クロをそっと燐の布団に寝かせ、雪男とシュラは部屋を出た。お互いなにも言わぬまま。言ったところで状況が何か一つでも変わるとは思えなかっし、何を言葉にすればいいのかも判らなかった。そんな二人が早足で目指したのは理事長室。何度も足を運んだことのあるはずの廊下が、やけに薄暗く感じられた。


「邪魔するぞ」

着くやいなや、挨拶も終わらぬうちにシュラは理事長室の扉を押し開いた。ドアノブに手をかけようとした雪男を横目に、足で。中では、どこか愉しそうなメフィストがゆっくりと日本茶を啜っている。夜に差し掛かった夕方には不釣り合いな部屋。まるで3時のおやつにをしています。と、言われても不思議ではない空間。その余裕ぶりに、シュラの苛立ちが刺激される。

「失礼します」

口元をひくひくと痙攣さて、斬りかかりそうになる手を抑えているシュラの脇をぬって、雪男も理事長室へ入室した。

「おやおや、奥村君まで。これまた珍しい夜ですねぇ」

呑気に状況を口にするメフィストの前まで雪男は早足に近づいた。わざわざ世間話をするために来たのではない。

「今回の件、どこまでご存知なんですか?フェレス郷」


この男が知らないわけがない。この正十字学園町を掌握し、玩具箱にしている男が。

「どこまで、とは?」

メフィストの口端がにぃとつり上がる。意地の悪い子供の笑顔のようだ。さぁ、待ってましたと言わんばかりの顔で雪男に食いついてくる。

「貴方が今現在の状況にどう関与しているのか、です」

きっと自分達の知りたいことを全部知っている。今回の事件は雪男の知る限りでは、いかにもメフィストが好みそうなものだ。もしゲームだと認識しているなら、参加していないわけがない。


「成る程。ですが、残念ですねぇ…」

いや、本当に残念だ。わざとらしいため息をつきながら、メフィストは湯呑みに茶を継ぎ足した。

「なぁにが、残念だよっ!絶対になんか知ってるだろ」

シュラがメフィストの机に拳を落とした。

「いやいや。知らないものは知らないんですよ?たかが騎士団内の内乱なんて、私の顧問外ですから」


メフィストは旨そうに二番煎じのお茶をすする。急須の横では、柔らかい薄紅に深みを帯びた葉で巻かれた桜餅が可愛らしく鎮座している。


「お前それでも支部長かよ!」

「はい、日本の支部長ですよ。だから奥村燐個人に肩入れするわけにはいかないのですよ。一応騎士団の総意とか色々配慮しないといけないわけでしてね」

喚くシュラをものともせずに、桜餅を大きく開けた口に放り込んだ。やれ、困った困った。口でそう言いながらも目だけは、ずっと笑ってるいる。こいつ殴ってやろうか。そう思っているシュラの前で、雪男の肩が震えていた。


「…騎士団の総意?」

雪男機械的な声に、ぞくりとシュラの背中が冷えた。

「だからなんですか。そんなこと、全部どうだっていいっ…問題は現に兄さんがいないってことなんだよっ!!」


飄々としたメフィストに雪男は噛みつく勢いで声を上げた。普段からは、絶対に有り得ない荒々しい口調。同時に部屋中に破裂音が響き渡った。


「へ、ぅわ!?」

「…ぉほ!」


雪男が怒鳴った瞬間、部屋の窓や硝子類の全てにひびが入った。ランプなどの小物はひびだけには留まらず、完全に壊れてしまっている。内側から力が作用したであろう壊れ方。それは雪男が今まで何度も嫌と言うほど見た光景と同じもで。燐が感情のままに物を壊していたときと酷く似ていた。


「…なん、で…」


ひび割れた窓が風に打たれて、ぎしぎしと音を立てている。窓から入り込む日差しはすっかり暗くなっていた。メフィストの噛み殺した笑いさえ雪男の中を通り抜ける。静か闇は訪れは、もう始まっていた。呆然とした雪男を、シュラは丸くした目で見つめることしかできなかった。





abnormal
(何もかもが可笑しいね)



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