわけでもないが、特別重んじるわけでもない我が家では、豆や恵方巻きを買って食べるだけだったり、忙しい時には節分自体をスルーしてしまう年もあったりした。

「なんだよ、勿体無いな。一年に一度しかないんだから行事は楽しむべきだろー?」
「……ひとりでも?」
「鬼役がいなくても豆は撒けるし、恵方巻きもうまいだろ。まぁ、今年は頼人がいるからもっと楽しいな」

そう笑う沖田は、本当に今までの節分をひとりでも楽しんできたらしい。
……一回りは年が離れていて、どんな遊びだって真剣になってくれた沖田を以前は『大人』だと思っていたのだが、今思うと……大人げないどころか根が子どもなだけなんじゃないだろうか……?

「ほら頼人、座ってないで豆まきするぞ」

そんな失礼なことを考えているのを知ってか知らずか、こたつから引っ張り出される。せっかく温かくなってきたのに、と文句を言おうとして沖田を見上げた頼人は、目に入ってきた物体にぎょっとする。

「うわっ!沖田さん、それって……」
「どうだ、迫力あるだろー?」

得意気に言う沖田は、よくある紙製のチープな赤鬼の面ではなく、恐ろしい形相をした般若に似た面を着けていた。確かに迫力はあるけど、肝試しじゃあるまいし、こんなお面は節分には不釣り合いじゃないだろうか。笑っているようにも苦悩しているようにも思える不気味な白い鬼を見つめて、そう言いかけた。
しかし、豆まきだろうがなんだろうが、沖田とこういう行事をできるのが嬉しいのも事実で、頼人は口を噤んだ。


「鬼はー外、福はーうちー」

掃除が面倒そうだと思いつつ、家のあちこちで沖田と豆まきをする。どこの戦隊ものの悪役だというような振る舞いの鬼になりきった沖田に豆を投げつけると大袈裟に痛がってみせるので、頼人もなんだかんだで楽しくなってきたところで、枡に残った豆はあと一握りになっていた。

「これで最後だよ、沖田さん」
「あぁ、じゃああっちに撒いといてくれるか?恵方巻き準備しとくから」

うん、と台所に向かう沖田を見遣ってから、最後の豆を撒こうとして。そういえば、昔は絵本か何かの影響で追い出される鬼が可哀想だなんて思ったりしたっけ、と。ふと思い出した頼人は小さく口の中で呟いて、豆を放り投げた。──鬼は内。

「頼人ー、撒き終わったか?恵方巻き出来たぞ」
「……今行く!」




昨日は、調子にのって豆を撒きすぎたせいで後片付けが大変だった。
沖田と二人して箒でかき集めたのだが、何せあの家は暗いのだ。気付かなかっただけでまだ落ちているかもしれないから、きっと今日も帰るなり箒かちりとりを渡されるに違いない──頼人はそれを思い浮かべて笑うと、沈みかけた太陽を背に、ペダルを漕いだ。

「ただいまー、沖田さん?」

沖田の家に着く頃には、橙色だった空は暗い青色になっていた。街灯の少ないここら辺はきっとすぐに暗闇になるだろう。
がらがらと玄関に入ると、やや雑に並べられた沖田の靴が目に入る。庭に車もあったから、既に帰ってきているのだろう。
その割りに家は真っ暗で、明かりひとつ点いていないのが気になる。もしかしたら、昼寝してそのまま寝ちゃったのかな──あの人なら、有り得る。
失礼なことを思いながら、廊下の照明を点けようとスイッチにかけた手を頼人は下ろす。何となく、脅かしてみようと考えたのだ。
そうっと、足音を立てずに居間へ歩いていく。床が派手にぎぃぎぃ鳴るかもしれないと思うとどきどきする。何だか泥棒になったような気分だった。
幸い居間へ入る引き戸は開けっ放しで、沖田に気付かれずにすんなり居間へ入れた。しかし、てっきりこたつで寝ていると思っていた沖田はいなかった。まさか、こんな早くから寝室で寝てる?
そうだとすると具合でも悪いのかも──呆れを通り越して心配になってきて、頼人は寝室に向かおうとして、

「……あれ?」

棚に置いてあった筈の物がないことに気が付く。あの鬼の面がない。町外にいる友人からの借り物だから今度会うときに返しにいくと言っていたのに。
正直、頼人からすれば不気味でしかなかったので、今日返してきてくれたなら何よりだったが、沖田が自分と同じようなことを考えている可能性は……大いにある。
あの面を着けてどこかに潜んで、びっくりさせようとしてるんじゃないだろうか。だとしたら、叫ばない自信がない。

「……沖田さん!どこ?」

返事はない。普段大人げない沖田も、子どもを本気で怖がらせたりするような人間ではないことを頼人は知っている。なら、やはり沖田は寝ているだけだろうか。廊下に出て、寝室の襖を開ける。

……いない。干していたのを取り込んだのか、布団は隅っこに綺麗に畳まれたままだった。横には洗濯物を入れたかごまで起きっぱなしだ。誰かに呼ばれて外へ行ったのかも、でも、書き置きも無しに?
ちらりと見上げた窓は曇っていて、外が見えない。滲むような弱々しい光は薄く青白く、家の中の物まで蒼白くなってしまったような錯覚がする。少し、気味が悪い。
そんなことを思った時、ぎぃ、と床を踏む音が鳴った。その音はゆっくりと、やけに勿体ぶってこちらに近付いてくる。いつの間にか帰ってきてたのか。頼人は、どこかほっとして自分が入ってきたほうを振り返った。そして、思わず叫びそうになる。

「っ……お、沖田さん……? 脅かすなんて、ひどいよ」

そこには、あの面を被った沖田が静かに立っていた。面に隠れて表情はわからないが、驚いた自分を見て微かに笑った気がして、頼人はむっと眉を寄せる。

「もう鬼はいいよ、節分終わったし、豆もないし」

そう、鬼を追い払う豆は昨日の内に撒いたり食べたりして一粒も残っていない。だから、もう鬼は追い払えないのだ。
しかし、沖田は一向にお面を外さずに、黙り込んだまま頼人を見下ろしている。
──こわい。初めて、頼人は沖田に対してそんな感情を抱いた。いや、はじめてじゃない。おじさんと呼ぶのが申し訳なくなってきて、沖田さん、と初めて呼んだ時。
今までに見たことのない沖田の表情を頼人は見た。それが、今年になるまで沖田の家へ来なかった理由だったことを、今更思い出す。

「沖田さん……?」

身じろぎもせずすぐそばで頼人を見下ろしていた沖田の、そのやけに白い手が無防備な柔らかい頬を撫でた。……つめたい。寒い日に外を出歩いていた時や、水仕事を終えた後の氷のように冷えてしまった手とは違う冷たさだった。まるで……。
からん、と鬼の面が足元に落ちた。頼人は反射的に沖田を見上げる。沖田が、沖田だったはずの誰かが、白い顔で笑った。

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