雪男の炎は、燐の炎を包み込んだ。水のように穏やかな流れで。雪男は柔らかに燐の頬を撫でる。壊れないように、そっと。目にかかる前髪をどけてやる。
瞳を閉じて燐のことを想えば、その想いに答えるように炎はいっそう鮮やかになった。

腕に仕舞いこんだ燐の体は、温かくはないにしても氷のような冷たさはなくなっていた。炎の勢いも収まりつつある。
触れ合う部分から燐の鼓動が伝わって、自分の鼓動と混じりあっている気がした。母胎にいた頃は、きっとこんなだったのだろう。とくん。と、内側から発せられるリズムが心地良い。


「あなたが大好きだよ…兄さん」

その言葉は無意識だった。本当に心のそこから思った、勝手に口から出たのだ。

この何処までも澄みきった藍を、一体誰が踏みにじれるだろうか。きっと誰にも汚せない。


この果てない愛を自分は貫こう。


「雪男…?」

「兄さん、良かった。どこも痛くない?もう、大丈夫。大丈夫だから」

ゆっくりと目蓋を押し上げて、燐が目を覚ました。燐を労るように雪男は、顔中にキスを降らす。
ぼんやりと雪男を見つめる燐の瞳が徐々に覚醒していく。

「俺…ってか、何だよお前!なんで…っ!!」

お前の体から溢れているものは何だ。くしゃりと顔を歪ませた燐が、雪男に迫る。それは弟が持っているはずがないもの。自分だけだったはず。そう顔に書いてある。なんて解りやすいんだ。雪男は小さく笑った。

「なに笑ってるんだよっ!!」

燐は今にも泣き出しそうだった。それと反対に雪男は嬉しそうだった。

「夢が…叶いそうなんだ。だから嬉しくて仕方ないんだよ」

「夢?」

怪訝そうに尋ねる燐は、大人しく雪男に体を預けたままだった。まだ動くことは出来ないらしい。

「…医者、か?」

「まさか」

雪男の夢なんて、それしか思いつかない。だから当然のように聞けば、あっさり否定された。


「こんなときに医者になれたって、どうしようもないじゃないか。そんなの昔の夢だよ」

笑いながら、燐の髪を透く手はなんて優しいのだろうか。不安や恐怖が燐の中から、姿を消していく。魔法みたいだな。燐は思った。この片割れ以上に安らげる場所が、他にあるのか。答えなんて考えなくてもわかる。

「じゃぁ、なんだよ夢って」


雪男の温もりと疲労が合間って、燐を眠気が襲う。目蓋が重みを増していく。

「眠い?寝ても良いよ」

甘美な言葉に誘われるように、震えながら目蓋が閉じていく。綺麗な瞳が、白に隠された。


「次に目が覚めたら、きっと兄さんの世界は喜びで満ち溢れているんだ」


いつしか燐の体から出ていた炎は、欠片も残さず消えていた。まだいくぶんか青ざめている顔からは、穏やかな寝息が聞こえている。艶やかな黒髪から覗く耳はなだらかな円を描き、くたりと床に投げ出されていた尻尾は見当たらない。彼を苦しめていた悪魔の証は、なくなっていた。


「僕はね、ずっと兄さんを人間に戻してあげたかったんだ」


それが僕の夢なんだよ。
少し尖ってしまった耳を揺らして、雪男ははにかんだ。





lacrimation
(それは心からの祝福)



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