聖水まみれの部屋でクロの応急措置を終えた雪男は、ずっと難しい顔をしたまま雪男のベッドに腰掛けるシュラに手当てが終わったことを告げた。

「んで、クロは?」

「シュラさんの言った通りです。ダメージは大きいですが、回復が早いので大丈夫でしょう。ずいぶんと…高濃度の聖水みたいですね」

雪男の表情が陰る。自分たちと違って燐にとっての聖水は毒だ。なんの浄めにもならない。少量でさえ効果は大きいのに多量の聖水まともに食らったりでもしたら、いくら燐でも無事ではすまない。

「シュラさん?」

「雪男、お前どう思う」

シュラは彼女らしからぬ顔で眉を潜めている。いくらなんでも、騎士団にしては動きが早すぎる。いくら先程の内容が可決されたとしてもサタンの落胤を相手にするのだから、それなりの準備期間が必要になる。一度は映像で燐の青い炎を確認している祓魔師たちが、聖水だけで対処出来るなどと安易な考えには至らないはずだ。そんなこと訓練生だってわかるだろう。

「騎士団にしては…俊敏かつ軽率なやり方かと。兄さんを殺すつもりなら、もっと別の方法がいくらでもあるはずだ」

「だよぉなぁ」

雪男もわかっている。なら、遊園地のときのように悪魔か。聖水という点から可能性は低いが、ないわけではない。悪魔でも聖水そのものに触れなければいいわけで、知能の高い悪魔なら祓魔師を殺して盗むなり入手手段はある。

(でも、相手が悪魔ならあいつだって対応できただろぉしな…)

シュラは一人、考えを打ち消した。相手を弾き出すには、燐には的が多すぎた。人からも、悪魔からも狙われた子供。

「考えても仕方ありません。取り敢えずフェレス卿の所へ行きましょう」

クロの頭を一なでした雪男が、腰を上げた。

「………」

「何ですか」

驚いたような顔で見つめてくるシュラに、雪男を眉をひくりと動かした。

「いんにゃ。ビビリのことだから、もっとパニくんのかと思ったんだけど冷静じゃねぇか」

お姉さん吃驚だ!シュラは両手を振って、とぼけて見せた。が、いつもなら青筋立てて怒る雪男も言い返してこない。気味が悪いほど、落ち着いている。

「焦って兄さんが出てくるわけじゃありませんから」


その顔は、まるで置いていかれた子供のようだとシュラは思った。普段は真剣で、でも何処か冷めた表現の雪男からは想像もつかない。


"ゆきぉ…"


か細い声を上げてクロが目を覚ました。傷ついた体を必死に起こし、雪男に視線を向ける。

「クロ…っ」


雪男の元へと力の入らない体を引きずりながら、クロが近づいてくる。

"ごめん…りん、つれてかれちゃった…"

雪男に抱き抱えられたクロは、雪男たちがいない間に何があったか話した。途中、クロが何度も咳き込む度に雪男はクロの背を撫でた。クロが言うには相手は悪魔ではなく人間であるり、それは燐もクロも匂いでわかっていた。だから、燐は反撃出来なかったのだと。

「兄さん…」

雪男は爪が食い込むほど拳を握り締めた。なぜ、兄はこんなときまで優しいのだろうか。燐を連れ去った相手も憎いが、なにも出来なかった自分が許せなかった。

「お、おいビビリ…」

「何ですか、こんなときに。だいたいビビリって」

空気を読めと言わんばかりに、雪男は苛立った顔でシュラを見た。が、シュラの様子が何か違う。にやけた顔でも、からかう顔でもない。シュラはひきつった顔で首を傾けている。

シュラは気づいてしまった。状況に呑まれて、見落としそうになっていた違和感を。


「お前……猫又の言葉わかるのか…?」

「……え?」


あたしには猫の鳴き声にしか聞こえないんだけどさ。上擦ったシュラの頬を汗が一筋流れた。

燐を気にするあまり雪男は気づいていなかったが、クロと会話など本来あり得ないことだった。人である限りは。





rouse
(境界線はどこにあった?)



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