「ここは…」

「すげぇなぁ…」

メフィストの鍵の行く先には、教会があった。大きく、そして純白を保ったまま。いったい、いつの時代からそこにあったのかわからないほど美しい。その周りには空と大地しかなく、どこまでも厳かな空気が続いている。雲の切れ間から覗く光は神々しささえ感じさせる。
悠然と構えられた巨大な門の奥には、門よりも少しばかり小さな建物があった。教会には珍しい、縦に細長いドーム型。その頂上には大きな鐘と、飾り気のない十字架。細い柱が等間隔で並び、天井に近づくにつれ曲線を描く。そして、しなやかに混じりあう。雪男は思った。その姿はまるで。


「鳥籠だ」


大きな大きな鳥籠。細部にまで装飾を施され、柱の間を彩るのは透き通るステンドグラス。そこには様々な宗教画が描かれていた。扉から右回りに聖母マリアの受胎から始まり、ユダの裏切りを経てキリストの死に終わるまで。人の終わりと神の誕生。そこには一人の生と死があった。壮大でいて、ほんのわずかな人生の物語。


「シュラさん、行きましょう」

「おう」

門の柵を開き、雪男が内側へと足を進める。シュラも意気込みを入れ、後へと続く。しかし、意気込みは直ぐに砕かれた。

「ぶぎゃっ!!」

シュラが短い悲鳴を上げて後ろに倒れ込むように尻をついた。何かに弾き返されたのだ。開け放たれたままの門をくぐれたのは雪男だけ。

「シュラさんっ!?」

「何だよ、これ!」

扉のないはずの其処をすり抜けることは出来ない。何度叩いても、壁は消えなかった。それどころか。

「シュラさん…」

「んだよ、メガネ!!」

「…出れない」

「……っはぁ!?」

バツが悪そうに顔を背ける雪男に、シュラは思わず殴りかかりそうになった。二人の間を壁が隔ている。そして、内側に入った雪男が出れなくなっていた。シュラが中に入られないように、雪男は外へ出ることが出来ない。つまり初めから招かれたのは雪男だけだった。

「はぁ…なんか、してやられた感じですね。僕はこのまま先に進みます」

「なっ!?ダメだ!何があるかわからないんだ!!燐がいるかだって怪しいんだぞ?」

シュラらしからぬ焦りように雪男はぷっと吹き出した。そして、手を伸ばそうとしてくれるシュラの手のひらに自分の手を重る。シュラの手はじんわりと暖かい気がした。シュラが驚いた顔で雪男を見ている。幼い頃から自分を気にかけ、悪魔になった兄を受け入れてくれた女性。雪男が燐と獅郎以外で心を許すたった一人の人間だった。そして、今でも自分と兄を本気で心配してくれている。誰よりも早く今回の危機を知らせてくれ、そして、ここまで着いてきてくれた。それだけで、十分だ。もう返しきれないほど、シュラからはたくさん貰ってしまっいる。

「シュラさん。僕がいつもシュラさんのことをどう思ってたか、わかりますか?」

なんとなく、雪男は今この想いを言葉にしたくなった。

「…はは、うぜぇ年増だとか思ってたんじゃねぇのか」

雪男は首を横にふった。やはり、彼女は優しい。こんなやり取りでさえ、雪男と真剣に向き合ってくれる。だから自分も真剣に伝えよう。

「で、どう思ってたんだよ」

白状しちまえ。シュラは雪男を促した。


「お母さんみたいだな。って、思ってました」


今度こそ、シュラは目を見開いて驚いた。すみません。雪男から苦笑がこぼれる。それは、どこかいたずらっ子のようで。胸を締め付ける感情がなんなのか、シュラにはわからなかった。ただただ、歯痒くて切ない。どうして、この兄弟だったのだろう。こんなにも綺麗なのに。

「あ、勘違いしないでくださいね。あくまで慕情であって、恋愛感情ではありませんから」

「お前は一言余計なんだよ…」

雪男から冗談を聞いたのは、いつぶりだろうか。雪男がこんなにもふざけたのは。初めてかもしれない。きっと燐しか知らない雪男の一部。

「この中には、絶対に兄さんがいるんです。だから、行きますね」

決意も覚悟もとっくに決めていた声色。もしかしたら、雪男の中でなにかが変わったのかもしれない。シュラを母と言ってくれた子供は、一人で行くのというのだ。まだ15才の少年が自分の足で、と。
シュラは雪男を手招きして側まで呼んだ。壁のギリギリまで。最後の悪あがきだ。

「シュラさん?」

「ちょっと下向け」

疑問符を浮かべながらも下を向いた雪男の額に、シュラはキスをした。唇が触れるだけの一瞬のもの。けれど想いは十分に込めた。驚いて顔をあげた雪男に、シュラはにっと笑った。



「もっと胸を張って、しゃんと歩け」



立ち止まったシュラは、雪男の背中を押した。

それ以上先へ進めないシュラは、珍しく見せた笑顔のまま教会へと入っていた雪男を見届けた。笑う雪男は、いつもより幼く見えた。普段は何もかもが正反対なのに、はにかんだ口元が燐にそっくりなのだから可笑しい。

シュラは変わることのない空を仰いだ。


「なぁ、あんたをまともに信じたことなんて一度だってないけど…本当にいるって言うなら、あの子達を守れよ」


シュラは未だ見ること叶わない神を睨んだ。その顔は、まさに威嚇する母親のようだった。





I kissed the sea
(愛し子たちよ)



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